元教皇バーレ
大地母神神殿の前教皇バーレが、龍王国に辿り着いたのは、宣告を受けてから9日目の夕方だった。
前日に、トライア山脈北方の森林地帯に着くと、そこからはまずエルフによって案内される。
そしてトライア山脈に根拠地を置くドワーフの王国では、ドワーフの案内で坑道を抜ける。
そして坑道を抜けたところでは、再びエルフによって案内されてきたのだ。
北の森林地帯では、ほとんど獣道のような道しかなく、その後には山道に入り、坑道を通る。
よくもこんな道を、1日かけて踏破できたものだと、バーレは本心から思う。
格式がどうのと言っていたら、絶対に遅れていたに違いない。
退位する事で、従者の数を減らして正解だった。
トライア山脈を越えてからは、道もかなり舗装されており、また馬車の用意もされていたため、そこからはなんとかなったのだが。
あれがまた獣道だったらと思うと、ゾッとしてしまう。
今回、連れてきた随員の数は250名。
護衛の者が200名で、正式な使節団としては50名であり、その随員のほとんどがバーレ自身が選んだ者達である。
これも、「最後のわがまま」として要求し、認められたものである。
認めた側の幹部たちは、今頃、次期教皇選出のための枢機卿会議を開いており、その多数派工作のために人員を割ける派閥はおらず、結果としてバーレの要求が認められる形になったのだ。
かくして、この元教皇バーレ一行は、弱小派閥の人員で構成されていた。
すでに陽は落ちかけており、このような時間に王宮に向かうのは非礼にあたる。
そのため、バーレ一行はあてがわれた宿にて、翌日のための対策を協議する。
まず、どうしても確認しなければならないのが、"本当にリュウヤ及び聖女を襲った者"がいるのかどうか。
このことは、それぞれの馬車の馭者や、案内役のエルフたちからその名前を聞いていた。
相手は隠すつもりもなかったようである。
いや、ここまで来たからこそ、隠さなかったのだろう。
「ゾシムスと言っておったな。誰ぞ、知っている者はおらぬか?」
バーレの言葉に、
「聖女を私物化しようとしていた派閥に、そのような名のものがいたかと。」
「そういえば、聖女の家族が亡くなった時、服喪する期間で幾度となく陳情に来たのが、ゾシムスという名の者でありました。」
「陳情に来ていたとなれば、顔を見た者もおるのか?」
バーレの言葉に、5名ほどが頷く。
こうなると、龍王国側の言い分が正しいのではないかと思われてしまう。
では、どうすればいいのか・・・?
実は、彼らにはどうすればいいのか、既に答えが出ている。
問題は、それを如何にして悪者にならないように実行するか。
そのための会議が夜更けまで開かれていた。
翌朝。
先触れの使者を遣わし、そして昼頃になってから岩山の王宮へと向かう。
彼らを出迎えたのは、
「私はイシドール・アスラン。リュウヤ陛下の執事を務めさせていただいております。
陛下より、元教皇バーレ様御一行を案内するよう、申しつかっております。」
慇懃な挨拶に鷹揚に頷く。
だが、この執事だという存在に、途轍もない恐怖を覚える。
見た目は確かに人間に見える。
だが、ただ後ろについて歩いているだけで背中から噴き出す汗は、どう説明すれば良いのだろう?
それに、この男は自分の事を"元教皇"と呼んだ。
まだ退位したことは公表してはおらず、大地母神神殿の幹部たちと、随員一行しか知らないはずなのだ。
後ろにいる随員たちに視線を送るが、皆、首を横に振る。
誰も退位したことを話していないようだ。
ならば、なぜ知っている?
疑問を抱きながらついていく。
ついていった先は、バルコニー状になっており、かなりの広さがある。
いくつかのテーブルがあり、その一番奥にひとりの人物が座っており、その傍らに侍女らしき少女が控えている。
執事だと名乗ったイシドール・アスランがその人物の元に行き、短いやり取りがされるが、バーレの位置からはその声は聞こえない。
戻ってきたアスランに促され、その人物の元へ足を運ぶ。
「遠路遥々、よくぞ来られた。」
その人物はそう声をかけると、椅子を勧める。
その言葉に応じてバーレは椅子に座り、対面の席に座っている人物を見る。
一見すると優男風である。
だが、感じられるのは先程の執事などより遥かにヤバイもの。
執事が与えたのが恐怖なら、この目の前の男から感じられるのは絶望。
「私がリュウヤだ。
折角、遠路遥々来ていただいたのだ。
互いに"嘘偽りなく"、胸襟を開いて会談を進めようではないか、教皇猊下」
バーレは思わず鷹揚に頷きそうになるが、頭の中に警告音が鳴り響いているのを感じる。
"嘘偽りなく"?
"教皇猊下"?
執事は元教皇と呼んでいた・・・
「いえ、元教皇でございます、リュウヤ陛下。」
そう答え、頭を下げる。
その瞬間、自分を圧迫していた何かが消え失せたことを感じる。
そのことにより、バーレは第一段階をクリアできたことを知った。