それぞれの夜
王宮に戻ったフィリップに声をかけたのは、ウリエだった。
「遅い帰宅ですね、兄上。」
「お前こそ、この時間まで何をしていたのだ?」
「私は、明日の仕事を前倒しでしていただけです。」
「前倒し?なんでそんなことを?」
「会っていらしたのでしょう、リュウヤ殿と。」
その言葉に、フィリップは苦笑する。
「気づいていたか。」
「私にも、自由に使える駒はいますので。
ただ、何を話しているかまでは、わからなかったようですが。」
ここに、リュウヤが中流層に人気の酒場で会談を行ったのか、その理由がわかる。
下層階級が多い店では、王族を招くには下品過ぎる。
上流階級が多い店では静か過ぎて、聞き耳を立てられてしまう。
中流層が多い店だと、ひどく下品にはならず、それなりに賑やかなために聞き耳も立てづらい。
密談をするには丁度良いのだ。
「ガロアに来た理由を話していたよ。全てではないだろうけどな。」
公使補佐のユリウスの様子を見に来たこと。
アデライードの生家である、エガリテ家への挨拶。
デュラスの出産祝い。
そして、ウリエの婚姻への提案。
「私の婚姻、ですか。」
王族や貴族の婚姻というのは、極めて政治的な要素を持っている。
それは内政であったり、外交であったりと様々な要素が複雑に絡み合う。
「おそらくだが、リュウヤ殿の狙いはこの地方の安定だ。」
血縁関係を結び合うことで、団結力を高め、周辺地域の大国に共同で対応する。
また、龍王国はオスト王国、イストール王国と関税を撤廃しており、経済圏としてかなり大きなものを築こうとしている。
ここまで聞いて、ウリエはひとつの疑問を呈する。
「その経済圏構想は、リュウヤ殿から出たものなのでしょうか?」
もしかしたら、腹違いの姉アデライードの構想なのではないか?
もしそうだとしたら、簡単に乗っかって良いものなのかどうか。
どうしてもアデライードに対しては、裏を考えてしまう。
「それは俺も考えた。だが、それでも経済圏構想には乗ってもいいと、俺は思う。」
経済的な結びつきが強くなれば、経済的損失を考慮しなければならず、簡単に戦争に踏み込めるものではなくなる。
それは図らずも地域の安定化に資するのだ。
現代世界での話だが、かつて麻生太郎氏がイスラエル、ヨルダン、パレスチナ自治区、日本を巻き込んで行おうとした「平和と繁栄の回廊」は、この考えに基づいている。
「それから、婚姻に関しては、なによりもお前の意思を尊重するとのことだ。」
「?」
ポカンとするウリエに、
「あの男がいた世界では、王族といえども本人の意思が最優先されるのだそうだ。」
そうフィリップは付け加えた。
この夜、リュウヤが宿泊したのはエガリテ家の邸宅である。
当初は宿を取るつもりだったのだが、エガリテ家当主であり、アデライードの祖父であるブレソールが強く望んだため、エガリテ邸で宿泊することになった。
アデライードを酒の肴にしている。
ブレソールからは幼い頃の話を。
リュウヤからは、龍王国に来てからの出来事を、それぞれに伝えあっている。
そして、その給仕にはアルテアも参加している。
お客様だからと遠慮されていたのだが、アルテアがどうにも落ち着かず、結局は給仕をすることになった。
もうひとりの供であるサクラは、リュウヤの隣席に座っている。
護衛が座っているのはどうかと、サクラも抵抗したのだが、リュウヤとブレソール老に押し切られ、着席している。
ただ、本人はどうにも落ち着かない様子ではあるが。
アデライードの話がひと段落つくと、今度は商売の話になる。
「リュウヤ陛下は、なにか欲しいものはお有りですかな?」
「欲しいもの、か。今、欲しいのはカイコと桑の木、そして米だな。」
"米"という言葉に、サクラがピクッと反応する。
「それはどのようなものですかな?」
「カイコは蚕蛾という虫の幼虫でな、それの餌となるのが桑の木の葉なんだ。
絹を作るのに、どちらも必要なんだよ。
他の商人に依頼してはいるのだが、なかなか手に入れられないらしい。」
絹の国産化を目指しているのだ、そう説明する。
「米は、穀物の種類のひとつでな、東方の国では主食となっていると聞いている。」
米は長期保存ができ、また粉にするという手間がいらないため、小麦などと比較して、手軽に食べられるということもある。
意外と知られていないことではあるのだが、米はジャガイモや小麦と並んで、人口増加に非常に貢献した作物でもある。
「それに、米は加工して酒を作ることもできるからな。新たな特産品とできるかもしれない。」
酒粕に、米麹が取れれば、甘酒を作ることもできる。
甘酒は栄養価も高いため、幼児期の栄養補給に使えるのではないかと、リュウヤは考えている。
「あとは、砂糖も欲しいが、サトウキビは我が国の気候では、栽培は難しいだろうな。
すると甜菜だな。」
「ほう、その甜菜とはどのようなものですかな?」
「北方で採れる、ビートという根菜の一種だ。
寒い地域でも採れる、砂糖の原料となり得る作物だ。
エルフたちにも探させてはいるのだが、なかなか見つからなくてな。」
「なるほど。私の方でも、伝手を頼って探してみることにしましょう。」
ブレソール老の申し出に、
「それは有り難い。是非ともお願いしたい。」
このように酒はすすみ、夜は更けていった。