製紙と火薬
天狗族のリンウですが、都合により「イナサ」に名前を変更しました
謹慎も10日を過ぎると、リュウヤもふらつくことなく歩くことができるようになり、執務もそれ用の机を使っている。
扉を叩く音に続いて、
「陛下、モミジです。」
という声がかかる。
本来ならば扉を叩いた後に、侍女が確認するのだが、それをすっ飛ばして先に名を伝えるとは、何を急いでいるのだろう?
侍女カエデが確認しようとするのも待てぬように、忙しなくやりとりをしている。
入室してリュウヤの前に立つやいなや、
「陛下、この地で紙の製造に着手していると聞きました。」
昨年、エルフ達を庇護下に置いたあたりから作製を始めたものの、かろうじて実用化に耐える品質であり、特に脱色が思うようにいかず、リュウヤが満足できる白さになってはいない。
「それがどうかしたのか?」
「それを、我々に任せていただけませんか?」
あまりの単刀直入な物言いにリュウヤは苦笑する。
「直截にすぎる物言いだな。
して、それをやりたがる理由はなんだ?」
「はい。我らの中には、故郷においてその職を得ていた者がおります。
その者の技能を活かすためにも、是非ともその職をお与えください。」
ここでふと思い出す。
鬼人族は元々は東方の種族だという。
詳しいことは知らないが、いつの頃からか冥神の眷属となった。
冥神の眷属となった経緯はともかくとして、東方の種族だったことが気にかかる。
「お前たちは、この大陸の東方に居たということだが、どれほどの東だったのだ?」
「?、東の果て、その海上に浮かぶ蓬莱と呼ばれる島でございます。」
蓬莱って、日本の別名であったような・・・。
いや、それよりもあちらの世界で紙の製法が広がったきっかけは、西暦751年、高仙芝(注1)率いる唐軍とアッバース朝イスラム帝国との間に起きたタラス河畔の戦い(注2)だ。
この時に捕虜になった唐軍の兵士の中に、製紙職人が多数いたとされる。
そこから、中東において紙が広がり、やがてヨーロッパへと広がっていった。
この世界も、文明の発達具合があちらの世界と同じような地域格差があるとしたら?
もしかしたら紙の製法などは、オスマル帝国あたりか、もう少し東側の国で止まっているのかもしれない。
そして、もうひとつの可能性に思い当たる。
「陛下、ご許可はいただけませんか?」
何かを考え、沈黙しているリュウヤにモミジが返事を迫る。
「わかった。許可しよう。
だが、現在担当しているエルフたちにも話をしなければならないな。」
少し考え、カエデにミーティアを呼ぶように伝える。
少ししてやってきたミーティアに、モミジとのやりとりを伝え、文書を作成させ、モミジに同行させて製紙工房に行かせ、リュウヤ自身はもうひとつの可能性について思案を始めた。
もうひとつの可能性。
現代の中華人民共和国を見ていると忘れがちになるが、中国というのは人類文明史において、欠くことのできない発明をいくつも生み出している。
紙や羅針盤、活版印刷と並ぶ発明。
そして、戦争のやり方を激変させた物。
そう、火薬である。
実のところ、リュウヤは火薬の存在に否定的だった。
なぜならこの世界には魔法が存在する。
それなのに火薬のような、取り扱いが難しい物を使用するとは思えなかったからだ。
だが、考え方を変えるとどうだろうか?
魔法を使えない者でも、似たようなことができるとなれば・・・。
唐代末期には、黒色火薬が作られていたともいわれているのだから、この世界の技術レベルでも作られている可能性がある。
黒色火薬を使用した兵器くらいなら、リュウヤはどうとでも対応できる。
主立った部下達もそうだ。
だが、人間族だったり、そこまでの力を持たない者たちはどうだろう?
「イチョウ、イナサを呼んでくれ。」
リュウヤは大きな決断を下す。
少ししてイナサが現れる。
「陛下、お召しにより参上いたしました。」
やや芝居掛かった調子なのは、そういうキャラを作ってのことである。
潜入した時に、味方といえど正体が暴露てしまうと、自分のみならず、潜入している他の者たちを危険に晒しかねない。
それを防ぐために、味方の前でもあえて特徴的な芝居掛かった振る舞いをして、印象づけるのだ。
「硝石と硫黄を知っているか?」
「は〜い。硫黄なら、火山の近くで取れま〜す。
です〜が、硝石はぁ・・・」
「堆肥を作るときに、表面が白くなっていることがあるだろう?
あの白いものが硝石だ。」
「それを集め〜てくればいいのです〜ね?」
「そうだ。蝙蝠がたくさん住んでいる洞窟などにもあるだろう。
それから、雨の降らない乾燥地帯なら、多量に見つかるかもしれん。」
「わっかり〜ました。早速〜、指示してまいりま〜す。」
イナサは言葉通りに、すぐに行動に移す。
その一方でイチョウは、
「そのような物を集めて、なにをなさるのでしょうか?」
不思議がっている。
それはそうだろう。堆肥の表面に浮かんでくるようなものなど、いったい何に使うのかがわからない。
「火薬を作る。」
「火薬、ですか?」
「そう、火薬だ。」
火薬の製造方法の確立は、この世界にどのような変化をもたらすか?
魔法の存在が、あちらの世界のような激変への抑止力になるのではないか?
リュウヤは後者になるのではないかと、そう予測している。
そして火薬は、花火などのような形に落ち着くのではないか、と。
リュウヤは、この場での火薬についての説明を避ける。
実のところ、魔法の存在するこの世界での、火薬の兵器としての使用法をリュウヤは思いつかない。
それでも、存在する可能性がある限りは、リュウヤとしては対処法は確立させておきたい。
「陛下。そろそろ夕食の時間になります。」
考え込むリュウヤに、ノワケが声を掛けてくる。
「もうそんな時間か。わかった、準備してくれ。」
30分ほどで準備が整うと、それを見計らったかのように、リュウネとアナスタシア、ナスチャがやって来る。
「王様、晩飯食いに来たぜ。」
いつもと変わらないナスチャの言葉遣いに、アナスタシアが眉をひそめる。
クリスティーネ、エレオノーラ 、マクシミリアンらが夕食をともにしたという話を聞いた若年者達が、
「ずるい!!」
を連呼して、日替わりで彼らも夕食をともにすることになったのだ。
そして、この場にはサクヤも同席することになっている。
少しでも共に過ごし、話をする時間を作るために。
ふと外を見ると、大森林の木々は色づき始めていた。
注1、高仙芝は高句麗系の武将。1万の軍を率いてパミール高原を越えて中央アジアに攻め込み、一時は中央アジア全域を攻略する。
ただ、この際に講和を結んだ相手を騙し討ちして、その財宝を強奪するなどの悪行が多々あり、中央アジア諸国の離反を招き、タラス河畔の戦いで惨敗する。
安禄山・史思明の乱(安史の乱)での戦術的撤退を咎められ、斬罪に処される。
注2、タラス河畔の戦い、西暦751年7〜9月。
東西文明の衝突した戦いであり、唐の先進的な文物が中東からヨーロッパへと伝播するきっかけとなっている。
戦いそのものは、唐に支配されていた中央アジア諸国の離反もあり、唐の惨敗で終わる。