千年の差
スライマーンは、この日もリュウヤとの協議に望む。
通商交渉に関して大まかな合意はしたとはいえ、ある程度の細則を作らなければ、スライマーンはアルダシール七世を、リュウヤは緩衝地帯となる八ヶ国を説得できなくなる。
そのための協議である。
リュウヤとしては通行税・関税撤廃が目標ではあるが、実際のところ、そこに到達するにはハードルがあまりに高い。
通行税の収入は、たしかに魅力的ではあるのだ。
だが、あまりに高いと問題も起きる。
人・金・物の流れがスムーズに行かないと、リュウヤの構想する共栄による平和が遠のいてしまう。
だからといって、武力を持って押し付けてしまうと、いらぬ反発を招く。
この通行税・関税への抵抗は、歴史を動かす大きな助けとなったこともある。
世界史的に見るなら、モンゴルの征服。
当時、中央アジアは小国が乱立する状況であり、一つ国を通る度に通行税・関税を払っていては、円滑な商売ができなくなる。
そのため、中央アジアの商人たちはモンゴルの侵攻を歓迎し、協力したという。
その商人たちの協力は税の徴収方法などもあり、モンゴルの西征をおおいに助けた。
日本史で見るならば、やはり織田信長だろう。
信長は、各地の領主や寺社勢力、荘園主が作った関所を撤廃していった。
これに大きく反発した寺社勢力の代表的な存在が、比叡山延暦寺である。
信長と寺社勢力の対立は、既得権益を守るか破壊するかの戦いでもあったのだ。
だが、リュウヤには信長の手段は取れない。
信長がその手段を取れたのは、信長が行なっていたのが「日本統一戦争」だからであり、リュウヤの場合は対外戦争になる。
では、モンゴルのような手段が取れるかといえば、これもまた取ることができない。
仮に征服したとしても、新たな敵を作るだけでしかなく、人材的にも苦しい。
そこでリュウヤがスライマーンに提示したのが、許可証の発行である。
その許可証を持った商人のみを、無税で通行させるというやり方である。
「なるほど。いくつかの商人、商会に特権を与えるのですな。」
「そうだ。だが、いくら特権を与えるとはいえ、なにを取り扱っても良い、というわけにはいかないだろう。」
例えば龍帝国における奴隷。
奴隷制を廃止している龍帝国では、人身売買は認められない。
そして、各国にも龍帝国における奴隷のように、認められない品物が当然ある。
それらを扱わないことが、特権商人になる条件になるだろう。
それだけでなく、その特権商人の枠も定めなければならない。
大国だからと多く設定しては、反感を買うことになるだろう。
「一国に三つくらいが、妥当なところではありませんかな?」
スライマーンの提案。
「そんなところだな。」
リュウヤもそれに同意する。
そこに、サクヤがキュウビを伴ってやって来る。
「そろそろ、休憩になされてはいかがでしょうか?」
サクヤの言葉に、
「そんなに時間が経っていたのか?」
「はい。もう、お昼を過ぎた頃ですよ。」
その言葉に、リュウヤとスライマーンは顔を見合わせる。
「実り多き話となると、時間が経つのも忘れてしまうものなのですなあ。」
スライマーンはそう言って笑う。
「全く、同感だな。」
そう言ったあと、リュウヤはスライマーンに、
「私の執務室のテラスで、一緒に食べないか?」
そう誘いの言葉をかける。
「お言葉に甘えさせていただきましょう。」
スライマーンは笑顔で応じた。
☆ ☆ ☆
リュウヤとスライマーン、そしてサクヤとキュウビが執務室のテラスへと移動する。
執務室に入ったスライマーンが最初に目にしたのは、奇妙に見える一枚の絵画。
オスカル・シーレの描いたものである。
そのなんとも言えぬ表情を見て、
「俺のお抱え絵師の描いた絵だ。なかなか、味があって面白いだろう?」
そう言うリュウヤ。
「まあ、たしかにそうですな。」
歯切れの悪いもの言いだが、リュウヤもそこまで期待していない。
そしてテラスてと出ると、そこにはなぜかシニシャがいた。
「俺にも、美味いもん食わせてくれや。」
その図々しさに半ば呆れながら、
「お前を誘った記憶はないのだがな。」
そう口にする。
「そう固いこと言うなって。アナの勉強を見ていたら、昼食だっていうじゃねえか。
こりゃ、美味いものを食わせてもらわないとってな。」
シニシャの隣の席に座っているアナスタシアを見ると、苦笑している。
「アナ、シニシャからなにを教えてもらったのだ?」
「え、えーっと・・・。」
アナスタシアは答えられない。
「なるほど。たしかに勉強しているところを見ていたのだな。」
「ああ、その通りだ。」
悪びれないシニシャに、リュウヤも苦笑する。
そこでキュウビに視線向けると、キュウビは一礼してその場を離れる。
各自、席に座るとスライマーンが、
「勉強といいますと、リュウヤ陛下は領民の教育に熱心であられるとか。」
そう口にする。
「別に、教育に力を入れているわけじゃない。
そこから優秀な人材が出てきてくれれば、俺が楽になるからな。
そのための投資だ。」
「なるほど。」
リュウヤの物言いに、スライマーンは苦笑する。
そして、
「セリム殿下が、リュウヤ陛下の教育政策を取り入れたいと申されましてな。
よろしければ、その政策の展開する方法など、教授していただきたいのですが。」
セリムが取り入れたいと発言していた、そう聞いてリュウヤは軽く驚く。
「セリム殿は、常にそのようなことを考えておられるのかな?
たしか、まだ十二歳だと聞いていたのだが。」
「そういうわけではありませんが、龍帝国では平民の全てに教育を施そうとされておられるとか。
そこに深い感銘を受け、将来、自分が統治するその立場になった時に取り入れたいと。」
十二歳の少年に、そういう発想が出てくることに驚く。
自分が十二歳だった時、そんなことを考えたかというと、そんなことは全然ない。
むしろ、居心地の悪い親戚の家にいる時間を、いかに減らそうかと考えていたものだ。
その方法が、学校の図書室や公立の図書館に行くことだったのだ。
その時に得た知識が、この世界で役立っているのだから、なにが起こるのかわからないものだ。
「かまわないが、セリム殿はいつ統治をする立場になるのだ?
経験を積ませるために、地方行政官あたりが最初ではないかと思うのだが。」
「慣例通りであれば、十六歳になると直轄地で行政官となります。」
「わかった。それまでに、経験を蓄積させたものを届けることにしよう。」
あっさりと、リュウヤはその要求を受け入れる。
その姿に、スライマーンは不安を覚える。
「そんなに簡単にお受けして、よろしいのですかな?」
その言葉の裏には、相手を強大にするだけではないのかという、スライマーンの疑問が込められている。
「かまわないさ。将来、化学や科学、医学や薬学の研究には協力したり、競い合った方がより発展できるからな。」
将来?
将来とは、どこまで先を見据えているのだろうか?
「陛下のいわれる将来とは、どれほど先のことなのでしょうかな?」
「ざっと、千年だな。」
「千年、でございますか?」
「そう、千年だ。」
リュウヤの言葉に、大きな衝撃を受ける。
「俺が、元々はこの世界の住人でないことは、知っているのだろう?」
無論、スライマーンはそういう噂があることを知っている。
「化学や医学関連で見るなら、俺のいた世界とは千年の開きがある。」
例えば、オスマル帝国との戦いで使用した火薬の存在。
リュウヤのいた世界では、七世紀にはその存在が確認されているが、この世界ではリュウヤが作るまで存在していない。
「千年の開き・・・。」
スライマーンは、もはや言葉もない。
「陛下は、その先行した知識を全て、この地にもたらそうとなさっておいでなのでしょうか?」
アナスタシアの疑問。
「残念だが、全ては無理だろうな。
蓄積されている技術や知識が、あまりに不足している。」
断言するリュウヤに、
「おいおい、そこまでってことはないだろう?」
とシニシャ。
「残念だが、それが事実だ。そして、その原因もわかっている。」
「原因、でございますか?」
スライマーンの言葉にリュウヤは頷き、
「原因は魔法の存在だよ。」
「魔法の存在が、そんなに差を生むのかね?」
シニシャの疑問。
「技術の進歩というのは、必要があるからこそできるんだ。
だが、この世界では、大抵のことは魔法で片付けることができる。」
例えば、木材の伐採。
本来であれば相当な重労働だが、この世界ではゴーレムを使うことで、重労働から解放されている。
それに対してあちらの世界ではどうか?
重労働から解放されるために、チェーンソーやら重機などを開発している。
「想像がつかない世界ですな、陛下のいらした世界というのは。」
スライマーンはそう口にするが、それはこの場にいるものの総意でもあるだろう。
「ならば、もう一つ想像ができないだろうことを教えようか。」
リュウヤはそう言うと、空を見上げる。
その視線の先には、うっすらと見える月の姿がある。
「俺のいた世界では、すでに月に人が足を踏み入れている。」
この言葉に、この場の者たちは言葉を失っていた。