竜女族の内紛
オスマル帝国南東に広がる湖沼地帯ニーム。
百を超える数の湖と沼地のあるこの地は、東の大国シンディス帝国との国境地帯であり、また国境は確定していない。
竜女族は、この地を住処として長い年月を過ごしていた。
竜女族はこの地で、漁業をはじめとする狩猟を中心にして生活している。
その名の通り女性だけの種族であり、時には人間の男性と恋を囁き、子を成すこともあった。
そうやって長き時を過ごしていたのだが、ある時、なぜか竜女族と人間族との間に男の子が、しかも同時期にふたり生まれ、そのことで種族が2つに割れることになる。
そして、このふたりの男児が優秀だったことが問題を複雑にしていく。
ふたりの男児は、成長するとこのニームを起点として東西にそれぞれ旅立ち、それぞれに国を起こしている。
それがオスマル帝国とシンディス帝国の始まりでもある。
両国にとって、国祖が生まれた地として聖地として崇められ、そしてそのために両国の間の紛争の絶えない地ともなっており、竜女族が分裂して争う地ともなっている。
そして現在、ニーム領有権紛争はシンディス帝国側が有利に進めていた。
そしてそこに付け込んだのがティアマトの第一子である、七つ首の邪竜ムシュマッヘだった。
☆ ☆ ☆
ニームの東側、竜女族の最有力部族チャールヴァーカ氏族族長サーヒヴァは、不穏な気配を感じ取っていた。
彼女の指揮の元、この聖地ニームの七割までを手中に収め、ニーム統一まであと少しまで来たと感じ取っていた。
サーヒヴァが非凡だったのは、決してシンディス帝国の介入を許さず、竜女族の戦いと位置づけさせることに成功したことだ。
両国にとって聖地であることを認めつつも、決してこの地の統治には関わらせない。
そのことを長い年月をかけ、両国首脳部に認めさせたのだ。
それにより、オスマル帝国の支援を受けられなくなった相手、ケーサカンバリン氏族を中心とした勢力を弱体化させることに成功したのだ。
あと少し。
あと少しで統一という竜女族の悲願を果たすことができるはずなのだが、サーヒヴァの胸には大きな不安が沸き起こっている。
その不安は漠然としたものであり、説明できる類のものではない。
「サーヒヴァ様!!大変です!!」
部下が慌てた様子で駆け込んで来た時、その不安が的中したことを知る。
統一の仕上げのために派遣していた、第一陣が壊滅したという凶報だった。
あの第一陣は、自分の指揮下の竜女族の中でも手練れを集めた集団。
その集団が壊滅した、いや壊滅させられた相手とは何者なのか?
ケーサカンバリン氏族ではないだろう。
ならばオスマル帝国が約定を違えたか?
「なんとか逃れてきた者の報告では、ムシュマッヘが現れたと。」
「あの、七つ首の邪竜か!」
なぜムシュマッヘが介入してきたのかはわからない。
ただ、わかるのはこのままでは全軍が壊滅してしまうということ。
サーヒヴァは全軍に即時撤退を命じたのだった。
☆ ☆ ☆
ケーサカンバリン氏族族長ルカイヤは、撤退していくチャールヴァーカ氏族を見て、ひとまずはホッとした表情を見せる。
「これで一息つける。」
本心からの言葉。
そのルカイヤの前に、敵を撤退させた最大の功労者であるムシュマッヘがやってくる。
「ムシュマッヘ様、ありがとうございます。」
ルカイヤはムシュマッヘに感謝の言葉を述べて迎えいれる。
ムシュマッヘはその巨体を堂々と見せながら、
「よい。それが約定だからな。
それよりも覚えていような?お前たちの悲願がなされた時、我の手足となって働くという約定を。」
そう最も大きな首から慇懃に、そう確認される。
「もちろん覚えております。」
「ならばよい。
少しばかり大きな力を使ったからな。
休ませてもらうぞ。」
別の首がそういうと、ムシュマッヘは巨体を動かして自らが塒と定めた水場へと去っていった。
「ルカイヤ様。
本当によろしかったのでしょうか?
ムシュマッヘなどの手を借りて。」
「もう動きだしたのよ、ウッザマーニ。」
ルカイヤは部下にそう言って、その場から立ち去る。
その背には、「仕方がなかった」とでもいうような諦観が感じられる。
実際に、ムシュマッヘの助力の申し出がなければ、自分たちは敗北していたのは間違いない。
そういう意味では族長ルカイヤの決断は間違っていない。
またムシュマッヘは、自分たちを通じてオスマル帝国にワイバーンの飼育方法を伝授しており、来たるべきシンディス帝国との戦いのための、戦力拡充にも積極的に手を貸してくれてはいる。
だが、それでもムシュマッヘが塒としている場所の周辺の、現在の惨状を見ると考えてしまう。
ムシュマッヘの首のひとつから吐き出される毒気によって、もはや命ある者が住めなくなってしまっている様を。
その体液に混じる毒によって、綺麗だった水が汚染されていく様を。
ウッザマーニは天を仰いで嘆息する。
「このままでは、戦いに勝ったとしても、この地を放棄しなければならなくなる。
それは、はたして勝利と言えるのだろうか?」
誰に伝えようとするではなく、そう呟いていた。