偽陣
オスト王国の二軍。
龍王国軍を迎撃する1万5千の軍を指揮するのは、リーツェン候マティアス。
リーツェンというのは彼の領地であり、それに彼のもつ爵位である"候"を加えて、リーツェン候と呼ばれる。
領地+爵位で呼ばれることは、別に珍しいことではなく、貴族によってはその領地名をそのまま自らの姓にすることすらある。
そして、リーツェン候はそんな貴族のひとりでもある。
ちなみにオスト王国における爵位制度では、"公爵位"は王族のみの一代貴族であり、臣下の最高位は"侯爵"である。
王族はその後、継嗣のいない貴族の家に養子に出されるか、断絶した貴族家を継ぐかとなる。
リーツェン候家は、代々の武門の家柄であり、過去に大将軍位になるものを幾人か輩出している。
そして、現当主マティアスも大将軍位に立つのではないかと噂されている。
リーツェン候マティアス。
年齢は40代に達したばかり。気力・体力ともに充実している。
そのマティアスがこの2日、奇妙な感覚に襲われている。
目の前に敵がおり、たしかに陣を張っている。
「龍王国軍は、勇猛果敢な軍だと聞いていたのだが・・・」
そう口にする。
その勇猛果敢なはずの軍が、目の前に敵がいるにもかかわらず、なぜ攻撃して来ない?
「何か策でもあるのでしょうか?」
マティアスの思いを代弁したのは、腹心のクルト・カレルギーである。
クルトは、このような時に自分の内心を代弁してくれる、とても貴重な存在である。
そして、このような発言をきっかけとして、幕僚たちは活発な意見をぶつけ合う。
「無論、策はあるでしょうな。」
ヨッヘン・ファウベルは腕組みをしながら発言する。
「ですが、どのような策を立てているかが重要でしょう。」
当たり前のことではあるのだが、ヨッヘン・ファウベルの発言は、周囲の者たちにひとつの方向性を与える。
見た目から、そして実績そのものも武骨なヨッヘン・ファウベルだが、猪突猛進の単なる武人ではない。
「ファウベル将軍の言われる通りですね。今回のような状況なら、寡兵である龍王国軍は、なんらかの奇策を用意しているものと思われます。」
この発言は、ローランド・ヴェンツェンリンガー。
どこか柔和な印象を与える男だが、その実績は勇将そのものであり、次代のオスト王国軍の中核を担うと期待されている。
「敵兵力は約2千ほどと、斥候から報告を受けております。いくら龍王国軍が精強と言っても、正面からぶつかるとは思えません。」
ヴェンツェンリンガーの発言は正鵠を射ている。
7.5倍の敵に、正面からぶつかるなどあり得ない。
すると考えられるのはふたつ。
ひとつ目は時間稼ぎ。
だが、これは龍王国との国境付近に放っている斥候からの報告に、敵が援軍を派遣したというものはない。
ならばふたつ目。
目の前にいるのは目眩しで、敵はすでに行動をしている可能性が高いということ。
目の前にいるように見せかけて、実際には夜襲を仕掛けるべく行動をしている・・・。
「過去の龍王国軍の戦い方を知るに、後者の方がありそうではあるな。」
マティアスは決断をする。
「今夜はこのまま、夜襲に備えつつ対陣する。そして、なにもなければそのまま正面の敵を攻撃、殲滅する。」
極めて妥当な判断であるように、この時は思えた。
夜襲を受けることなく、夜が明けるとオスト王国軍は一気に攻勢をかける。
応戦はあるにはあったが、それは小規模なものでしかなく、しかも土人形によるものだった。
しかも術者がおらず、脆弱すぎる抵抗。
「これは・・・」
龍王国軍の陣地だと思っていたものは、土人形が単純作業で構築したもので、まともな陣地と呼べるものではなく、拍子抜けしてしまうものだった。
「我らは、こんなものを警戒していたのか・・・」
ヨッヘン・ファウベル将軍は、気の抜けたような声を出す。
「単なる時間稼ぎだった?」
ヴェンツェンリンガーは、そう呟く。
時間稼ぎだったなら、その目的は・・・
「しまった!してやられた!」
マティアスが声をあげる。
これは偽陣。
陣を構えているように見せかけて、実際には別の場所へ移動している。
その移動先はどこか?
「まさかコスヴォルに?」
「おそらくはその"まさか"だ。コスヴォルに向かいセルヴィ王国軍と合流を果たす気だ。」
コスヴォル派遣軍を先に破り、こちらにあたる。もしくは、そのまま王都グラーツを突く。
そのような行動を取られたとしても、敗れるとは思わぬが、被害は増加する。それを防ぐためには、我々も即座に行動せねばならない。
「我らもコスヴォルに向かう!敵の背後を突き、撃滅するのだ!!」
マティアスは即座に決断をする。
1万5千の軍は、コスヴォルへと向かった。