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龍帝記  作者: 久万聖
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セリムの器

リュウヤはこの日、オスマル帝国使節団が手土産にと持ってきた香辛料(スパイス)の数々を見ながら、ジルベルト料理長とともに最終日の晩餐メニューを検討していた。


さらに、先の戦いの捕虜の中に、料理に通じる者がいたため、オスマル帝国の料理についての話を聞きながら、検討を重ねていく。


「私は、宮廷の料理などわからないのですが、よろしいのでしょうか?」


捕虜だった者、アーザフはそう控えめに質問をするのだが、


「宮廷料理なら、彼らも食べ慣れているだろうからな。

彼らが食べ慣れていないものの方がいいだろう。」


というリュウヤの返答。


今回のメニューに関しては、ひとつの大きな狙いもある。


その狙いについても二人に説明する。


その説明を聞いた後で、


「そう上手くいきますでしょうか?」


とジルベルト。


「まだ幼い少年に、そこまで読み取れるものでしょうか?」


とアーザフ。


「その懸念はもっともだが、セリム殿下がこちらの想定通りの人柄なら、十分に意図を理解できるだろうよ。」


自信たっぷりに言うリュウヤに押し切られる形で、晩餐会のメニューは決められていった。






☆ ☆ ☆






竜女族(ヴィーヴル)が管理する、岩山の皇宮の西にある湖を中心とする湖沼地帯。


リュウヤの問いかけから逃げ出したトモエは、ルカイヤのところに逃げ込んでいた。


「いやあ、まいった。

なんか大変な仕事を申しつけられそうだったよ。」


ルカイヤにそう愚痴をこぼすトモエ。

そこに現れたのは、ウッザマーニだった。


「珍しいな、陛下付きのウッザマーニがここに来ているなんて。」


トモエの疑問には答えず、ウッザマーニが質問する。


「トモエ様。リュウヤ陛下から、なにか言付かってはいませんでしたか?

リュウヤ陛下は、トモエに伝えておくからと仰っておられたのですが?」


「・・・・・・・、えっ?」


ウッザマーニには、?マークがトモエの周りを乱舞しているのが見えたような気がした。


「いえ、今日はオスマル帝国の使節が視察に来るから、そのために必要なことを伝えると、そう仰っておられましたが?」


再度のウッザマーニの言葉に、トモエの視線が泳ぐ。


そこに、


「そのことならば、私が言付かってきた。」


シズカが現れる。


「そ、そうだ。シズカに聞いてもらっていたんだ。」


苦しい言い訳をするが、ルカイヤとウッザマーニには嘘だとバレているようである。


「そうね。陛下から声をかけられた途端に、脱兎の如く逃げ出すことをそう言うのなら、そうなのでしょうね。」


とても静かな口調で、シズカが言う。

この口調、付き合いの長いトモエにはわかる。


怒っている、とても。


「陛下が優しいからと甘えるのも、いい加減にしましょうか、トモエ。」


「う、うぅ・・・」


「でも、お説教は後にします。今は、セリム殿下をはじめとする使節の方々を迎える準備をしなくてはなりません。」


シズカはそう言うとウッザマーニに向き直る。


「ウッザマーニさん、すでに陛下からある程度のことは聞き及んでいると思います。

大きな流れはそのままでかまいません。

ルカイヤ殿は、トモエとともに殿下の案内役をお願いいたします。

すでにおわかりかと思いますが、トモエはそういった役には不向きですので、事実上お一人でお相手することになります。

必要であるならば、竜女族の中から補佐役をお付けしてください。」


テキパキとリュウヤからの指示を伝える。

そして、


「トモエ。貴女へのお説教は事後とします。

私は戻りますが、逃げられるとは思わないように。」


相変わらず静かな口調。

ただし、静かな中でも心臓を鷲掴みにするような迫力がある。


シズカが立ち去ると、しおしおになったトモエが崩れ落ちたのだった。






☆ ☆ ☆






セリムたちは岩山の皇宮を中心にした、いわゆる官庁街の西端まで掘削された運河を利用して湖へと向かう。


運河の幅は広く、20メートルほどはあるだろうか。


色々な物資の輸送用として作られており、荷物を積んだ船がすれ違えるようにしているのだ。


また、両岸には木々を植えており、人々の憩いの場となれるようにもしている。


「細かなところにも、気を配っているのですね。」


随行しているデウレトが感心したように口にする。


実際に、木に寄りかかって眠っている者もいれば、木陰に椅子を持ち出して、釣りをしている者もいる。


心地よい風が船上を通り、セリムたちを包み込む。


湖が近くなると、竜女族の姿が見えてくる。


船を岸壁に係留させると、渡し板が掛けられる。


渡し板を通り、地上に降りるセリムたちを出迎えたの竜女族ケーサカンバリン氏族族長ルカイヤ。


「お待ちしておりました、セリム殿下。

それから・・・」


ルカイヤはスライマーンに向き直り、


「我らが通過する許可を出していただくのに、尽力していただいたと伺っております。

もっと早くに謝意を述べなければならぬところを、この時期まで遅くなってしまったことを謝罪いたします、スライマーン殿。」


そう謝罪する。


「いえ、この地にて壮健なようで安心しましたぞ、ルカイヤ殿。」


スライマーンはそう返すと、ルカイヤと握手を交わす。


「この地での生活はいかがですかな?」


「まだ、ほんの二、三ヶ月ほどしか経っておりませんが、この地の方々は良くしてくれております。

故郷より、少し寒いのが気になりますが、それにも慣れていくことでしょう。」


その言葉に、スライマーンは大きく頷く。


始祖皇帝の出身部族とはいえ、戦いに敗れたケーサカンバリン氏族をオスマル帝国としても国内に移住させるわけにもいかず、彼女らを引き取ったこの国に感謝する。


「トモエ殿が、提案していただいたのでしたな。」


側にいながら、必死に空気になろうとしているトモエに話しかける。


「い、いえ、リュウヤ陛下の意向に沿ったまでです。」


急に話をふられて、緊張しながら答えるトモエ。


「けっして、無駄に死なせることのないようにと、厳命を受けておりましたので。」


"無駄に死なせるな"は事実、リュウヤの言葉。


そのリュウヤとて、トモエがケーサカンバリン氏族全てを受け入れるなどと言い出すとは、予想もしていなかったのだが。


その後、いくつかのやりとりを終えると、竜女族の生活の様子を視察して回る。


セリムは、自身の先祖たる始祖皇帝の出身であるケーサカンバリン氏族と初めて接することに興奮して、矢継ぎ早に質問をしている。


そして、セリムの最後の質問である、


「もう、故郷に戻ることはないのか?」


に対して、


「遠い先のことはわかりません。

ですが、私の代で戻ることはないでしょう。」


ルカイヤはそう答えたのだった。






☆ ☆ ☆






その夜の晩餐。


皆の前に並べられた料理は、晩餐会の物としてはあまりに質素なものばかりだった。


これに怪訝な視線を向けるスライマーン。


その視線を受け、


「アーザフ、料理の説明をせよ。」


オスマル人の料理人、アーザフが進みでる。


「私は、オスマル帝国帝都の旧市街に住んでおりましたアーザフと申します。」


旧市街と聞いて、スライマーンはわずかに眉をあげて反応する。

旧市街といえばそれなりに様になるが、実態はスラムに近い。


「晩餐の料理の説明役を仰せつかりました。」


ひとつひとつの料理の説明をするアーザフをよそに、スライマーンはリュウヤを一瞥し、セリムへと視線を移す。


リュウヤは試しているのだ。

セリムの器を。

大帝国たる、オスマル帝国を統治するだけの器の持ち主なのかを。


そのセリムは、目の前のスープを掬って口にする。


「面白い味だ。だが、塩気が強すぎるように感じるな。

旧市街の者たちは、いつもこのようなものを食しているのか?」


「いえ。これらの料理は、旧市街の者たちにとっては祝いの席にしか食することのできないものにございます。」


「これが祝いの席の料理か・・・」


セリムは考える。


なぜ、リュウヤがこのような料理を晩餐として出して来たのかを。


暫しの沈黙。


そして、


「リュウヤ陛下。陛下からの餞別、たしかに受け取りました。」


この言葉に、スライマーンは大きく頷き、リュウヤはセリムに微笑みかける。


「陛下は、私が教育を始めとして、多くの改革をしようとしていることに対し、足下を見つめよと、そう仰りたいのですね。

理想を追いすぎるあまりに、現実を見失うなと。」


その言葉に、リュウヤは大きく頷く。


理想を追いすぎるあまりに、現実という足下を疎かにして民意を失う。

歴史上、多くの者がその陥穽に落ちた。


日本史でいうなら、後醍醐天皇はその筆頭だろう。


天皇中心の社会に戻そうとしたものの、すでに力を持っている「武士」を軽んじ、公家を重用したために、足利尊氏ら有力武士の離反を招いてしまった。


松平定信や水野忠邦も、そこに並べてもいいかもしれない。


江戸幕府を立て直すという動機はあれども、その手法はすでに時代遅れとなっていた徳川吉宗のやり方を、より徹底した形で行い、挫折する。


松平定信は、後世に「元祖ポル・ポト」とまで酷評される有様である。


「セリム殿。私のいた世界、二千年以上前の人物の言葉に、"倉廩満ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る"というものがある。

まずは民を富ますこと。さすれば、改革のための大きな力となりましょう。」


戦国の革命児とも呼ばれる「織田信長」が、なぜそこまでの改革ができたのか?

それは民衆の支持があったからだ。

自由に商売ができ、織田領内の通行は自由にできたため、物流が活発になり、色々なところに品物を持って商売ができる。


それが民衆にとって大きな利益を生み出し、それを実感できたからこそ、民衆は信長を支持した。


甲州武田家の末期には、甲斐の民衆は早く信長に統治してほしいとまで願ったという。


「はい。つきましては陛下。

餞別にもう一ついただきたいものがあります。」


「それは何かな?」


「そこのアーザフを、私に身受けさせていただきたいのです。」


「それは、どのような理由かな?」


「私の立場では、軽々(けいけい)に街を出歩くことはできません。ましてや、一人など決してできないでしょう。

ですから、そのアーザフを私の目や耳として、旧市街をはじめとする街々の者たちの暮らしぶりを知りたいのです。」


「なるほど。」


リュウヤはセリムの言葉に、そう呟く。

そして、


「アーザフ。お前はどうしたい?」


突然の言葉にアーザフは戸惑い、


「へ、陛下のお言葉に従います。」


そう告げるのがやっとだった。


「俺はお前の気持ちを確認しているのだがな。

もう一度言う。

アーザフよ、お前の偽らざる思いを口にせよ。」


「・・・・、戻りたいです。帝都には、私の家族がいます。

セリム殿下にお仕えすることで、帰ることができるなら、帰りたい。」


絞り出すような言葉。


アーザフの言葉の後、視線はリュウヤに集まる。


「いま、この場よりお前はセリム殿の直臣である。

ただし、身受けの代金をセリム殿から受け取る気はない。

セリム殿に仕えた、その給金よりお前自身が支払え。

たとえ何年かかっても、だ。」


「あ、ありがとうございます、リュウヤ陛下!」


アーザフは、額を床に擦り付けんばかりに頭を下げて、礼を述べる。


リュウヤはアーザフを通り越して、扉の前にいるジルベルト料理長に視線を向ける。


そして、


「これからが、晩餐の本来のメニューとなる。」


そう宣言する。


「アーザフ、いつまでそうしているつもりだ?お前はすでにセリム殿の直臣であろう?」


その言葉に慌てて立ち上がり、セリムの後ろに立つ。


「本来なら、アーザフはもう少し手元に置いておきたかったのですがな。

オスマル帝国の料理を知り、この地の料理とうまく融合させられればと、そう思っていたというのに。

まさか、殿下に取られるとは思いもしなかったよ。」


リュウヤはそう言って笑う。


「それは、申し訳ありませんでした、リュウヤ陛下。」


頭を下げるセリム。


「まあいいさ。それよりも、せっかくの晩餐。

楽しんでもらおう。

今度は、なんの駆け引きもなしに。」


リュウヤの言葉に、皆の緊張が緩む。


そして今度こそ、晩餐会は始まったのだった。

松平定信を「元祖ポル・ポト」と言ったのは、上智大学の名誉教授であった故・渡部昇一氏です。


地方から出てきた人を対象にした「人返し令」や、すでに力を持っていた商人を目の敵にした政策など、統治する武士以外は農民でいいと言わんばかりの政策を揶揄して、そう酷評したものです

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