1 神羽 葵(かんば あおい)
普通の高校二年生。見た目はその一言で尽きるが、彼の環境は違っていた。
入学式が終わって、クラスですぐに決められるクラス委員長。立候補はなく、教師の推薦もなかった。その中で投票した結果、圧倒的多数で一人の男子が選ばれた。
神羽葵。その名前を初めて聞いた者も多い。しかし、当然のように選ばれる。まるで、予め決まっていたかのように。
そんなことが、何度も続いていた。
夜空が光り、歓声が響いた。
前夜祭が始まった。実質、文化祭の開始だ。
教室から校庭を眺めていて、無事花火が上がったのを見届けてから机に突っ伏した。クラス委員長は文化祭でのクラス代表を兼ねるから、ここ一週間ほど準備でかなり疲れた。腕に巻かれた『執行委員』の腕章は、選ばれた者の印らしいけど、僕にとっては煩わしいものだった。
前夜祭には参加しないで、腕章を乱暴に取り払った。
「イインチョウ、居眠り?」
澄んだ声が気配もなく近付いた。委員長、と呼ばれ、机の上に頭を置いたまま目を声の方へと向けた。
呼んだ人物はわかっている。中学が同じで、同じクラスになった中学二年から一緒にいることが多かった。唯一、親友と呼べる友人だった。
思いの外近くにいた十夜は、隣の机に腰掛けた。
「居眠りかな。眠れてない気がするけど」
頭を動かした。ごり、と嫌な音がした。
腕を枕代わりにしないで、そのまま頭を机に乗せた。いつからあるのか、机には意味のない落書きが見て取れる。学校の備品なのに。それが一層気分を落ち込ませた。
なんか考えが変な方向にいっている。思考を振り切り、背を丸めた姿勢から起き上がり、手を上に伸ばして背筋を伸ばした。
「眠っちゃいけない気がする。夜寝てても、本当の眠りじゃない気がするんだ」
「それって病気? 委員長の仕事が負担、とか」
「病気じゃないよ。体は『睡眠』でちゃんと休んでる」
肩に手を当てて腕を回した。心身ともに異常はない。
でも、違和感は残った。脳の奥が、本能のように、眠りを拒絶している気がする。
「さて、と。明日は運営委員が仕切ってくれるし、クラスのは当番から外されてる。十夜、一緒に回らない?」
「当番免除はご褒美ってことか? そうだな、一緒に回ろうか」
十夜も当日は自由だということは、前に聞いていた。僕の当番免除は偶然だったけど。
十夜のクラスは劇を行う。クラスの催し物を劇にすると決定したのは十夜が主役なることを期待したからだった。美形、という表現が一番単純でわかりやすく、昨年の校内美形ランキングでは四位に入った、誰もが認める主役にふさわしい十夜。
それを、十夜はあっさりと断った。
「演技下手だし。得意分野で協力するのがクラス行事ってものだと思わないか?」
にっこりと作られた笑顔にクラスメイトは無理強いすることはできず、十夜は得意分野の衣装担当となって衣装を三着作っていた。生地のみの出費で済むから、レンタルよりも安く、古着屋よりも質が良い。その衣装は、十夜が主役にならなかった代償としては十分だった。
「十夜って、創作全般得意だよね」
「似ているモノを作るのはな。まあ、『創地』だし?」
軽く笑った十夜の言葉に引っ掛かった。
創地。その単語は十夜の名字というだけでなく、意味があるような気がした。何かと密接に関係している気がする。チクリ、と頭が痛んだ。
その痛みを隠し、十夜に向かって「そうだね」とだけ答えた。
隣を歩く十夜は、何故か他校の制服を着ていた。
午前九時から、文化祭は始まった。今日は『執行委員』の腕章を外し、一般生徒を装っている。実際、執行委員は当日は自由行動で、運営委員か実行委員が対処することになっている。それでも、外部参加者に区別はつきにくく、腕章を着けていることで文化祭の関係者だとして話しかけられることがある。それは、昨年の文化祭で体験していた。
十夜は今年の人気ランキングに名前が載り、昨年より順位が上がって三位になった。校内、ということから、ここの生徒に限る。
なるほど。他校の制服は、人気ランキング三位の『創地十夜』を隠していた。
僕と同じことだったんだ。煩わしかった腕章が消えた左腕を見て、笑みが漏れた。
「やっと自由になったって感じがする。さあ、どこに行く?」
「美術部の展示に行ってもいいか?」
「いいよ。勅使くんの展示が気になるんだね?」
疑問ではなく、確認だった。
『勅使くん』は双子だった。だった、というのは、昨年の夏、兄が不慮の事故で亡くなったからだ。だから、この場合の『勅使くん』は弟の浅葱を指す。その浅葱は今、入院している。
昨年は十夜と一緒に回れなくて、執行委員とクラスの出店で自由時間はなかった。差し入れとして出店の商品は食べたけど、展示や劇などは全く見に行けなかったため、今年は楽しみにしていた。昨年の文化祭で勅使くんの作品を見た十夜は、暫くその場を動けなかった、と言っていた。昨年は見逃したけど、今年は。
美術部の展示室に入って、一つの油絵に目を奪われた。
隣で十夜の感嘆の溜息が聞こえた。
「勅使の作品だ」
入院する前に作っていた作品で、未完成だということだったけど、これはこれで良いんじゃないかな。
見学者はまだいない。『勅使浅葱』と書かれた、題名のないその作品から離れられなかった。
「青い鳥、だな」
「青い鳥ってあの幸せの青い鳥かな?」
目線は鳥から動かさないで、隣に並んだ十夜に訊いた。
青い鳥で思い出すのは童話だ。幸せの青い鳥。幸せは近くにありました、という話だったかな。
「いや、『幸せの青い鳥』じゃないかもしれない。前は海だったから、青が好きなだけかも。でも、今はこの鳥が『幸せの青い鳥』であってほしいと思うな」
強い気持ちを込めた十夜の声に、微笑が漏れた。同じ気持ちだった。感じ方が似ているから、同じであることが多いから、隣にいるのが楽だった。
青い鳥は頭上で羽を広げている。どこかに導くように。
どこへ行くんだろう。どこへ行きたいんだろう。
「創地さん、昨年もここで会いましたよね?」
「名前……は、ランキングを見たのか。ああ、昨年も勅使の作品の前で会ったな」
いつの間に人が居たのか、呟きで振り返った。
柔らかい笑みを浮かべた少女。知っている気がしたけど、すぐに既視感は消えた。
パチン、と遠くで鳴った音が聞こえた。
昨年の文化祭で会った人を覚えているなんて、十夜が美形だからか、勅使くんの作品が凄いからか。
「私は時合歩です。歩で結構ですよ。浅葱の友人です」
歩。また、チクリと刺すような痛みを感じた。
頭が、脳が。
「僕は神羽葵。浅葱くんのクラスメイトだよ」
浅葱くん、と言うのが不自然に感じた。ただのクラスメイトのはずなのに。
創地、歩、浅葱。その名前が、違和感を伴ってぐるぐると頭の中を回っていた。
「神羽さん、浅葱が参加するはずだった地学部合同発表が今日あるということなんですが、知ってますか?」
「うん、化学室でやるって書いてあったよ」
鞄からパンフレットを取り出し、歩に渡した。
一応『執行委員』。パンフレットは五部持たされていた。
文化祭実行委員会の会議で話されていた内容は、確か近隣の学校の地学部と合同でプチ・プラネタリウムを作り、部員が星座の解説をするというものだった。暗幕の貸し出しが多かったから、よく覚えている。暗幕に市販されているプラネタリウムで星座を映し出すらしい。三校合同ということで、それ以外にも何か企画しているようだった。
勅使くんが所属しているのは美術部だけではなかったのか。この学校に地学部はない。化学・生物・地学部が部員不足のために『科学部』として一つになった。今回は地学部として、文化祭に参加している。ついでに、この学校は三校の中で一番住宅から離れた学校だから、文化祭の後に天体観測を行なうと会議で言っていた。後夜祭が終わった後なら、今日の天気では綺麗な星空が見えるだろう。
「歩、待った?」
「蛍、時間通りですよ」
歩の視線を追った先にいたのは。
僕と同じ顔の少年だった。