ギュッシング城下の戦い 前編
初めての前後編。
明け方、ヴァイゲル子爵は全軍にヴァイツへの撤退を命じた。
失火により、兵糧を喪失したための撤退、それが名目である。
撤退の様子も、やや混乱が見られるようではあるが、それでも全体的には整然としているかのように見える。
セルヴィ王国軍、アルカンは選択を迫られている。
このまま見過ごしてしまえば、敵は改めて態勢を整えてくる。それは現在、外に出しているビナ隊への対応策を取って。
それならば、ここで偽装撤退を本物の撤退、いや敗走に変えるべく攻勢に出るべきではないか・・・。
「どうした?」
ゴランが考えこんでいるアルカンに話しかける。
「迷ってるんだよ。見逃すべきか、出るべきかってな。」
十中八九、罠であるとアルカンは見ている。
兵糧を喪失したのは事実だろうが、その原因となったとされる失火は、わざとではないか。
本当に失火ならば、もっと混乱が見られても良かったはず。
だが、実際には失火につけ込んで夜襲をかける隙すらなかった。
「らしくねえなあ。出たいんだろ、おまえは。」
ゴランのあけすけな物言いは、アルカンでさえ苦笑させられる。
「俺たちが出て、敵の主力を引きつけている間に、ビナ隊が背後か側面を攻撃する。別に勝てなくても、相応の打撃を食らわしてやればいい。」
本隊が攻勢に出れば、それを見たビナ隊が呼応するだろう。
それに、すぐ近くまで龍王国軍も来ているのだ。
「そうだな。出るとしよう。」
アルカンはそう宣言する。
手をこまねいて動かぬより、たとえ罠があるとわかっていても攻勢にでる方が、自分らしい。
全軍を持っての攻勢を決断した。
一方のヴァイゲル子爵は敵の追撃を想定して、殿軍をハース将軍に任せ、後退を開始する。
気がかりなのは、外に出ている敵騎兵の存在。
この時、ヴァイゲル子爵をはじめとする、コスヴォル派遣軍の指揮官クラスの者たちの頭には、龍王国軍の所在というものに関心はなかった。
それも仕方がないかもしれない。
龍王国軍に対応するために派遣された方面軍からは、なんの報せもなく、それがために警戒する必要を感じなかったのである。
マティアス候としても、敵よりも圧倒的に多数の兵を率いていながら、敵を取り逃がしたなどとは報せることができなかった。
ましてや、代々の貴族である自分が、一代貴族のヴァイゲルに不利になるような情報を流すことは、プライドが許さなかったのだ。
これは、両軍を統括する者を置かなかった宮廷の不作為による失態である。
ただ、失態であると決めつけるの、少々酷であるかもしれない。
セルヴィ王国軍と龍王国軍が、互いに連携しているという疑念はあっても確証はなく、統括する必要があると決断できなかったのだ。
また、統括する者を置くとして、その任に誰を選ぶかという問題もあった。
それが、ここに至って情報の共有の不備という欠陥を浮かびあがらせることになる。
一部の兵を残し、攻勢に出たアルカンの鋭鋒をハース将軍は、まさに老練と言うべき巧みさで包み込む。
包囲殲滅とまでは、流石に指揮する兵数の問題もありできない。
包囲殲滅ができない理由はもう一つ。アルカンの桁外れの勇猛さだ。
"獰猛なるアルカン"とは、王宮の者どもの名付けた異名ではあるが、それが伊達ではないことをアルカンは示していた。
その身の倍以上の長槍を振るい、当たるをさいわいに薙ぎ倒していく。
アルカンの勇猛果敢な戦いぶりに、指揮下の虎部隊も勢いづく。
元々、勇猛果敢な部隊として知られた虎部隊だが、アルカンという指揮官を持ったことで、それまで以上の勇猛さを得たようである。
「凄まじいものだな。」
殿軍を務め、虎部隊と激闘を繰り広げているハース将軍は感嘆する。
「想定以上の勇猛さ。我が隊のみで殲滅しようというのは、虫が良すぎたな。」
ハース将軍は早々に、単独での殲滅を諦めて自隊を後退させる。
一歩間違えば壊走に繋がりかねないが、その老練な手腕を発揮して徐々に後退させていく。
ハース隊が後退してできた場に、セルヴィ王国軍は踏み込んでいく。
それを見たハース将軍は、両隣の隊に手旗信号による合図を送る。
両隣のそれぞれの隊は、アルカン指揮下の虎部隊を側面から攻撃、包囲へとかかる。
「老獪な!」
アルカンは吐き捨てるように、かつ称賛するかのように言う。そして、
「これ以上深入りするな!!一旦退け!!」
部下たちに命令をだす。
その退こうとする虎部隊を、今度はハース将軍指揮下の部隊が追撃しようとする。
その手際の良さに、アルカンは背中に冷たい汗を流す。
「やばい。」
その言葉が口を出そうになるが、そこを救ったのはビナ指揮下の騎兵隊だった。
ビナ隊はオスト王国軍の右翼へ突進、痛撃を与える。
思わぬ攻撃に、オスト王国軍右翼は混乱に陥る。
「苦戦しているようじゃねえか、アルカン。」
包囲の一角を崩し、虎部隊と合流したビナはアルカンを見ると、毒づいてみせる。
「けっ!お前らの力なんぞいらん、と言いたいところだが、助かった。」
ふたりは顔を見合わせて笑う。
「これ以上は無理だ。ギュッシングへ退くぞ。」
「わかった!」
セルヴィ王国軍は、敵右翼が混乱している隙に撤退を選択する。
だが、オスト王国軍も簡単に逃がしてはくれない。
この軍の総指揮官たるヴァイゲル子爵は、予備兵力を右翼へと差し向けて混乱を治めると、クルト・ギュルダンに命じる。
「麾下の騎兵を持って、敵の背後に回り込め!」
これが上手くいけば、この場で包囲殲滅できる。
そうならなくても、混戦へと持ち込んでギュッシング内へ雪崩込める。
勝敗は決したかのように見えた。