降伏の余波
オスマル帝国軍の降伏が伝えられたのは、その翌日のこと。
戦況報告のため、出征に参加していたホダカが龍化して戻ってきたのだ。
空を飛べるというのは、通信という意味でも非常に有利な手段である。
まだ8万もの兵力がありながら、降伏したことに対してリュウヤは特に感慨もなかったのだが、一緒に報告を聞いていたモミジが、
「まだそれだけの兵力がいて降伏したのか?」
と驚いている。
「モミジからすれば、驚くことなんだろうな。」
リュウヤはそう口にして、
「まあ、俺でも一点突破を図ってから、決戦を挑んだだろうから人のことな言えないけどな。」
そう前置きしてから説明する。
リュウヤのいた世界でも、かつてのヨーロッパや中東などでは不利になった時、すぐに降伏するというのはよく見られた行為である。
これはかなり合理的な手段で、無用な戦闘で互いの兵力の損耗を防ぐためであり、代わりに金銭を支払うことで一旦やり過ごすという意味合いもある。
ただし、身代金を払えないとどうなるか?
その実例は、獅子心王と呼ばれたリチャード1世が示している。
リチャード1世は、身代金が払えなかったアッカの住民を、皆殺しにしている。
ちなみに、同時代のアラビアの聖将とも呼ばれるサラーフ・アッディーン(サラディンと呼んだほうが有名か)は、エルサレムを陥落させた時、住民を無償で解放している。
リチャード1世の故事は極端な例だが、身代金が払えない者は、大抵は人身売買にかけられる。
「なるほど、無駄な死者を出さないということに力点を置くなら、正しい判断であるわけですね。」
モミジが理解したように口にする。
「ですが、困った点がひとつ。」
同席しているアデライードが指摘する。
「龍王国では人身売買は違法です。
陛下はどうなされるおつもりですか?」
そう、この龍王国では人身売買は違法なのだ。
「五年間の労役を考えている。
そして、五年後には自由民として解放する。」
リュウヤの言葉に、
「五年・・・、ですか。」
アデライードが面白そうな表情をみせる。
リュウヤの意図をあっさりと見抜いたようである。
「どういうことだ?」
モミジが不思議そうな表情をみせる。
「五年の間に、生活能力を身につけさせるということです。」
五年の間に、労役とは名ばかりの職業訓練を施し、自活できるように育成する。
当然、その間には最低限の読み書きを身につけさせる。
そうすれば、未だに未開発の地域の入植もでき、また未来の納税者を生み出すことができる。
なによりも、この国の慢性的な人手不足を大幅に解消できるのだ。
それだけではない。
人間族に関していえば、この国は人口における男女比が歪であり、女性の比率が高いのだ。
戦災や、重税から逃れてきた者が多いということもある。
男女比率の解消にも繋がるかもしれない。
アデライードの説明に、モミジは感心したように頷いている。
「問題は、どれほどの者たちが来ることになるか。」
ホダカの説明では、オスマル帝国軍の歩兵のほとんどが奴隷階級であり、今回得た捕虜でいえば最低でも五万人だという。
それらを各国で分け合うことになるだろう。
「その辺りの交渉は、エストレイシアに任せるさ。」
そうホダカに伝え、休息を命じる。
ホダカの休息が終わったら、すぐに渡せるように文書を用意しておくようにリューディアに指示を出す。
「オスマル帝国がどう反応するかだが、もうひとつの相手にも手を打たないとな。」
もう合流しているであろうトモエたちへの指示書を、リュウヤは用意することにする。
竜女族とその背後にいる者への対処。
リュウヤは少し考えると、ライラを呼び指示を出す。
ライラはこの文書を受け取ると、
「では、この文書は私の手の者に届けさせます。」
艶然とした笑みを浮かべ、ライラはその場を離れる。
「陛下、そこまで念を入れる必要があるのですか?」
モミジが疑問をぶつける。
「相手がわからないからな。
打てるだけの策はうっておきたい。」
そう、リュウヤは竜女族の背後にいるのがムシュマッヘであることを知らない。
だから、念には念を入れる。
「この後は、ビオラたちを相手しなければならないのだったな。」
リュウヤは気持ちを切り替えるように、次の予定を口にする。
この地に残ると言い張るビオラと、なんとしても連れ帰りたいエウァリストゥスとバルタサル・コモンフォルト。
双方から相手を説得してほしいと言われても、なんともし難い。
不毛な話し合いに参加させられる不幸に、リュウヤは思わず肩をすくめ、歩きだした。
☆ ☆ ☆
バニパル将軍降伏の報せが帝都ビジャールに届いたのは、リュウヤよりも3日遅れてのことだった。
これは陸路と空路の違いだけでなく、オスマル帝国がそれだけ広大な領域を支配していたことも原因である。
必勝を期して送り出した大軍が破れ、降伏したと聞いて宮廷内は大騒ぎになっている。
「まさか、あのバニパル将軍が降伏とは!」
「この後はどうするのだ?
誰を送り出すのだ?」
「バニパル将軍ですら敗れたのだ。
誰を送り出しても、勝てぬのではないか?」
廷臣たちはあれこれと言うが、皇帝アルダシール7世は決断を下さなければならない。
新たに軍を編成して戦うか、帝都ビジャールの城壁を持って迎え撃つか。
あくまでも戦うことに決断が傾きかけた時、信頼する老臣スライマーンが、
「和睦を結んではいかがですかな?」
そう提案する。
今ならば、敗北の傷も少ない。
多少の譲歩をしたとしても、後でいくらでも取り返すことはできる。
帝国の歴史を振り返ってみても、常に勝ち続けてきたわけではないのだ。
現状であれば、大軍を送って敗れてはいても「小競り合い」と強弁することもできるが、次の戦いで敗れれば、それは帝国が小国に屈したと見做される。
確実に勝てるのでなければ、多少の譲歩をしても和睦を結ぶほうがいい。
その方が、大国としての余裕をみせることもできるであろう。
スライマーンの主張に、アルダシール7世は考え込む。
だが、それは長い時間ではなかった。
「わかった。その言を容れよう。」
そうスライマーンに答えると、険しい表情が和らぐ。
「爺よ。やはり爺は余の知恵袋だな。」
久しぶりに「爺」と呼ばれ、スライマーンは内心で喜びつつも、
「なにを仰られますか。
陛下の懐が広いからこそ、臣も意見を述べることができるのです。」
そう答える。
「爺よ、行ってくれるか?」
何をと聞くまでもない。
迫り来る龍王国軍との交渉の使者として、行ってくれということだ。
「陛下の命とあらば、謹んでお受けいたします。」
このやり取りが、オスマル帝国の方針を和睦へた決定づけた。