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5 勅使 浅葱(てし あさぎ)

新月の夜、風船蔓の中に蛍を入れて堤燈を作るんだ

きっと光が進むべき方向を照らしてくれるから



 丁度風船蔓が成る季節、近くの公園へ来ていた。

 風が頬に当たる。優しくすり抜けて行く夜の風は、冷気を含んでいて気持ちがいい。

 新月の夜、静まった夜の公園は昼間の面影を少しも残していなかった。ただ、黒く彩られた景色が広がっている。

 歩いていく内に、目の前に小さな光が見えた。ふわふわと何かを求めて飛んでいる光。それは幻想的で現実味を帯びていない、不思議な物体に見えた。

 ゆっくりと近付いてみた。光の正体は蛍だった。闇の中に浮かぶ光は神秘的に輝いている。淡く、消え入りそうな光に、自然と蛍を目で追っていた。

 自由に漂う蛍。僕には今は自由がなかった。その不自由は、自分に原因があるものが多々あることも理解している。

 それでも、理解と納得は別物だった。まだ納得ができていないから、不自由なままだ。

 少しすると、蛍は一つの場所から動かなくなった。止まっている先には風船蔓が浮かび上がっていた。ほんのりと、弱い光で見えるほどの視界。辺りはそれほどにも暗いのか、と初めて実感した。暗いのは恐くない。全てを隠すのなら自分も隠されているはずだから、と安心する。

 ふと、思い出した。それは何処かで聞いた話で。『新月のおまじない』と誰かが言っていた。

 自然と手は蛍へと伸びて行った。蛍は捕まえられることを少しも恐れず動かない。近くにあった風船蔓を摘み、少し穴を開けて蛍をそっと中に入れた。

 蛍はじっとしたまま、ひっそりと光っていた。一定のリズムを刻みながら、呼吸をするように、心臓が血液を送り出すように。それは生きている証拠に見えた。

 よく見ると、一部の方角に強く光っていた。光の道標、と言っていいほどしっかりしたものだった。これがあの、進むべき方向というものかもしれない、と妙な確信があった。

 蛍が指し示す先には何があるのかわからない。真っ暗で吸い込まれそうな闇が続いているだけかもしれない。

 しかし、足は指し示す先に向かって進んだ。本能に従っているかのように、しっかりと。

 ゆっくりと歩いていった。歩き慣れた、木々に囲まれた遊歩道を一定のリズムで歩いた。自然とそのリズムは鼓動と重なっていた。珍しく、鼓動が安定している。

 遊歩道は、夜の闇でいつもと違う感じがした。闇に呑まれた木々は一層影を濃くする。だけど、不安は一切なかった。蛍が導いているという安心感が、心を満たしている。

 闇を見つめている内に、だんだん心臓が高鳴ってくるのを感じた。

 だんだん、少しずつ。胸が高鳴る、というのはこういうことか、と実感した。不安とは違う、期待の高鳴り。しかし、まだ確実に期待の鼓動かどうかわからない。いつもの病気の為か、それとも。

 蛍の光が儚く揺れる。心を掻き立てられたように感じ、歩調を速くした。

 思いを消すように、速く。期待して失望するのはもう嫌だった。初めから期待などしなければ良かったと思うことが多い。

「何故そんなに急いで歩いているの?」

 突然後ろから掛かった声に、体が固まった。

 ゆっくり振り返ったその先にいたのは、色の白い、同い年くらいの少年だった。白い肌が闇の中で浮かんでいる。闇に溶けて薄っすらと見える黒い髪が一層肌を白く見せた。僕に負けない、肌の白さ。手には風船蔓を持っていた。

 少年は、風船蔓を持った手を顔の前へとやった。

 衝撃を受けた。

 信じられない、という思いが頭を占める。光で浮かび上がったその顔はよく知っている、忘れられない顔で。

 少年の黒曜石の瞳が視線を捕らえた。

「どうして……」

「覚えてくれていたんだ。おまじない」

 にっこり笑って僕の持っている風船蔓を指した。

 思い出した。このおまじないは彼が教えてくれたものだった。そして彼は。

睦月むつき

「このおまじないをしているってことは、迷っているんだね?」

 思考を遮るように、睦月は聞いてきた。視線を逸らして頷くと、睦月はゆっくりと近づいてきた。その足取りは軽く、体の重さを感じさせなかった。まるで浮いているように見えて。 

 幻覚だと思った。あってはならない幻覚。期待が生んだモノなのだから喜んではいけない。僕を不自由にさせているのが睦月だった。このままでいることに意味はないと知っているのに、それなのに自由になろうと努力しない自分がいる。

 目の前に立った睦月は、自分の持っている風船蔓を差し出した。

「あげるよ、これ」

 睦月は、差し出された風船蔓を受け取ろうとした僕の手を不意に掴んだ。掴まれた手から伝わる睦月の冷たい体温。体温と言えるのだろうか。

 氷水に入れたように冷たい手。まるで硝子のようだった。

 振り払うのを躊躇った。儚く、壊れてしまいそうで。

「迷わないで」

 真っ直ぐ見つめる睦月に、視線を合わせた。黒曜石の瞳の中は深く、意思を持っていた。

 わかっていた。睦月が何を言いたいのかを。睦月はこうなる事を望んでいたわけではない。

 睦月は微笑み、掴んでいる手に力を込めた。

「蛍は心の中の光。きっと一つのところを指しているから……もう本当は決まっているんだよ、何処へ行くべきかなんて。蛍は表面にそれを表しただけ。だから見つかるよ、答えは」

 ゆっくり手を離し、睦月は闇の中へ戻って行った。あいかわらずの重さを感じさせない足取りでゆっくりと。

 それ以上言う事はない。それ以上言うと言葉は効力を失う。言いたいこと、伝えたいことだけを言うから、言葉は深く刻み込まれる。そう以前に睦月が言っていた。

 追い駆けたい衝動に駆られた。しかし足は動かなかった。

 少しも、動こうとしない。行くべき場所を知った今、足は忠実に守っていた。間違った方へは進まない。

 睦月の行き先はわかっていた。でも、光は逆の方向を指している。当然の結果だった。道は睦月と同じ道へとは続かない。睦月は闇の中へ溶けていった。

 二つになった光は、同じ方角を指していた。行く先はわかっている。

 答えは一つ。

 迷わず歩いた。もう迷う必要なんてない。そしていつの間にか心の中にあった鎖が解けているのを感じた。

 幻覚ではなく会えたから。少しも睦月は怒ってはいなかったから。もう病気を引き起こしていたモノの大半は消滅していた。残るのは少しの心配だけで。

 少し進んだ先の木々の間から見えた建物は白っぽいコンクリートでできていた。進むべき道はそこへ続いている。

 未来はそこにある。

 一つ言えなかったことがある。言わなくて良かったのだと、今はそう確信した。あれはきっと蛍の光が見せた奇跡だろう。睦月が最後に言った言葉が頭を過ぎる。

「きっとまた会えるよ」

 

 ゆっくりと瞼を上げた。目の前にはいつもの白い天井が広がっていた。白くて、無機質な壁が目に痛い。病院独特の消毒薬の匂いが鼻を掠めた。

 ベッドにいた。いつの間に寝ていたのか、わからなかった。どこからが夢だったのか。あの夢の後だからこそ、いつもと変わらない部屋にガッカリした。重い頭に顔を顰めながら起き上がった時、手に何かを握っているのに気が付いた。

「……風船蔓」

 蛍は逃げてしまっていたが、確かにあった。しっかりと、二つの風船蔓を握っていた。

 瞳から突然、涙が出てきた。嬉しくて悲しい。それ以上に何かがある気がしたが、今はわからなかった。ぎゅっと、風船蔓の茎を持つ手に力を込めた。

 現実に引き戻されるのはつらいけど、夢を見ているばかりではいられないから。だから前に進むしかない、と教えてくれた睦月。

 涙は止まることなく流れ続けた。迷いを全て流してしまうように。終止符を打つように。


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