ピリン村村長と馬乳酒
エストレイシアとユーリャによる、不毛なやり取りが終わったのは、一時間後のことだった。
ただ、寝室の扉には厳重に鍵をかけることを決意したリュウヤである。
不毛なやり取りにより消耗したリュウヤだが、それでも視察は続行する。
この地に来た時の第一印象通り、牧畜がこの村の主要産業であり、食肉や乳製品製造、羊毛を使った繊維産業。飼育している動物の皮を使った皮革製品製造。
馬をはじめとする家畜の繁殖と販売。
「産業としては、自立してやっていけそうではあるな。」
問題は、家畜の飼料の入手か。
特に馬は、「鯨飲馬食」という言葉があるほどに大食らいであり、その分大量の飼料が必要になる。
麦の生産が盛んなアルナック村から麦藁を仕入れるとして、それだけで足りるだろうか?
そもそもアルナック村も羊の飼育をしており、ピリン村に回せるだけの余裕があるかどうか・・・。
「飼料用穀物として、大麦やライ麦の栽培も進める必要があるか。」
大麦の場合は、さらに加工してビール製造ということも考えられる。
どちらにせよ、作付面積の拡大はしなければならないだろう。
そのためには森を切り拓くか、国境まで開墾するか。
国境まで開墾するとなると、その国境を確定させる必要がある。現在確定しているのは、イストール王国とパドヴァのみ。
今のところ、国境の確定のきっかけはない。もっとも、そういったきっかけは紛争であることが多いのだが。
「ルドラたちに確認する必要があるな。」
そう呟く。
現在の作付面積と予想収穫量、食料消費量の予測も必要か。
考えなければならないことは多いが、あまり細かいのも部下に負担をかけることになる。それは、ときに何も知らない以上に。
「聖女様。」
「あ、村長。」
ユーリャに話しかけてきたのは、この村の村長らしい。
「聖女様、仕事は終わられたのですかな?」
停留所で会った女性から話を聞いたのだろう。確かあのときは、土塁工事で負傷者が出たことになってたっけ。
「うん、終わったよ。それで、神官長様には癒しが終わったら自由にしていいって言われてるの。」
打ち合わせをしたわけではないが、すぐにそれなりの言葉が出るということは、頭の回転が速いのだろう。
「それでは、そちらのお付きの方も一緒に昼食などはいかがですかな?たいした物はありませんが。」
「それでは、ご一緒させていただきます。」
リュウヤは、ユーリャのお付きを演じることにした。
村長の家で昼食を摂る。
出された料理は羊肉が中心である。
硬めの黒パンを齧りつつ、羊肉をつまむ。
そして村長と雑談に興じる。
「これもどうぞ。」
そう言って出されたのは、白い微発泡している液体だった。
「美味しそう。」
一番最初に口をつけたのはユーリャだ。
一口、口に含んでとても形容しがたい表情になる。
「馬乳酒か。」
文字通り、馬の乳を発酵させたもので、強い酸味があることで知られる。
また、ビタミンが豊富で栄養価が高く、モンゴルでは野菜の代わりになっているという。
ただ、飲み慣れない者が多量に摂取すると、下痢を起こすことがあるため注意が必要である。
ちなみに、日本の乳性飲料である「カルピス」は、この馬乳酒から着想を得て開発されたものだという。
「なるほど、これで野菜不足を補っていたわけか。」
この村の耕作面積の割には、麦類の比率がやたら高く、野菜関係の比率が極端に低かった。
それを、馬乳酒を飲むことで栄養の偏りを防いでいたようだ。
彼らに、その知識があったかは不明だが。
万能食品と言ってもいいような馬乳酒だが、大きな欠点もある。
それは臭いがキツイことと、酸味がとても強いことだ。
勢いよく口に含んだユーリャは、口直しに水を飲んでいるし、アルテアとマテオは立ち上る臭気に眉をひそめている。
リュウヤはグイっと一飲みすると、
「これは、好みが大きく別れるな。」
と感想を述べる。
「そうでしょうなあ。」
村長もわかっているようだ。
すると、そんな馬乳酒をあえて出したのは、こちらの反応を伺ったということか。
すると、なかなか茶目っ気のある人物のようではないか。
こういう人物と話をするのは、とても楽しいもの。
ついつい、長居をしてしまう。
結局、リュウヤらが村長宅を辞したのは、3時間ほど経ってからだった。