医学と薬学の普及へ
この日、リュウヤはダニーロ医師をはじめとする医師団の表敬訪問をしている。
随員には秘書ミーティアだけでなく、クリスティーネも同行している。
幸いにして、天変地異による災害や疫病の流行もなく、患者は風邪や軽傷者で済んでいる。
ギイのやらかしによる、急性アルコール中毒になった猫人族の少女シュリというイレギュラーはあったが。
王宮にいる医師団の構成は、正医師にダニーロら6名とその弟子が20名ほど。
また、エルフの薬師が多数所属している。
どうやらこの世界には、医学を教える学校のようなものはなく、徒弟制によって養成されているようだ。
これは、あちらの世界でもかつては同様であり、いくつもの流派が存在していた。
その結果、近代的な医師の養成に伴う統合の際に、失われてしまった技術も多くある。
例えば、世界初の全身麻酔による外科手術(注)を行った華岡青洲の麻酔薬は、完全に失伝されてしまっている。
そういったことを防ぐために、ダニーロ医師に医学校の設立の提案を持ちかけるのが、今回の表敬訪問の目的である。
ただ、その返答は予想通り"否"であった。
彼らは恐れているのだ。自分たちの技術の流出を。
また、流出の一方で得られるものの不確実さを。
今回の医学に限ったことではなく、均一化を図ろうとした時に必ず起きることでもある。
だから、こういったときに必要なのは、彼らの予想を上回る利益を与えることである。
今回、ダニーロ医師らに対してリュウヤが用意した利益。
それはいくつもの絵。
それを医師たちの目の前に置く。
それを見たダニーロ医師らは目を見張る。
「こ、これは、まさか・・・」
6名の医師たちは、それぞれの手にした絵を見て驚き、リュウヤを見る。
「そのまさか、人体の解剖図だ。」
さらりと答えるリュウヤに、驚きの声を上げる。
「こ、これは、いくら陛下といえども、神々への冒涜ですぞ!!」
最年長の医師フィオレッロが叫び、糾弾しようとする。
「俺は、その神の一柱を復活させた男だぞ。
お前たちと同じ理の中にいると思っていたのか?」
この言葉に、糾弾は不発に終わる。
たしかにその通りなのだ。
リュウヤは元々この世界の存在ではなく、また古き神の一柱たる始源の龍を復活させている。
「陛下、この解剖に処された者たちは、どのような者たちなのでしょうか?」
落ち着きを取り戻したダニーロ医師の問い。
「俺を殺そうと襲撃してきた者たちだ。
一国の主人たる国王に弓を引けば、死罪は当たり前のことではないのか?
それを有効活用しただけだ。」
解剖学の発達において、当初の解剖の検体となるのは罪人の死体である。
これは洋の東西を問わず、検体に犯罪者の死体を活用してきた。
「そうですか・・・。」
「お前たちが、後世の医学を志す者たちにとって、その礎となり名を残すか、数多の者と同様に埋没して忘れ去られるのか。
どちらを選ぶかはお前たち次第だ。」
リュウヤは最後にそれだけ言うと、薬師のエルフたちの元に行く。
医師たちの診療所に隣接する部屋にいるエルフたちは、リュウヤの入室を確認すると全員起立しようとする。
それを手を挙げて制すると、
「お前たちの薬を必要としている者たちもいよう。仕事の手を休めるな。」
「は、はい!」
代表者を残して仕事に戻る。
冬の間、需要が高まるのは風邪をひいた時のための熱冷ましと、咳止めをはじめとする喉の薬。
冬の前に採取した薬草を使い、薬の増産に励むエルフたち。
その傍でリュウヤは代表者アウクスティと話をしている。
ここでも、リュウヤはエルフたちの持つ薬学・薬草学を、皆に伝える気はないか、その確認をしている。
「我々としては、吝かではありません。」
ダニーロ医師たちとの会話が聞こえていたのかもしれない。
「話が早いな。」
「元々、我々エルフは人間族に幾らかの薬草の知識を与えて参りましたから。
それに、陛下がそう話されるということは、この世界の発展に必要不可欠なことなのでしょう?」
この世界の発展に必要不可欠なこと、アウクスティはそう確信したかのように口にする。
「ああ、その通りだ。それを行うことで、次のステージに立つことができる。」
「薬学・薬草学を次のステージに?」
アウクスティの疑問に答えるため、ミーティアに持って来させたものを見せる。
ふたつの凸面レンズを組み合わせた物。
「これは?」
「ドワーフたちに作らせた、顕微鏡という物だ。
色々と説明するよりも、実際に使ってみた方が早いだろう。」
そう言うと、ガラス状の板をセットしてレンズを調節し、アウクスティに覗き見るようにすすめる。
「湖の水を一滴、垂らしたものだ。」
ガラス状の板、プレパラートの説明をする。
「これは?!」
アウクスティは驚きの声をあげる。
「何が見えた?」
「緑の三日月のような物が、見えます。」
リュウヤの問いに、アウクスティが答える。
「それは藻の一種だ。」
「藻、ですか?」
顕微鏡から目を外し、プレパラートの上を見る。
当然ながら、そこに何かがあるようには見えない。
「目に見えないような、小さな物を見るための道具が、その顕微鏡だ。」
その言葉に、聞き耳をたてていたであろうエルフたちが、仕事の手を休めて殺到する。
「私にも見せてください!!」
次から次へと顕微鏡を覗き込み、感嘆の声をあげる。
リュウヤはさらに別のプレパラートをセットして、エルフたちに見るようにすすめる。
「なんだこれは!?」
得体の知れない、見たこともない物がそこにある。
「風邪をひいた者の唾液から採取したものだ。」
「まさか、これが?!」
「俺もそこまでは断定できん。だが、その小さな物、微生物を殺すことができれば、風邪も治し易くなるかもしれん。」
それは他の病にも言えることでもある。
この世界には、よくゲームなどにあるような、全ての状態異常を治す魔法やポーションは存在しない。
治癒魔法といっても、本人の治癒能力を高めて治り易くするというものだ。
だから、細菌学やウィルス学へと進ませることができれば、失わずに済む命も多くなるはずだ。
「お前たちの薬学、薬草学を広めることで土台を作り、次のステージへと進ませる。
次のステージでは、薬草の中から薬効成分を抽出したり、どの成分がどの病に効能があるかを調べ、新たな薬を開発する。」
「!?」
「意外なものから薬効が見つかるかもしれない。」
人類初の抗生物質ペニシリンは、カビから精製された。
「やってみる気はあるか?」
アウクスティだけでなく、この場にいるエルフたちはそれぞれの顔を見合わせる。
そして、
「やらせてください!!」
異口同音に発声する。
「ならば、薬学・薬草学を広めるための教育機関を作らないとな。」
そう言うと具体的な案にするべく、アウクスティと積極的な議論を始めた。
エルフたちとのやりとりが終わり、リュウヤらは夕食を摂る時間となる。
ミーティアとクリスティーネも、リュウヤと同席している。
「陛下。」
リュウヤがサクヤらとの話にひと段落をつけたとき、クリスティーネが話しかける。
「今日のようなことも、科学であり化学なのでしょうか?」
「理の追求という意味でなら、そうだと言えるな。」
なぜ病気になるのか?
どうしたら治るのか?
それらの病理の追求なら、間違いなくそうだろう。
「陛下は、御自分の知識の全てを、この世界にもたらそうとなされているのでしょうか?」
これは、当然の疑問だろう。
「そのつもりはない。
正確に言うならば、全てを持ち込むのには、100年単位で時間がかかる。」
火薬が知られていないことを鑑みるに、この世界の科学レベルは12世紀以前だろう。
だが、顕微鏡があちらの世界で発明されたのは1590年だ。
だから、
「今日の顕微鏡のひとつだけで、300〜400年は先に進ませたはずだ。」
それも、あちらの世界での発明は単レンズのものであり、この世界でリュウヤが作らせたものは複レンズ式だ。
「それに、こちらの世界に持ち込みたくないものも、多数あるからな。」
核兵器などはその最たる物だ。
「これでも、持ち込んでもかまわないものかどうか、慎重に選びながらやっているつもりではあるよ。」
リュウヤの言葉に考え込む、クリスティーネだった。
注)1804年11月14日、60歳の女性の乳癌手術を行う。
患者の女性は、4ヶ月後に死亡している。