0章 王の願いは夢と消え
戦続きの世だったが、大国の王子として生まれ、何不自由なく生活し物心つくと勉学と剣術、ダンスに乗馬などを習った。
兄弟はおらず、乳兄弟として一緒に育ったクレイが幼い頃の僕の友達で兄弟で。大切な人間だった。
母や父は忙しく、ひと月に1、2度顔を合わせるのみ。やがて8歳を迎え婚約者と引きあわされ同時に皇太子となった。
初めて見た印象は、真っ白な女の子。銀の髪に真っ白な肌。薄水色のドレス髪に飾られた真珠飾り。
国教として信仰されている、クロノス教の巫女姫。おとなしく、優しい小さな子。
行事や儀式のときに顔を合わせる程度で会話も交わすことなく。けれど幾度も顔を合わせると、彼女を妹の様だと感じた。口元で小さく笑み、下る眦を可愛いと。たまに声が聞けると嬉しくなり。
彼女と出会って4年経ち12歳になった。だが、距離は相変わらず。
社交界に出て、貴族のパーティーや茶会、祝いの席に呼ばれ、18歳の成人の儀まで皇太子として名に恥じない様つとめようと努力した。
13歳の誕生日に王子として婚約者に青い石飾りの髪飾りのほかに「名前」を送った。オレ達だけのもの。「リル」「カル」名前の間を抜きだし。うるさい世話役や神官、侍女が離れる瞬間、儀礼の合間に小さく呼ぶ。呼ばれる。初めは困惑し恥ずかしそうに小さく。時間が経つとにこりと笑みながら。
妹の様だと可愛く思っていたのが、慈しみ、愛しみたいという気持ちに変わって行くのが自覚できた。あと5年もすれば成人しオレは彼女を妻とする。
想像できない。父や母のようにオレ達もなるのだろうか?
あと数か月すれば16歳になるという時、父と母が・・・国王と王妃が亡くなった。外遊中崖が崩れ馬車から投げ出されたそうで、1年喪に服し17の誕生日オレは即位した。
彼女は何も変わらなかった。呼び方が「殿下」から「陛下」に変わったくらいで。政治、外交は回り、唯一の不安材料が作物は思うように育たない。家畜も増えない。病の人は増えつつあることだった。
巫女姫が祈り、浄化に努めても状態は改善されず小康状態で、大きな天災に見舞われるでもなく、伝染病が流行るでもなく、ただ緩やかに注視しないと分からないくらい緩やかに。国力が衰えていくようだと感じた。
あと数ヶ月で彼女は巫女姫を降り、王妃となる。いずれ資質のある巫女の中から次代を選ぶことになるだろう。
花嫁衣装にティアラ。銀の靴。儀典長につつがなく準備するよう命じ、実際その通り進んでいた。
あの、天命を願う儀式を行うまで。
作物を育て、家畜を育み、健やかな民の安寧のため。たゆとう闇がこの国にあるのなら、晴らすにはどうしたらよいか天命を願う。
光の水盤という太陽の神を祀る神殿の中庭に作られた人口池に姫巫女の姿はなく、彼女は浄化の祈りの最中であると神官長は言った。
天命を願うのみであるから国王のみでかまわないだろうと。
神官の神への祈りの文言が響き、流れる水音と囲み舞う巫女たちの薄衣が幻想的に空に彩色の軌跡を描く。
ただ、静かにそれを見ていた。天命など下らない。彼女がいる。巫女姫が。
やがて水盤の水が静かに巻き上がり半球体となり、中に人影が写ったように感じた。眉根を寄せ神官長を見ると、喜色を顔に浮かべ杖を持つ指が白くなるほど力を込めているようだった。
なんだか嫌な予感がした。
「神官長・・・」
声を掛けた瞬間、突然に儀式は終わり静まり返る。そして半球体があった水盤に目をやるとそこに見たこともない服を着た一人の少女がいた。
怯えた様子も戸惑う様子もなく、ゆっくりと目を開けた彼女はオレを見て少し目を見開いた。
神官長に声を掛け、後にすべて報告せよと指示してからクレイと共に城に戻った。混乱していた。彼女は誰だ?なぜ現れた。では天命が下ったのか?巫女姫がいるのに?リルーシェが巫女姫だ。では・・・彼女も巫女姫か?水盤は神威ないものを拒むという。
儀典長が面会を求め、神官長が陽光の杖を宝物殿より借り受けたいと希望していると言う。
姫巫女が儀式以外でその手にするのは3度。
姫巫女選定の儀に国王即位、そして姫巫女を降り国王に妻とし下る時。神の使いから人に戻る時とされている。
困惑で言葉に詰まると儀典長が少し会釈し話し出した。
「巫女姫による儀礼祭典などでないかぎり持ち出すことは禁じられています。お断りしても構わないでしょう」
「・・・あぁ・・そうだな」
「陛下もお疲れでしょうから本日の政務は取りやめ少しお休みください。酷い顔色です。あの少女についても正体ものちに神殿より報告がありましょうや。子細が分かり次第まとめてお耳にお入れしますから」
「・・・では頼んだ」
父王を支え、幼いころは伯父の様に慕った儀典長の言葉に甘えた。
何か、壊れそうで。少し怖かった。
※※※
翌朝、儀典長が神官長と共に執務室にくると神官長がにこやかに切り出した。
「あの少女がなぜ現れたのか、また巫女であるかについては未だわかっておりません。しかし、害意無き命あるか弱い者を放り出すなどしてはならぬと姫巫女様が。しかし、信仰無き者を長く神殿に留めるわけにもいかず、儀典長に相談しまして。城にて、行儀見習いをしながら調査すれば良いと」
「陽光の杖の件は何故だ」
眼光強くなるのを自覚する。
「水盤に現れた者です。杖により神聖を確かめてはいかがかという神官の具申に惑わされました。ご安心ください。姫巫女を愚弄した愚か者は処分して御座います」
「・・・」
「新官長、陛下はお忙しいのです。用件が済んだのならお戻りください」
「あいや、もう一つ。」
儀典長がため息をつき促す。
「春の訪れを祝ぐ催しを姫巫女の名で開くのはいかがでしょう?民草の心の光となりましょう。その後、王城での花茶の宴を開けば貴族たちにもまた巫女姫のお優しさと神聖さが伝わりましょう」
「少し早いのではないですか?例年ではあと半月先です」
儀典長が眉をひそめると神官長は深くため息をついた。
「年々春が遅くなってきています。遅くなればなるほど恵は減り飢える民草も増えます。少し早いですが今だからこそですよ。たみを心配しているのだという巫女姫のお心です」
ちらとこちらに目をやった儀典長から自分次第だという空気を感じる。
「・・・わかった。姫巫女がそういうなら彼女の願いどおりにしよう」
にやりと笑う神官長に嫌なものを感じるも、話は済んだとばかりにさっと立ち上がった姿に霧散してしまう。
「では、準備がありますからこれにて。あの少女はヒロミという名前だそうです。使用人と同じ部屋を与えるわけにはいきませんから、外宮のアロウ宮にて生活して頂きますよ」
「・・・」
儀礼祭典、パーティーに招待した外国の要人の滞在する宮の名を出され制止しようとするも、他に住まわせる場所と言えば自身が生活する内宮か王妃ら側妃が暮らす後宮や、やはり要人のための外宮の宮しかなく、アロウ宮は外宮の中でも比較的小さなものになると思い口をつぐんだ。
※※※
1週間後、昼近くの城の中庭では招待された貴族やその家族がにこやかに話をしながらテーブルを周り用意された菓子や紅茶、軽食などを楽しんでいた。
次々と娘や息子を紹介され、側室や側近にでも見初められ、取り立てられればという思惑に小さくため息が出る。
近くに控える侍従に何度目かになる姫巫女の到着を聞こうとすると人並みの向こうから歓声が聞こえ、ようやく到着したのかと目を和らげる。
常であれば、彼女の儀式の終了と、到着を待って始まる茶会も待たぬままに始まってしまい、感じていた違和感もリルの顔を見れば消えるだろう。
しかし、神官長を先頭にやってきた少女は彼女ではなかった。
いつぞやかの黒髪の少女。薄桃色のドレスに高く髪を結い上げ花飾りで美しく装っていた。身なりだけは貴族令嬢の様だが、お辞儀など儀礼が追い付いてはいない様で、ぎこちなさがあり、隠しきれていない媚びるような目の色に思わず眉がよる。
「・・・姫巫女はいかがした」
「すみませぬ、儀式が未だ終わらず王の興を引くものと考えておりまして、この娘の事を思い出しました。」
「どういうことだ?」
「この娘には高い巫女の資質がございます。民草を救い、闇を祓い清めたまえという神官たちの願いを聞き入れ神が更なる癒しの力を持つ娘を賜れたのでしょう。」
「では、次代の巫女姫候補という事か?」
「作用に御座います。教育などは今より励めばよい事。異界より王のために呼ばれたものです。異界の珍しいお話も聞けるやもしれません。」
「・・・わかった」
次代の巫女候補ということと、異世界ということに気をひかれ、庭の隅に作られガゼーボに誘う。石造りだが今は柱や屋根は花と蔦で飾られ、テーブルに用意された菓子や紅茶に目を輝かせた少女に、リルの様だと少し笑んだ。
若い神官が手を貸し椅子をすすめ、神官長が居なくなっている事に気拭くと
「新官長は巫女姫の儀式の補佐とお迎えにまいりました」
とにこやかに告げた。
毒見の侍従が確かめると、各々のカップと更に菓子やお茶が注がれる。
「いい匂い。ダージリン?アッサム?んー似ているものがありませんね」
にこやかにこちらにカップを見せる。
「茶葉の種類か?」
「はい、私の世界のお茶の種類です。」
「これは、レグリーフという砂漠に咲く木の皮を乾燥させたものだ」
「木・・・」
びっくりしたように目を丸くする娘に笑みは深くなった。貴族の令嬢の相手をしていたせいで、子供のような少女に媚の影を見てしまったと勘違いしたようだ。
「そちらの世界で、そなたが暮らしていた場所はどのようなところだ?王はいるのか?」
「・・・」
「なんだ?」
「そなたなんて初めて言われたから・・・」
「では、何と呼べばいい」
次代の巫女候補で、異界より一人呼ばれた少女への憐みもあった。
「広美。私の名前は広美です」
「ひろみ・・・不思議な響きだな」
にこやかに笑む少女の話しに引き込まれていくのが自覚できた。
王が無く、民の代表が自治をし鉄の船で星を渡り、夜の闇が灯りで昼間の様だという世界。自身は学生で、ゲームが好き。特に携帯という遠くにいる人間と会話できる小さな四角い箱に入っているゲームが好きなど、おとぎ話の様だった。
***
「陛下・・・」
背後から聞こえた側仕えの声に後ろを見ると、ガゼーボと庭を繋ぐ小道を神官長と共に正装のリルが歩いてくるのが見えた。立ち上がり待つ、こちらに気づきこころなしか歩調が速くなったように見え、ゆるりと笑む。
「遅くなりまして」
持っていた杖を神官長に委ね、ゆっくりと膝を折り礼をとる。さらりと肩を滑る銀糸のような髪に青い玉飾りの髪留めなど贈ろうかと考えながら、手を差し伸べる。
「いや、待たずにはじまりすまない。疲れただろう」
「いいえ。力及ばず陛下の憂いと民の不安を晴らせませんこと申し訳なく思うばかりです」
困ったように笑うその顔色があまり良く無いように見え心配になった。
「いや、幼いころからよくつとめてくれている。もう少ししたら後継の巫女に引継ぎ、国民ではなく、私を支えてくれ」
「まだ先ではありませんか」
「あとほんの少しだ・・・お茶と菓子でもどうだろう、あなたの好きな物を・・・」
「陛下・・・」
リルと話していると神官長がずいと前に出て遮る。
「何だ。儀は済んだのだろう。なら、少し体を休めても」
「儀は済みましたが、貴族の皆様への祝福がまだ済んでおりません。陛下に御挨拶と祝福の為ここには参った次第で・・・あちらにて」
庭を指さし神官長はにやりと笑う。
「皆様が巫女姫をお待ちなのです。」
眉をよせ巫女をいたわる様叱責しようとすると、すっと手に何かが触れる。白い手袋に包まれたリルの手が握った拳にそっと触れていた。
「お声掛け出来てうれしく思います。皆様にも同じく、お声掛け致したく、どうか場を離れますことお許しくださいませ」
お怒りになりますなと言わんばかりの笑みに、小さくため息を付く。それを返事と受け取ったのか、リルは小さく笑い神官に先導され庭への歩をすする。離れていく白いスカートの裾を見ながらふと神官長が残っているのに気が付く。
「そなたは行かぬのか」
「はい、どうか陛下にお願いしたき事があり」
深く頭を下げるその様子に嫌な予感がした。暫く黙っていると、たたっと走り寄る足音が聞こえ、振り向くと少女が神官長に駆け寄るところだった。
「おじいちゃんなんですから、ずっとうつむいていると具合を悪くしますよ」
王の横をすり抜け、会話中に入るなど無礼極まりないが、この場には側近を入れ4人しかおらず、少女も神殿の人間ということで眉をひそめるだけで済ませたようだった。
もしここに儀典長がいれば、盛大な叱責と神殿から少女へ下される罰の要求など面倒なことになったろう。遠目に巫女姫の傍で貴族との間を取り持つ姿が見える。
その時、神官長を立たせようとする少女の手が杖に触れた。
瞬間、光がはじけた。