彼が買ったもの
幽霊のおじさんは耳穴をほじくり、小指についた耳垢をふっと吹き飛ばした。
『まったくよぉ、これだから最近の若いやつは……。もっと幽霊を労われや!』
『は、はい……』
何も言い返すことができない三人。
ふと桜がこちらを見てきた。表情は訝しげだ。
「そういえば、あなたの鞄の中……妙に膨らんでいますよね? 一体、何が入っているんですか?」
気になるのはそこなのか。幽霊についてはスルーらしい。
そして、今一番されたくない質問に、勝二は目を逸らし、何か言わなければと頭を回す。
「え、えっと……《夢と希望》……かな?」
「……」
白けた目を向けてくる桜、愛実、さらに幽霊男からも。視線は完全に冷めきっていた。道端の糞を見るような目だ。なんで幽霊にまでそんな目を向けられなきゃならないんだよ。泣きたい。
桜はますます訝しげな顔になり、
「怪しいですね。ま、まさか、生首でも入っているじゃ……」
「こえぇよ! 夢と希望って言っただろ! 恐怖と絶望になってるじゃねえか!」
愛実がハッとした表情で、真剣な瞳を向けてきた。
「まさか……リリンちゃん限定チップスをお兄さんも……?」
「お願いだからリリンちゃんから離れて!」
「らちが明かないですね。こうなれば力ずくです!」
「え、あ、ちょっとおおおぉぉぉ!?」
なかなか答えようとしない勝二に痺れを切らし、桜が実力行使で鞄を奪おうとしてきた。彼女の運動神経は意外にいいようで、油断をしていた隙にひょいっと鞄をひったくられる。
「さて、鞄の中身はっと……」
期待に胸を膨らませながら鞄を開ける。愛実と幽霊のおっさんも、興味津々な顔で鞄の中身を覗き込む。
「えっと……な、何ですか、これ」
中身は《大量の塩》だった。その他にもおもちゃの十字架や、ニンニク、胡散臭い魔除けのお札などがある。
桜の表情が、徐々に無になっていく。どことなく、死んでいくゴキブリを見るような、侮蔑を含んだ瞳をしている。
「え、なにこの人。なんで鞄いっぱいに塩を詰め込んでいるんですか。今から吸血鬼退治にでも行くつもりなんですか。かなり怖いんですけど。頭大丈夫ですか?」
「幽霊みにきたあんたにだけは言われたくねえよ!」
愛実もさっきまでの愛着のある笑みは消え、距離を置き、怯えきった瞳を向けてくる。
「お、お兄さん……怖いのです」
『まじひくわー』
幽霊にまでドン引きされた。
「うっせえええええぇぇぇ! 俺にだって事情があるんだよおおおおおおおおおぉぉぉ!」
勝二は叫んだ。喉が枯れるぐらい叫んだ。叫ばないとやっていられなかった。穴があったら入りたかった。
エレベーター内はしんと静まりかえり、何だか最初のとき以上に気まずい空気が流れる。全員喋る気が起こらないのか、誰一人口を開かず、無言で輪になって座り込んだ。その中にはもちろん、幽霊のおっさんもちゃっかり入っていた。どっかいけよ、おい。
そのまま何分も過ぎ、さすがに気まずさを通り越して無の境地へと到達した頃、愛実がポツリと口を開いた。
「おじさんは、どうして死んだの?」
さすがは子供。普通訊けないことを平然と訊いてのける。
「……」
おっさんは暫くの沈黙の後、情けない声で話しはじめた。
『おじさん、はやくに妻を亡くしちまってなぁ。職場では虐められ、すれ違う女性には舌打ちされ、小学生のうんこ漏らし事件を同窓会のたびにネタにされてなぁ、もうやってらんねえよちくしょうパンツ盗むぞゴラァとか思ってたら、うまい話があるって言われてなぁ。ついその話にのっちまって、気づけば借金の山よ』
予想以上に重たい話だったああああああああぁぁぁ!
「じゃあ、おじさんはそのせいで自殺したの?」
勝二も桜も想像以上の沈鬱な話に、頬をピクピクさせながら黙り込む。
『自殺じゃねえよ。確かに飛び降り自殺をしようとはしたが、屋上へ行く途中、エレベーターのドアが故障してなぁ。運悪く足の小指が挟まれ、そのままショック死よ』
なんでだああああああああああああああああぁぁぁ!?
勝二は心の中でツッコんだ。
「足の小指、当たったら痛いもんね」
『ああ、あれは激痛だったぜ。ショック死するぐらいにな』
いや、普通はそこまでにはならない。
愛実は同情した顔でおっさんを慰める。勝二はかける言葉もなかった。なんて反応すればいいのかもわからなかった。
『思えばわしの人生、不幸しかなかったような気がする……グス。そうだよ。わしなんてなぁ、どうしようもないゴミ幽霊なんだよ。ゴミムシなんだよ。道端に落ちてるうんこそのものなんだよ。成仏したってなぁ、どうせ次生まれ変わるのはゴミムシのうんこなんだよ……うぅ……死にてえよ……死んでるけど』
いじけちゃったよ、この幽霊。
「お、おじさん、元気だして! 大丈夫だよ! ゴミムシのうんこに生は宿ってないのです! きっと、おじさんが次生まれ変わるのは《ゴミムシ》だよ!」
さらりと毒を吐く愛実。本人は励ましているつもりなのだろう。無垢って怖い。
『うぅ……わしはゴミムシ……』
どんどん底なし沼に沈んでいく幽霊に、桜が慌ててフォローする。
「だ、大丈夫ですって! 生きていれば……死んでいればいいことありますって!」
勝二も咄嗟に便乗する。
「そうですって! がんばって成仏しましょう!」
二人に励まされ、元気を取り戻していくおっさん。血を含んだ涙を流しながら勝二たち三人を見る。
『お前ら……やっぱり、持つべきものは生者だな! おじさん、元気出てきたよ!』
「おじさん、よかったのです!」
愛実と二人ではしゃぐおっさん幽霊に、勝二と桜はホッと安堵する。興奮したおっさんは立ち上がり、天井に向かって拳を振り上げた。
『よおぉし! こうなったら、みんなで力を合わせてここから脱出するぞ! テメエら、気合入れろ!』
なに当然のようにお前も脱出する気満々なんだよ。誰に憑くつもりだ。
感情が昂ぶったおっさんは、エレベーターのドアに向かって手を突き出し、奇声を上げた。
『きえええぇぇぇ! テメエらいくぞおおおぉぉぉ! かめはめ波でこのドアぶち破るんだ!』
「どこに気合入れてるんだよおおおぉぉぉ! できるわけねえだろ!」
「幽霊さん、かめはめ波の手の位置が低いですよ! もっと高くして撃って下さい!」
『おお。わりいな、嬢ちゃん!』
桜まで参加し、気をためだした。二人してまるで、便所で気張っているかのような格好でエネルギーを集中させ、気合を入れる。
なにしてるの、こいつら!?
「か、かめはめ波撃てないのです……。わ、わたし、どうしよ……」
二人の変化についていけない愛実が、おろおろする。このエレベーター内で当たり前な反応をする彼女が嬉しく、安心させようと頭をそっと撫でた。
「大丈夫だよ、愛実ちゃん。かめはめ波撃てる人なんて、この地球上にどこにもいないからね。この人たちが異常なんだからね。安心していいんだよ」
「でも、どどん波なら撃てるのです」
「なんでえええぇぇぇ!?」
愛実は人差し指を前に突き出し、気を集中させた。
「おっす、おら幼女。今からすんげえことするから、見てくれよな!」
「愛実ちゃあああぁぁぁん!? キャラ変わってますけどおおおぉぉぉ!?」
三人は同時に踏ん張り、険しい顔でドアに向かって手を勢いよく前に出した。そして、金切り声で叫んだ。
『かーめーはーめー波ああああああぁぁぁ!』
「どどん波ああああああぁぁぁ!」
まじで何してんの、この人たち!?
三人は殺気立った顔で何かを出す仕草をするが、かめはめ波もどどん波も放出されなかった。てか、でるわけねえだろ。亀仙人なめてんのか、こいつら。
「うおっ!?」
と、思ったそのとき、電気がつき、エレベーターが稼働した。馬鹿な!?
「う、嘘だろおおおぉぉぉ!? かめはめ波もどどん波もでなかったけど、エレベーターが動いたよ! やったあああぁぁぁ!」
突然の明るさで目がチカチカしながら、勝二は両手を上げ、やっと帰れる嬉しさで大声を上げる。
『ふっ……。わしらの元気玉がエレベーターを動かしたようだな』
「さすがは私たちですね」
「あんたら正気を失ってただけだろうが! ていうか、撃ったのかめはめ波だからね!?」
「クリリンのことかあああああああぁぁぁ!」
「愛実ちゃんはお願いだから戻ってきてえええぇぇぇ!」
動くエレベーター。どんどん上の階へ行っていく。とそこで、愛実があることに気がついた。
「……? あれ、おかしいのです。わたしたちが乗ったのは、《降り》だったはずなのです。このエレベーター、どんどん上っていくのです」
そんなまさかと、勝二と桜も上のランプ表示を見た。確かに階の数字が増えていく。上っているようだ。
ていうか、このデパートは五階までだったはずなのに、十階をとうに超えてしまった。なんだ、これ。




