セリムの報告
「爺!」
視察から戻ってきたセリムは、スライマーンを見つけると駆け寄ってくる。
「どうなされました、セリム殿下。」
「この国は、面白いことをしておるな。」
「ほう?その面白いこととは、どのようなことでございましょう?」
「うむ。この国は、平民の子供に文字の読み書きと四則演算というものを教えておる。」
「ほう。」
スライマーンは、読み書きと四則演算を教えているということに、引っかかりを覚える。
「それには、どのような狙いがあるのでしょうなあ。」
おそらくは、その狙いを聞いてきているであろうセリムに、先を促す。
そしてセリムは、カスミに聞いたことを話す。
それを穏やかな表情で聞くスライマーン。
「教えているのは、子供達だけではないのだそうだ。
捕虜として連れて来た者たちも、労役が終わった後に教えているとか。」
わずかな時間を利用して、一語でも覚えることができればということだといういう。
このセリムの言葉に、スライマーンは唸る。
そして、先程から感じていた引っかかりの正体に気づく。
あのリュウヤという男、本気で人材の育成に力を注いでいる。
それは、将来の大繁栄に向けての種蒔き。単なる繁栄ではなく、大繁栄に向けてのもの。
文字の読み書きや四則演算が自由に使えることの利便性を知った大人たちは、その家庭において自らの子供達に教えるだろう。
それは、この国の学力の底上げになり、発展の礎となる。
「爺。」
考え込むスライマーンに、セリムが話しかける。
「我が帝国にも、同じことができないものかな?」
スライマーンはセリムの顔を見て思う。
まだ幼いながらも統治者としての顔になっている、と。
「そうですな・・・。」
やろうと思えばできるだろう。
だが、間違いなく抵抗が起きる。
貴族階級をはじめとする、知識階級から。
龍帝国がなぜできるかといえば、リュウヤのカリスマ性もさることながら、新興の国であるからなのだ。
新興国であるからこそ、柔軟に考えて実行することができる。
そして、もう一つの要因。
それは龍帝国の国土面積。
オスマル帝国からしてみれば、間違いなく小国である大きさなればこそ、それができる。
それがわかっているからこそ、リュウヤは国土の拡大を望まないのではないか?
スライマーンはそこまで考え、セリムが自分の顔を見ていることに気づく。
「難しいでしょうな。」
「そうか。帝国にも導入できれば、大きな力となると思ったのだけど。」
意気消沈するセリムに、
「一気に、帝国全土で行うことは難しいでしょう。ですが、直轄領の一部で始めて、その成果を示すことができれば、貴族たちも追随することでしょう。」
その言葉に、セリムは勢いこむ。
「そうだな、成果を示すことができれば良いのだ。」
セリムの瞳が輝く。
「そのためには、この国のその制度をよく知らねばならんな。」
そう言って考え込むセリムの頭を、スライマーンが優しく撫でる。
「殿下。それに関しては、私の方でリュウヤ陛下に協力してもらえるよう、頼んでおきます。
殿下は、他にも色々なことを見て回ってくだされ。」
「そうか。たしかにこの国は面白いことが多いからな。
教育だけしか見ないでは、帰ってから祖父君に報告できないな。
爺、そちらは頼むぞ。」
「わかりました。殿下は、存分に見て回って来てくだされ。」
「うむ。」
セリムは精一杯、重々しく頷いてみせる。
だが、その表情も長くは続かない。
それは、
「若君様、スライマーン閣下、夕食の用意ができたと知らせが参りました。」
オスマル帝国から連れて来ている、セリム付きの侍女が扉越しにこえをかけて来たからだった。
「おお、食後のデザートは何かな?
昼は冷たい"あいすくりいむ"なるものだったが、夕食はなんだろう?」
まだ幼いセリムにとって、龍帝国が供する食後のデザートは重大な関心事項だったのである。