東方の動き
オスト王国、セルヴィ王国の両国からの使節団が到着してから、リュウヤは多忙な日々を過ごしている。
基本的に、午前中にオスト王国の使節団。
午後にセルヴィ王国の使節団との会談や交渉が行われ、その合間を縫って通常の政務を執る。
朝食は兎も角、昼食は取れないことも多く、また夕食も遅い時間になることもある。
そんな時に有難いのが、リュウヤが指示して作らせたサンドウィッチである。
サンドウィッチに似たようなものはあったのだが、現代日本のコンビニエンスストアで売られているような、野菜やハム等の肉類を挟んだ物がなかったことと、食パンのような角張ったパンが無かったため、それらを作らせて、普及させたのだ。
普及させたところ、これが領民たちに非常にウケた。
仕事中に、手軽に食べられる軽食としてだけでなく、中に挟む具材によっては無限ともいえるバリエーションがあり、領内のパン屋では競って自分たちのオリジナル商品を作っている。
また、それらのPRにはリュウヤも積極的に関わっている。
いつもではないが、サンドウィッチを侍女に買いに行かせるのだが、その際に「リュウヤの使い」であることを大きく喧伝させるのだ。
そうするとどうなるか?
「王様があの店のサンドウィッチを食べられたそうだ。」
となり、国王と同じ物を食べたいと、客が殺到することになる。
本来なら、リュウヤ自身が行きたいところなのだが、サンドウィッチのような軽食を食べる機会となると、それは忙しい状況であり、自ら行くことはできないのである。
このような、領主自らがPRするというのは、尾張徳川家第7代徳川宗春という前例がある。
宗春は、芝居小屋などに行くことで衆目を集めると、そんな衆人環視の中で弁当を注文し、食している。
それを見た他の客が、
「殿様と同じ物を!」
と注文して、流行を生み出していた。
また、宗春は頻繁に芝居小屋に出かけており、それが「芸どころ名古屋」を生み出したとも言われている。
執務室の机に向かい、秘書ミーティアとともに書類の山に戦いを挑んでいるリュウヤの元に、シニシャがやって来た。
「ほう、旨そうなもの食ってんじゃねえか。」
無遠慮に、リュウヤの目の前のサンドウィッチを手に取ると、そのまま食べ始める。
「手軽に食えるな、これは。」
そして、さらにもうひとつ手に取る。
「なんて名前の食い物なんだ?」
「サンドウィッチという名前だ。」
このサンドウィッチという名前、イギリスの貴族であるサンドウィッチ伯爵ジョン・モンテギューから付けられたという逸話がある。
カードゲーム好きが行きすぎて、食べる間を惜しむほどになってしまい、カードゲームの最中でも食べられるものとして、サンドウィッチばかり食べていたのだとか。
ただ、サンドウィッチの原型ともいえるものは既に存在しており、それを広めた人間として、その名が残り、食べ物の名前となったのが、実情らしい。
「サンドウィッチ、か。うちの国でも、広めたいものだな。」
「作りたければ、勝手に作ればいいさ。
ところで・・・」
「ん?なんだ?」
「それ以上、お前に食われると、俺の分が無くなるんだが。」
シニシャはふたつめを食べ終わり、3つめ4つめを両手に持っている。
「ああ、悪い悪い。
食べ始めると、なかなか止まらなくてな。」
そう言うと、笑って誤魔化そうとしている。
「知っているか?
食い物の恨みは恐ろしい、そういう格言があることを。」
この格言は、領民を飢えさせると、その反動として反乱が起きるということを暗示したものである。
それが長じて、他人の食べ物を奪うと、その後にとんでもない反撃を受けるぞ、という警句にもなっている。
「ちっ!仕方ないな。」
そう言いながら、左手のサンドウィッチを元に戻すが、右手のものは手離そうとはしない。
「そういえば、聞きたいことがあったのだが・・・」
書類をチェックしながら、リュウヤはシニシャに問いかける。
「国王とお前、ふたりが同時に国を留守にしても大丈夫なのか?」
「ああ、それなら弟がいるからな。」
「弟?」
「うちは三兄弟でな。俺が軍事担当なのだが、兄と弟が内政と外交を担当している。
軍事に関して俺には劣るが、アルカンやゴランたちがいるからな。
俺が戻るまでの時間稼ぎはできる。
それに、俺が急遽戻る状況になれば、龍王国からも兵を出してくれるんだろう?」
「まあ、そうなるな。」
「だったら、なおさら問題はないさ。」
そう言って笑う。
そこまで信用されても困るのだが、と、リュウヤは内心でそう思う。
なにが起こるかなど、全てを見通せるわけではないのだ。
「そうそう、リュウヤ殿に伝えておきたいことがあった。」
リュウヤ"殿"と改まった物言いに、書類に向けていた視線を上げる。
「オスマル帝国と翼人族の間が、きな臭くなってきている。」
翼人族が住処としているのは、世界の屋根とも称される山脈だったはず。
どういう利害があってきな臭くなるのか、リュウヤには想像がつかない。
"地平の続く限り"進んだモンゴルや、"タタールの軛"からの脱却を目指して進んだ帝政ロシアなら兎も角
、常識的に考えれば、そんな山脈を無理して攻める必要はないし、また翼人族からオスマル帝国に攻め込む理由も無いように感じられる。
「利害関係がどうなっているのかわからんから、きな臭くなる理由が知りたいな。」
「やはりわからんか。
実は俺にもよくわからんのだ。
両者は、うまく住み分けができていたのだからな。」
なるほど、自分の耳に入れたのは念のためということか。
両者の戦いが始まれば、なんらかの影響を受ける可能性がある、と。
「調べてみるとしよう。」
そう言うと、リュウヤは机上の鈴を鳴らす。
「失礼します。」
入ってきたのは鬼人族の双子の侍女イチョウとカエデ。
ふたりとも、黒い髪を肩のあたりで切り揃えている。
パッと見は大柄な人間族の女性だが、額に明確な違いを主張する一本の角がある。
「エストレイシアとライラに伝えてほしいことがある。
オスマル帝国と翼人族の動きを調べるように、と。」
「わかりました。」
ふたりは異口同音に口にすると、すぐに行動に移した。
その様子を見て、シニシャがこぼす。
「とんでもない奴らを配下にしやがって。
お前は、この世界を征服でもするつもりなのか?」
「そんな気はないな。
俺の腕はそんなにも長くはない。
この国と、友好国の安寧が守れれば、それで十分だ。」
「それを聞いて安心したよ。」
リュウヤの返答に満足したのか、シニシャは立ち上がると扉に向けて歩き出す。
「もう行くのか?」
「もう少ししたら、また顔を合わすんだろうけどな。」
そう、午後からの交渉が待っている。
事実上、既に譲渡しているコスヴォル地方を、形式上でもセルヴィ王国に譲渡するための交渉だ。
交渉は既に詰めの作業にはいっており、コスヴォル地方の対価をどうするか、それだけである。
それも、今日で終わる予定であり、予定通りに進めば、シニシャらは明日にでも帰国することになる。
だから、オスマル帝国の情報をこちらに入れたのだろう。
シニシャが退室したことを確認すると、
「ミーティア、もう少ししたら休憩にしようか。」
「はい、陛下。」
共に書類の山と格闘している戦友のエルフの秘書は、リュウヤの言葉にホッとしたように返事をしたのだった。