北方三国の使節団
トライア山脈北方の森林地帯に隣接するのは、ルーシー公国とプシェヴォルスク王国、ユークレイン王国の三ヶ国。
この三ヶ国でルーシー公国だけが王国でないのには、歴史的な背景がある。東方からの異民族の襲来において、プシェヴォルスク、ユークレインの両国は多大な犠牲を払いながらも撃退したのに対し、ルーシー公国は完全に占領され、その支配からの脱却の際にプシェヴォルスク、ユークレイン両国の支援を受けたため、「王」を名乗るのをためらい、「公国」と称することになったのである。
それが今より250年ほど前の話。
では、今ではどうかというと、国の面積としてはルーシー公国は他の二国よりもはるかに広いのだが、残念なことにその領土のほとんどが寒冷帯に属しているため、農業生産力が低く、また特産品と呼べるものも羊毛くらいしかない状況であり、経済力としても他国に劣ってしまっている。
それに対してプシェヴォルスク王国では、穀倉地帯が広がり、また岩塩鉱と銀鉱山があるため非常に裕福であり、ユークレイン王国もまた、穀倉地帯以外にも鉄鉱山と金鉱山に恵まれている。
「それに引き換え、我が国は・・・。」
ルーシー公国第一公子ヴァシーリーは呟く。
もっとも、その呟きは自分で思っていたよりも大きく、馬車に同乗している妹ナジェージダ公女の耳に届いていた。
「それを打開するために、私たちは龍王国に派遣されたのです。」
たしかにその通りだ。
このままでは、食料を購入しているプシェヴォルスク王国やユークレイン王国への支払いで、どんどん国庫から金が無くなっていってしまう。
いや、むしろすでに支払いのために赤字になっている。
「プシェヴォルスク、ユークレインともに、人の足元を見てふっかけてくるからな。」
両国の狙いはわかっている。
ルーシー公国に金を貯めさせず、軍備を整える余裕を与えないため。
そして、いざという時にはルーシー公国を盾にするというだけでなく、自分たちの国へ依存度を高めるのだ。
なんとかその依存度を低下させ、自立したいのだがその方法が見つからない。
「雪祭り」などという奇妙な発想を持つ龍王国の王なら、なにか自分たちには思いつかない方策を思い浮かぶかもしれない。
そこに一縷の望みをかけて、自分から志願したのだ。
「会ってみたいお方もおりますからね。」
とはナジェージダ公女。
「聖女様、か。」
つい先年までは、辺境の国とされるルーシー公国でもさらに辺境の地に住んでいたという、大地母神の聖女。
その聖女は神託を受けたとして、龍王国へと旅立った。
あの時は「大地母神すらも我が国を見放したのか」と思ったものだが、今では好機なのではないかと思ってしまう。
龍王国の庇護下にある聖女と、なんとかして繋がりを持つことができたなら、少しは光明が見えてくるかも知れない。
そう考えながらヴァシーリーは、前方に見える岩山の王宮を見ていた。
☆ ☆ ☆
ルーシー公国に先んじて、プシェヴォルスク王国の一団は岩山の王宮前広場へ到着する。
馬車の主人エミリア・オナ・ゲディミナイテは、馬車から見上げる岩山の王宮に感嘆の声をあげる。
「形からして、元々は石造りの建造物だったのね。
それが長い年月の間に風化して、岩山のようになったのね。
それにしても・・・」
よくもこれほど巨大なものを建造したものだ。
この頂上には始源の龍が住むという。
それを考えるだけで、心が躍るというものだ。
岩山の王宮の、この威容を見るだけでも来た価値があるというもの。
馬車が完全に停止すると、窓からこっそりと外を見る。
出迎えに現れた者たちの先頭にいるのが、噂の王リュウヤなのだろう。
長身痩躯、穏やかな雰囲気を纏わせており、アルカルイク同盟の大地母神神殿総本山の襲撃を命じた人物とは思えない。
反対側の扉から降りた侍女が回り込み、扉を開ける。
そして優雅な仕草で馬車から降りると、
「お出迎え、誠に有難うございます。
プシェヴォルスク王国第三王女エミリア・オナ・ゲディミナイテと申します。」
そう挨拶をする。
「私がこの国の王リュウヤだ。
エミリア王女も、長旅で疲れたであろう?
午餐まで今しばらくの時間がある。それまでゆるりと休まれよ。」
「お心遣い、感謝いたします。
ですが、この岩山の王宮の威容を見ましたら、疲れが吹き飛びましたわ。」
「ほう。女性の方々には、武骨で風情がない造りに思われると心配していたのだが、エミリア殿は違うのだな。」
「はい。私は国では建設技術を学んでおります。
女が好む学問ではありませんが、陛下も"女だてらに"とお思いでしょうか?」
「いや、そのようなことはない。
すでに聞き及んでいようが、私は元々はこの世界の存在ではない。
かつていた世界では、私も建設を学んでいたからな。
女性といえども、同好の士が現れたというのは、とても喜ばしいことだ。」
「喜んでいただけて、とても嬉しく思います。
機会があれば、陛下のいた世界の建設技術を御教授いただけると、幸いにございます。」
このやり取りの中で、エミリアは手応えを感じている。
自分を売り込むことに。
少なくとも、他の者よりは印象付けることはできたはず。
そう、彼女の公的な目的は友好親善のためであるが、私的な目的は違う。
プシェヴォルスクでは活かせなかった知識も、女性であっても能力さえあれば登用されるというこの国ならば、きっと活かせるはず。
本国への名目?
そんなものはなんとでもなる。
それこそ建前である友好親善のためとでも言っておけばいい。
エミリアは用意された部屋へ案内されながら、いかにして売り込み、仕える事ができるようになるか思案していた。
☆ ☆ ☆
北方三ヶ国の中で、最後にやって来たのはユークレイン王国の使節団である。
ユークレイン王国としては、実は雪祭りとやらへの招待を受けることに消極的であったのだが、ルーシー公国、プシェヴォルスク王国の両国が使節団を派遣する動きを見せたことで、慌てて派遣を決めたのである。
両国の動きを監視して、自国に不利な状況を作り出させないようにするためだ。
そのため、派遣された使節団の代表を務めることになったアンドリー・アポーストル伯爵も、乗り気ではなかった。
アンドリーは一応は王族の出ではあるのだが、公認されるものではなく、産まれてすぐに貴族の養子となっている。
龍王国などといっても、所詮は新興国でしかない。
そんな国になんで行かねばならないのか。
しかも、冬のこの時期に。
愚痴はいくらでも出てくる。
本来なら、あと2〜3年勤めたら息子に全てを譲り、楽隠居するつもりだったのだ。
蓄えはそれなりにあり、伯爵家の資産を使う事なく趣味の園芸に没頭するつもりだった。
そしていずれは自分の名を冠した花でも生み出せれば、そう考えていたのに急遽派遣されることに。
思わずため息が出てしまう。
「どうかなされたのですか、お祖父様。」
今回の旅に同行させたのは、双子の孫娘。
そして声をかけてきたのは姉のナターシャ。
「今回の仕事がなければ、良さそうな土地を見に行ったのに、そう思っていただけだよ。」
そうユークレイン王国の南部、園芸を行うには最適と思われる地で出物の屋敷が見つかったのだ。
その屋敷を見に行く準備を整え、さあ出発と意気込んでいた時に国王ー血縁としては兄にあたるーに呼び出され、龍王国へ行くことを命じられたのである。
一応、見に行く予定の屋敷は国王権限で押さえてくれることになってはいるが、いつまで押さえてくれるかは疑問だ。
なにせ、兄王は吝嗇家で有名なのだ。
なんにでも出費を惜しみ、宮中行事でも国家行事でも伝統とか格式とかを無視して、とにかく歳出を減らそうとする。
その結果、国庫に財を溜め込むことには成功したが、過度な緊縮財政により市中に金が回らず、特に文化的な事が次々に姿を消していってしまっているのだ。
音楽や絵画などの芸術。
演芸などの大衆娯楽。
また、過度な緊縮財政により管理・維持費が削減されたために荒廃し始めている美麗だった建造物。
それらを見るのが嫌だったからこそ、さっさと楽隠居したかったのだ。
「あの吝嗇家の国王陛下が、いつまで屋敷を押さえていてくれることか。」
再び愚痴るアンドリーに双子の妹が、
「大丈夫ですよ、お祖父様。きっと良いことがあります。」
そう慰めてくれる。
「ありがとう、ラリーシャ。」
孫娘の頭を撫でながら、その幼い心遣いに感謝する。
だがアンドリーは知らない。
この龍王国での出会いから、後に自分が植物学者として名を馳せることになることを。
そして、この時連れて来た双子の孫娘が自分の後継者として、アポーストルの名を一層高めることになることも。