宿将
コスヴォルへと向かった1万の軍。
指揮を執るのはヘルムート・ヴァイゲル子爵。
爵位はあれども領地を持たぬ、一代貴族と呼ばれる貴族である。
一代貴族には武功を立てた者を取り立てることが多く、武功派ともよばれる。
ヴァイゲル子爵本人は、元々は"王国騎士"という下級貴族であり、若い頃より戦場に身を置くことで、一代きりとはいえ爵位をいただく身となった。
一代貴族とはいえ、爵位を持つまでに至ったヴァイゲルは無能とは程遠い人物である。
そして、その部下にも優秀な人材が多くいる。
彼は、アルカン指揮下の虎部隊がヴァイツに迫っていることを知ると、騎兵1千を抽出してギュッシングを突く動きを示す。
アルカンもその動きを知ると、ビナ指揮下の騎兵に対応させると同時に、自身の指揮する部隊もギュッシングへ整然と後退させた。
「王宮の現場を知らぬ者どもは、"獰猛なるアルカン"などと呼んでいるそうだが、ただの獰猛な男なら苦労はせぬわ。」
整然と後退する様子を見て、ヴァイゲルは言う。
斥候の報告、目の前で後退して行く様を見るに、コスヴォルに侵入したのはおよそ4千。
互いに1千騎の騎兵をギュッシングへと向かわせているから、9千対3千。3倍に達する敵を前にして、整然と後退できるというのは、尋常ならざる統率力の持ち主だ。
「うわさ以上に手強い相手だぞ、アルカンという男は。」
部下たちを前に感嘆してみせる。
「そうですな。」
ヴァイゲルの部下たちの中だけでなく、ヴァイゲルよりも年長である、ヨハン・ハース将軍が応じる。
ハース将軍は、一兵卒からの叩き上げで将軍と呼ばれる地位に就いた、オスト王国の立志伝中の人物である。
気さくな人柄と、その戦歴から兵士はもちろん、一般の市井の者たちからの人気も高い。
そして、今回の軍の副将格でもある。
「ハース将軍、私はこのままヴァイツに入ろうと思いますが、将軍はどのようにお考えでしょうか?」
主将たるヴァイゲルも、この老将を無碍に扱うことはできないし、そのような気もない。
この老将は、自分たち年少者を軽んじる人物ではないし、むしろ年少者を立ててくれる人格者としても知られているのだ。
「それがよろしいかと。ヴァイツにて兵に休養をとらせ、その間にセルヴィ王国軍への対応を考えましょう。」
その言葉にヴァイゲルは頷き、そのように指示を出した。
一方のアルカンは、オスト王国軍の対応に軽く拍手していた。
「すぐに追撃してくると思ったんだがな。」
そうしたら、反撃に打って出て痛撃を食らわしてやったのに。
そう考えていたのだが、ここは相手の方が一枚上手らしい。
さらに斥候からの報告では、兵に休養を与えているという。
「しっかりと、準備を整えてから来るってことだな。」
アルカンの隣に立つビナは面白くなさそうに言う。
実際のところは、面白くないどころの状況ではない。
相手はこちらよりも多数の兵で、準備万端に整えて来るのだ。
こちらに付け入る隙を見せない、そういうことだろう。
こうなると、生半可な奇策では通用しない。
「知ってるか、ビナ?」
「何をだ?」
「相手には、バースの爺さんが来ているそうだぜ?」
「あのバースか・・・。」
オスト王国の宿将中の宿将。
数年前、コスヴォルを失った時にもその軍中にいた。
あの時、アルカンらは宿将の老練な用兵に翻弄されたものだ。
「今度は、あの時のようにはいかねえぜ。」
アルカンらの口元には、不敵な笑みが浮かんでいた。