さけぶ、はなたち。 そのいち。
「なぁ夢花、一応言っとくけど、夢魔の力で夢に入るのと、お前がいっつも無意識に入ってるのとじゃわけが違う。 オレたちが今から入んのは悪夢だ、それも自然に見る悪夢とはわけが違う」
「怖い夢……ってことだよね」
真っ白な部屋。 そこには昨日とは違う、大きな扉があった。 ウサちゃん曰く、この扉を通してその夢魔が住み着いてしまった悪夢へと行くらしい。 見た目こそ普通の大きな木の扉は、まだ閉まっている。
「肉体的なことはなんも心配ないけど、精神的には結構キツイかもしれない。 特にお前のような多感な時期だと尚更……」
「ウサちゃん、心配してくれてるの?」
「……は!? なわけねえだろタコ助! お前みたいなレアもんは中々いねえからビビられると困るんだよ!」
「うん、ありがとう」
「だから――――――――わふっ」
ウサちゃんを抱きしめ、頭を撫でる。 私を心配してくれているということは、ウサちゃんの言葉からよく伝わった。
「大丈夫だよ。 私がなんとかしないと、ウサちゃんもその夢を見ている人も大変なんでしょ? だったら私がなんとかしないと、だしね」
「……まずいと思ったらすぐ言えよ。 無理矢理脱出すんのはすぐにできる」
「うん」
誰かがやらないとダメ、そしてそれが私にできるのなら、私は何かをしてみたい。 それはお礼、誰かに対するお礼。 今まで沢山夢を見てきた、良い夢から悪い夢、楽しい夢から悲しい夢。 それらは少なくとも、落ち込んだときは元気づけてくれたりもした。 もちろん、良いことばかりじゃなかったけど。
それでも私が辛いとき、今までで一番悲しかったとき、そのとき良い夢が見れたことは忘れない。 それにどれだけ救われたか、忘れてはいけない。 私はずっと覚えている、その夢をハッキリとおぼえている。
恩返しをしよう。 私は夢喰らいの夢花、今宵の夢を食べましょう。
「んしょ……っ!」
扉を潜る、どこかへ落ちる、視界が白から黒へと移り変わる。 一瞬だけ意識が遠のいて、しかしすぐにハッキリして、そこは既に誰かの夢の中だった。
地面に足が着く。 そこは良くある街中で、人の気配こそ全くなかったけれど、街路樹もあれば建物もあった。 しかし異常はすぐに見つかった。
「ワァアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!」
小さな花には口があり、それらは無数に大きな建物の上へと生えている。 風に揺られて踊っているようで、花たちはその口を大きく開け、声を出していた。 あまりにも大きな声は耳が痛くなるほどで、私は咄嗟に耳を覆う。
「な、なにこれっ!!」
「そういう夢ってわけだろ!! とりあえずここ離れるぞ!!」
耳を抑えながら、私とウサちゃんは話す。 さすがに耳をつんざくような声をいつまでも聞いていたら、耳がおかしくなってしまいそうだ。 ひとまずここを離れた方が良い、その判断から私とウサちゃんは走り出す。
大きな建物の屋上、そこに花は数百という本数で咲き誇り、叫び続けている。 私がその場所から離れるまでの間に確認したのは、そんな異常だけだった。
それから走ること数分。 大きな建物がようやく遠く離れたそのとき、ようやく花たちの声は消えた。 消えた、というよりかは叫ぶのを止めたに近い。 ある程度離れると叫ぶのを止めるのか、ということは私とウサちゃんに反応していたということになる。
「……あーびっくりして死ぬかと思ったぜ。 いきなりドッキリ地味たことは止めてもらいたいもんだ」
「ほんとだよー、心臓止まるかと思った」
胸を抑えて私は言う。 驚いたのもあるけど、走ったこともあってバクバクと脈を打っているのが手の平越しに伝わってきた。
「他の場所は普通だな。 よくある街中って感じだが……おかしいのはあそこだけか」
ウサちゃんは言うと、遠くにある大きな建物を指差した。 そこで改めて視線を向け、ようやく私は気付く。
「……病院?」
大きな、病院。 そんな遠くから見ても分かるほど、病院ということを表している建物。 見た目は普通なのに、私はその建物を見て病院だと思った。
「病院としてある建物なんだろうな。 んで、その屋上に叫ぶ花。 意味がわかんねえなぁ」
「でも、あそこに何かあるってことだよね。 あの病院に」
問題はどうやって近づくか。 あそこに何かあるとして、近づく方法が見当たらない。 他には変な部分は見当たらず、無理矢理いけばあのお花たちの声で耳がやられてしまう。
「場所の問題かもな。 出た場所が病院の正面ってことは、こういうのも考えられる」
ウサちゃんは言うと、一歩踏み出す。 そこはさっきまで私たちが居た場所で、花の声が聞こえていた場所。 でも、不思議なことにウサちゃんが再度そこに入っても、花たちは叫びだすことがなかった。
「こっちを向いてねえ。 あの花たちは、どうやら何かを見つけると叫ぶってことだ。 つまり見つからなきゃ問題ねえ」
ゆらゆらと、遠目で見ると花たちは踊っているようにも見える。 確かに声は大きくて、とても聞けたものではなかったけれど、遠くから見る花たちはどこか楽しそうにも見えたし、綺麗にも見えた。
……きっと、何か理由があるはず。 ウサちゃんが言うには、夢というのは心の底を映したもので、この夢は夢魔が無理矢理に引き出した傷でもある。
病院、叫ぶ花、どこか楽しそうに踊る花。
「夢を見てる人、病気なのかな」
「余計なことは考えんなよ。 夢花、問題の解決と、問題の深入りは意味が違う。 お前がすんのはこの夢の解決だ。 ただそこにある問題をどうやったら取り除けるか、それを考えておきゃ良い。 見ている奴も、この夢を見ている原因さえ消えれば見ることはなくなる。 こっちだけで解決できるならそれが一番いい」
「……うん、分かってるよ。 でも、困ってたら助けたい。 私にできることなら……だけど」
やると決めたなら最後までやり通せ。 私の大好きな言葉は、今でも覚えている。 だから、私はその夢喰らいの仕事を最後までやり通したい。 困っているウサちゃんを……どこかで困っている誰かを助けたい。 そんなことを思うのは傲慢かもしれないけれど、誰かを救えるなら後ろ指を指されたっていいと思う。 だって、誰か一人が頑張ることで、誰か一人を笑顔にできるのなら、それはきっと素敵なことだと思うから。
「とりあえず見つからねえように行くぞ。 あそこに行かなきゃなんも始まんねー」
「うん」
こうして、私とウサちゃんは夢の中、その大きな建物……病院へと向かうのでした。
『ご来院あり、あり、ありがと……ます』
『高田医院長、C棟305号室にお願いします』
病院の中に入ることは、それほど難しくはなかった。 ウサちゃんの言う通り、屋上に咲いている花たちは何かを見つけなければ叫ぶことはなく、ゆっくりと花の向きとは別のルートを使えば、問題なく入ることができた。
そして、病院の中。 今のようなアナウンスが延々と繰り返し流れており、病院内は電気が点いたり
消えたりを繰り返している。 当然、人の気配は感じられない。
「どこかで見聞きしたものは記憶に残る。 本人が忘れたと思ってもどこかで覚えている。 そんな断片たちが不規則に繋がれんのが夢だ。 だから一見わけがわかんねぇけどな」
「裏を返せば必ず何かのヒントでもある……ってことだね。 ひとつひとつが、記憶の欠片ってことだよね」
些細なことにも意味がある。 それを辿り、そして夢を見せている根本的な原因を解決する。 なんだか探偵みたいだな、と思った。
私とウサちゃんはそのまま、病院内の探索を始めた。 ひんやりとした空気が廊下には流れており、沢山の扉が付いている。 ひとつひとつ手をかけ開けようとするも、その殆どは開かない。 ウサちゃんに無理矢理開けられないの? と尋ねたら、描画されていないんだろうとの答えが返ってきた。 どうやら夢には描かれている限界というのがあるらしく、見ている人が描ききれない部分は覗くことができないらしい。 例え覗けたとしてもそこには何もないから、意味がないとも言っていた。
どの部屋も開かない。 一周した私とウサちゃんは、受付らしきカウンターの上にある機械、液晶モニターに映っている見取り図を見る。 一階、二階、三階、四階、屋上。 一つの大きな建物だけど、A棟、B棟、C棟といったように分かれてもいた。
私たちが今居るのは一階で、二階からB棟とC棟に行くための廊下があるようだった。 一階には何もない、ならば上に上がっていくしかなさそうかも。
「じ、じじ、ジャーーーーーーー」
と、そのときだった。 見ていた案内板の映像が切り替わる。 砂嵐と共に、人影のような者が映し出される。 歪み、歪み、ぐにゃりぐにゃりと画面は歪む。 人のようで人ではない何かが、喋っている。
「びー!びー!びー! 消灯時間になりました。 消灯時間です。 消灯、消灯、消灯、消灯」
ぱち、ぱち、ぱちという音と共に病院内の電気が消えていく。 瞬く間に病院の中は暗闇に包まれ、確認できる光は何かのランプと、非常灯の光だけだった。
「みま、みみ、見回りです、デス。 不審者を探して、叩く、不審者を探して、叩く」
「おい夢花逃げるぞ、なんか来てる」
「え、え、なんかってなに?」
「分からねえよ、けど見つかったら面倒なことにはなるだろうさ」
ウサちゃんは言い、階段の方へと駆け出した。 さすがはウサギ、鼻が良いのか暗くても道が分かるようだ。 そして私はそんなウサちゃんの白い体を目印に、付いていく。
「ウサちゃん、でも私は傷付かないんでしょ?」
アナウンスのようなものによれば、見つかったら恐らく叩かれるのだと思う。 でも、そういう肉体的なものは一切影響を受けないとウサちゃんは言っていた。 それを思い出し、階段へ向かって走りながら私はウサちゃんに尋ねる。 すると、ウサちゃんはぴょこぴょこと走りながら答えてくれた。
「例えば首チョンパされたからって寝てるお前の首が吹っ飛びはしねーよ。 でも、痛みはある」
「……え!」
「刺される夢とか飛び降りる夢とかあんだろ? 不快な感覚こそあれど、ありゃ大体おぼろげで記憶も殆ど残らねえから痛みっていう痛みは感じねえんだよ。 けど、夢喰らいのお前は鮮明に覚えてる。 ってことはだ、殴られれば痛えし刺されれば痛え。 それで目が覚めたとき血が出たりすることはねーけど」
それがつまり、精神的な痛みということ。 ウサちゃんはそれを分かった上で、私に事前に言ってくれていたのだ。
「……逃げないと!」
「逃げてんだろ。 ま、オレがそんときはカッコよく助けてやるよ」
「ありがとう、ウサちゃん。 でも、ウサちゃんは痛くないの?」
「ん、ああ。 まぁな」
なんとなく、その言葉は嘘のような気がした。 私を安心させるための言葉のように聞こえた。 私はその言葉で納得する。 それがきっと、ウサちゃんの望みのような気がしたから。 ここで「嘘でしょ」と言ったとしても、逆にウサちゃんを困らせてしまうような、そんな気がした。
「お、とりあえずそのロッカーに隠れるか」
「大丈夫かな……」
掃除用具入れ、と書かれたロッカーの前でウサちゃんは立ち止まる。 真っ暗な廊下はどこまでも続いているような気がし、私の息も続きそうにない。 そんな様子を汲み取ったのか、ウサちゃんは逃げ切る選択よりも隠れ過ごす選択を選んでくれる。 私はすぐさまロッカーに手を掛け、中に入った。 ウサちゃんはいつも通り、私の頭の上に乗る。
「……」
口を抑え、丁度目の高さに空いている穴から外の様子を見る。 静かな静かな病院の廊下、非常灯の灯りのおかげで、そこからの視界は良好とは言えないけれど、外の様子を窺うことはできた。
「……ク……ク……ク」
ずるずるずる、ががががが。 そんな音が聞こえてきた。 それと一緒に、何かをぶつぶつと呟く声も、聞こえてきた。
「なんか来た……」
「……さっき言ってた見回りだろうな。 声出すなよ」
「……うん」
ずるずるずる、がーがーがーがー。 音は段々大きくなる。 がん、がん、がん。 何かを叩いているようだ。 ぱりん、ガラスの割れる音。
「タタク、タタク、タタク、タタク」
その声は段々と聞こえてくる。 叩く、叩くと延々と呟きながら。
「……ッ!」
その人が、ロッカーの前へとやって来た。 お巡りさんがかぶるような帽子、大きな大きな人。 頭は石で、絵に描いたような口がある。 目がなく口だけ、右手に街灯を持ちながら、それを引きずりながら歩いている。
思わず叫んでしまいそうになった口を必死に抑え、お巡りさんが過ぎ去るのを待っている。
ずる、ずる、ずる。 がー、がー、がー。
大きな大きな街灯は、お巡りさんが通り過ぎてもしばらく視界に映っていた。 何メートルもありそうな、大きな大きな長い街灯。
ずる、ずる、ずる。
あれ、これは何の音? 街灯だけなら、そんな音はしないはず。
ずる、ずる、ずる。
「ひっ……!」
「……声出すなって言ったろ!!」
でも、でもそんなことを言われても! だって、街灯の先に沢山付けられた鶏の死体を見てしまったら、声を上げるなという方が無理だって!
沢山沢山、鶏たちは血を流して引きずられている。 真っ白な羽は真っ赤に染まり、力なく引きずられている。
ぴたり、と動きが止まった。 歩くお巡りさんの声が止んだ。 見つかったと、バレてしまったと、逃げないとと、私は思った。