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ヒューマン・ビーング  作者: マーブ
11/35

死の灰

第11章



 ハッサンはヌルディンと別れた後、意識を失った。前線であるため、地面にシートを敷いただけの、粗末な所だった。ハッサンはそのシートの上に寝かされた。

 ハッサンを運んでくれた兵士も、自分と同じように、体中が真っ赤になっていた。


 目が覚めたハッサンが、近くにいた兵士に、

 「ありがとう」

 と言うと、その兵士は無言で頭を少し下げた。


 兵士が去った後、少し起き上がる事が出来たので、周りを見回した。


 「あっ」


 隣の兵士は口と、鼻から、血を流して既に死んでいる。


 医師も、衛生兵らしき者も、見当たらない。多くの兵士が自分と同じように、寝かされているが、治療を受けた様子はない。これからも自分を含めて、治療を受ける事はなさそうだ。そこら中から、うめき声が聞こえる。ゲロを吐く、兵士の苦しそうな声も聞こえる。


 もし、ハッサンが広島、長崎の、原爆による被爆者の写真を見ていたら、自分達は原爆に被曝したと、すぐに気付いただろう。そして、自分達がこれから迎える、過酷な運命を知った事だろう。


 ハッサンが救護所に運ばれてから、まる1日たった。周りには、動いている兵士が、いなくなっていた。喉がひどく乾くが、立てそうにもない。


 「水が飲みたい」

 と思った。


 鼻をつく腐敗臭がする。


 ハッサンは周りに寝かされている兵士が、ほとんど死んでいるのを知った。


 「オェッ、オェッ」


 何日も食べていないので、つばだけが出る。

 手で口を拭うと血が、付いている。


 それを見て、

 「俺もこのまま、死ぬのか」


 ハッサンは天井にある、テントの汚れたシミを呆然と眺めた。そして死んで いった家族の顔を、一人、一人、思い出していた。


 次の朝、ハッサンは眠るように死んだ。


 そして長年の戦闘からも、開放された。


 アフガニスタン全土は、死の灰に覆われていた。もしも、ハッサンが元気で歩けたとしても、いくら歩いても、歩いても、死の灰からは逃れる事は、出来なかっただろう。


 もはや、ユーラシア大陸のどこに行ったとしても、死の灰から逃れる事は出来ない。

 そして容赦なく、男、女、子供、老人の区別なく、放射線によって体を、焼かれるのだ。


 皮肉にも、これで全世界で行われていた、人間同士の残虐と言える殺し合いは、人類が作り出した、大量破壊兵器と、核物質によって終わるのだ。

 いい人も悪い人も、持てる者も、持たざる者も、等しく死んでいくのだ。


 アフガニスタンは核爆発による、猛烈な熱線の、直接な被害はまぬがれた。しかし、爆心地であるインドでは、地上の姿は一変していた。

 地上にあった建物は、とてつもない爆風により、跡形も無くなっていた。原子炉が、爆発したと思われる場所には、巨大なクレーターだけが残った。


 わずかに残った建物の近くには、男女の区別もつかない人間が、黒い炭になっていた。頭と手足だけが、やっと区別が出来る。核爆発で生じた、熱線により、何のためらいの時間もなく、一瞬で焼かれたのだ。そこら中に、黒い炭の塊が転がっている。


 人間の形はしていないが、もとは間違いなく、生きていた人間だ。


 インドで起こった、核爆発の直撃を、まぬがれたインドシナ半島でも、アフガニスタンと同じように、死の灰が降り積もっていた。ここでは中国での、核爆発の死の灰も、同時に降りそそいでいた。


 タイの首都バンコクは、海が見える観光地で、有名な都市である。人口は800万人を越える。世界で最も観光客が訪れる所だ。この都市にも、容赦なく死の灰が、訪れていた。


 「こちらEX22K、どなたか聞こえますか?」


 無線機からはサーと言う、雑音しか聞こえてこない。


 「メーデー、メーデー、メーデー、こちらEX22K、タイからどなたか応答ありませんか?」


 しばらく待ったが、誰も応答してこない。


 ソムチャイは無線機の周波数を、7MHZに切り替えた。いつものこの時間帯は、雑音だけでSメーターが7まで振るが、今は雑音が全くなく、Sメーターが0で止まっている。


 異常な状態だ。


 聞こえるのは、サーと言う音だけだ。


 「メーデー、メーデー、メーデー、こちらEX22K、タイからどなたか応答ありませんか」


 しばらくすると、

 「EX22K、こちらVK9H3、聞こえますか?」

 応答があった。


 「こちらEX22K、VK9H3、了解、良く聞こえますよ」


 VK9と聞いて、ソムチャイはすぐに、オーストラリアの局だと気付いた。


 「こちらはタイのバンコクからです。昨夜から停電したままで、こちらでは大変な事になっています。そちらはどうですか、どうぞ」


 ジョンは停電と聞くと、偶然、タイでも停電しているのかと思った。

 ジョンの住んでいる、オーストラリアのアデレードでも、同じように停電したままだった。


 「了解。こちらはオーストラリアのアデレードからです。こちらも同じように、停電したままで、まる1日経っていますどうぞ」


 ソムチャイはやはりオーストラリアも、同じように停電しているのかと思った。

 そして、このオーストラリアの局の話しぶりから今、起こっている大変な事態が、よく分かっていないと感じた。


 「そちらは死の灰が降っていますか? こちらは大量の死の灰が降っています。どうぞ」


 ジョンは死の灰と聞こえたような気がしたので、何かの聞き間違いだと思って、


 「こちらVK9H3、もう一度、言って下さい。どうぞ」


 「死の灰です! 死の灰! VK9H3了解しましたか?」


 死の灰、死の灰と聞いて、


 「何!」


 ジョンは驚いた。


 昨日から、ジョンの住むアデレードでは、街中が謎の霧に包まれていたからである。それに、体中がまるで日光を浴び過ぎたように、赤く腫れていた。


 自分だけではなく家族も、近所の人も、同じように赤く腫れていた。霧のため、日光も出ていないのに、こんなに日焼けするのは、おかしいなと思っていた。


 それに昨日からの雷のような閃光、


 「ま、まさか、核か!」


 ジョンはやっと気付いたようだ。


 しかし、ジョンは、死の灰から出る大量の放射線を浴びると、日焼けと同じように、体が赤く焼けると言う知識は、まるでなかった。

 だが、死の灰の意味は知っていた。核爆弾が爆発した後に降って来る、放射線を出す危険なものとだけ、記憶にあった。


 「死の灰、本当に死の灰が降ってるんですか! EX22Kどうぞ」

 ジョンは確認を求めた。


 「こちらEX22K、本当に降ってますよ! どうぞ!」


 ジョンは昨日から、出ている霧の正体を知って慌てた。

 そしてマイクを置いて、慌てて部屋から飛び出した。


 「サラ、子供たちは!」

 大声でどなった。


 キッチンで、お昼の用意をしていたジョンの妻、サラは、


 「表で遊んでるよ!」

 それを聞くと、ジョンは家の外に飛び出した。


 無線機のある2階では、

 「こちらEX22K、VK9H3聞こえますか?」


 ソムチャイはしばらく待ったが、応答がない。


 「こちらEX22K、VK9H3応答願います」

 無線機からは、サーと言う音だけが鳴っていた。


 ソムチャイは仕方なく、このまま、この周波数で待つことにした。昨日から、無線をしていて、やっと今日、交信出来た、唯一の局だからだ。突然、交信が途切れたので、向こうで、何かあったのだろうかと心配した。


 ことが、ことだけに不安だった。


 ソムチャイは車のバッテリーで、無線機を動かしていた。自家用の発電機も持っていたが、肝心の、エンジンがかからなかった。


 何度も、腕が疲れるまで発電機のスタートレバーを引いたが、エンジンは、かからなかった。それに電気が来ないので、TVや電話、それに携帯電話は使えなかった。特に、ソムチャイが気にかけていたのは、携帯電話が使えない事だ。停電しているから当然、電話局も、中継用に立てられたアンテナも、動いていない。通じないのはよく分かる。


 しかし、バッテリーが内蔵されている、携帯電話が使えない。

 使えないと言うのは、携帯電話の電源が入らないのだ。電話局も、中継所も、動いていなくても携帯電話は、内蔵バッテリーで動くから、電源をONにすれば、当然、携帯電話はいつもの起動画面が出て、動くはずだ。それが、うんとも、すんとも、言わない。


 何も画面に現れない。


 壊れてしまっている。


 ソムチャイは今まで、インターネットで度々、日本のサイトに訪れていた。特に、日本に落とされた原爆に、興味を持っていた。


 放射能とはどんなものか、浴びるとどうなるのか、死の灰とは何なのかを、日本のサイトを通じて多くの知識を、持っていた。だから、空から降って来る物を、死の灰だとすぐに気付いた。体が赤く腫れあがるのは、急性放射線症状の一つだからだ。ただ、この症状が現れるのは、相当な放射線を一度に浴びた時だけだ。


 それだけに、


 「どれだけ浴びたか分からない。これだけ短時間に皮膚が赤くなるのは、多分、致死量以上の放射線を浴びているに違いない」


 とソムチャイ自身、覚悟していた。


 また、趣味のアマチュア無線を通じて、電子機器には精通していた。携帯電話の事も直感で、使われている部品に問題があって、いくら電源をONにしても、動かない理由も、だいたい察しがついていた。


 その部品とは、電子部品だと、確信していた。電子部品を少しでも使っている機器は、電源があっても動かないのだ。自家用の発電機が動かないのは、うなずける。メードインジャパンで電子部品を豊富に使っているからだ。


 無線機も同じように、新しい無線機は全く使えなかった。それで仕方なく、40年以上前に使っていた、オール真空管の無線機を、引張出して使っていた。オーストラリアの局も多分、真空管式の無線機を、使っているのだろう。


 なぜ、電子部品が破壊されたかは、よく分からなかったが、この死の灰イコール、核爆発により発生した、強力な電磁波によるものかと、自分なりに推測していた。


 「こちらEX22K、VK9H3聞いてますか?」


 まだ、応答はなかった。


 その頃、ジョンは2人の子供を公園で見つけて、家の中に入ったところだった。


 「サラ、家の窓を全て閉めろ! カーテンも閉めろ!」


 ここ、オーストラリア、アデレードの季節は真夏で、サラは不思議な霧を、気にはしていたが、暑いので家の窓は全部開けていた。


 「ジョン、何を言うの、窓を閉めたら暑いでしょう!」


 サラの、のんきな言葉にジョンはイラ立ちながらも、自分で家の窓を閉め、カーテンやブラインドを下ろした。


 「ジョン、何するの? 暑いでしょうが!」


 サラに言い返した。


 「サラ、死の灰が降ってるんだよ! これは霧じゃなく、死の灰なんだよ! 原爆なんだよ! 」


 ジョンは連れ帰った子供を指さして、


 「この子を見ろ! なんでこんなに日に焼けてるんだ! それに俺達も!」


 2人の子供は真っ赤に、日焼けしていた。


 昨日までは、こんな日焼けなどはなかった。オーストラリアに住む人達は、太陽の紫外線が特に強いため、日焼け止めのクリームを、塗る習慣があったが、この日焼けは異常なものだった。


 それにジョンと、サラは、今の今まで、全くこの異常に気付いていなかった。

 そしてジョンが、無線でバンコクのソムチャイから、死の灰が降っていると、聞かされるまでは、ただ、異常気象で、霧が、かかっているものだと、思い込んでいた。


 サラは、

 「死の灰?」

 始めは、何のことか分からなかった。


 しかし、ジョンが、

 「核だよ、核!」

 と言うと、血の気が引いた。


 サラにとって、核は全面核戦争を、イメージさせたからだった。


 「ジョン、何が起こってるの! 核戦争?」


 ジョンはサラに、


 「とにかく、ドアや窓に近づくな!」

 と言って、2階に駆け上がった。


 無線機の前に着くと、スピーカーからはサーとしか聞こえなかった。


 急いでマイクを握ると、

 「こちらVK9H3、ソムチャイ聞こえますか?」

 すると、すぐに応答があった。


 「VK9H3何かありましたか?」


 ジョンはまだ、ソムチャイと無線がつながっていたので、ホッとした。


 「ソムチャイ、一体何が起こっているんですか! どうぞ!」


 ソムチャイには、確かめたい事があった。

 「ジョン、そちらでは、死の灰は降っていませんか?」


 「了解、降っています! 核戦争が起こったのですか? どうぞ!」


 ソムチャイには核戦争が起こってるのかどうかは、断言出来なかった。

 推測だけでは、とても言えない。


 パニックを起こす可能性があるからだ。


 しかし、心の中ではそうだと確信していた。


 起こってしまったと、そしてマイクを握り、


 「ジョン、今、すぐに家中の窓や、ドアを、閉めて下さい。死の灰が家に入らないようにするために!」


 「了解、もう閉めました。どうぞ」

 ソムチャイはこれを聞くと、


 「ジョン、皮膚が赤く腫れてませんか?」


 「了解、家族皆、赤く腫れています。どうぞ」


 ソムチャイはやはりと思った。

 だが、放射線について知り得た知識で、死に至る程、放射線を浴びたんですよ、とは、とても口に出して、言えなかった。


 「核戦争が起こったたかどうかは、分かりません。この無線機でラジオの周波数帯を聞きましたが、どの放送局も、聞こえませんでした。こちらも何が起こったか分からなくて、混乱しています」


 いつもなら、中国の放送局が強力に入るが、今は何も聞こえてこなかった。


 「こちらVK9H3了解しました。こちらもTVが映らないので、何も情報が入りません。どうぞ!」


 ジョンはTVなんかは、全くあてにならないと思った。肝心な時に、TVが使えないから、TV漬けになっていたのを悔いていた。


 「これから、どうなるのですかどうぞ」


 ジョンから、これからはと聞かれたが、ソムチャイはこれから皆、死ぬんですよとは言えない。

 どうしよう、困ったなと悩んだ。


 だが、とても言えない、と思った。


 「ジョン、他の局とは交信出来ましたか?」


 「了解、ソムチャイ、他の局は聞こえて来ません。どうぞ」


 ソムチャイはわざと、話をそらした。


 多分、この被曝の仕方から考えて、遅くても2週間以内には、ジョンも自分も死ぬだろうと思っていた。


 しかし、ソムチャイの考えは甘かった。

 彼らの被曝の程度は、ソムチャイの考えを遥かに超える、量だった。

 彼らはお互いに、日が暮れる頃には死ぬだろう。


 「ジョン、2人の様子がおかしいの、早く来て!」


 2人の子供は痙攣を起こしていた。


 サラは驚いていた。


 「ジョン、早く!」


 ジョンはサラの声を聞いて、急いで下に降りた。

 すると、子供が2人共、痙攣を起こしていた。


 「サラ、病院へ連れて行くぞ!」


 そうジョンは言うと、ガレージへ向かった。


 ガレージの中は、真っ暗だった。

 それに、電気が来てないので、シャッターは開かない。 それでもジョンは、ガレージのシャッターを、車で押し潰しても、行く気だった。


 「かかれ、エンジン!」


 ジョンもソムチャイと同じで、30年以上昔の、全て真空管式の無線を使っていた。最近、買った高性能の無線機はどれも、使えなかったからだ。電子部品が問題を起こしていると、ジョンも、気付いていた。 


 同じように、ジョンの車も電子機器の制御なしでは、動かなかった。電子機器が使えないのは、分かっていたが、この死の灰の降る中、自分の子供2人を抱いて、1キロメートル先にある、公立病院に、連れて行くことは出来なかった。


 「かかれー、かかってくれ!」


 エンジンをかけようとするが、全く車が反応しない。電子機器の塊となった車は、動くはずがない。


 「ダメダ、ダメ!」


 ジョンは車をあきらめ、部屋に戻った。


 すると2人共、痙攣はなくなり、ぐったりしてソファーに寝かされていた。


 「ジョン、車は!」


 サラは祈るような気持ちで聞いた。


 「ダメだ。動かない!」


 「ジョン、何がダメなの」


 「エンジンがかからないんだ!」


 「どうして!」


 「どうしてもだ!」


 ぐったりしている、自分の子供たちを見て、ジョンは決意した。


 その時には、死の灰ことはジョンにとっては、どうでもよかった。


 「サラ、2人を連れて行く、お前は家にいろ。外には出るな! 分かったな!」


 そう言うとジョンは、


 「サラ、毛布を!」

 サラは急いで、毛布をさがした。


 「ジョン、これを」


 ジョンは毛布を受け取ると、子供たちを毛布でくるんだ。


 「サラ、病院に行って来る」

 そう、言うとジョンはドアを閉めて、歩き出した。


 そして、2人の子供を抱いて、死の灰が降る中、病院へと向かった。


 向かう途中で、人が道に倒れているのを見た。

 しかし、立ち止まる事は出来ない。

 昼間なのに暗い。死の灰は地面に積もる程、際限なく降っている。ジョンは ただ、ただ、病院を目指した。


 助けを求めてジョンの足をつかむ老人がいたが、

 「すまない」

 と一声言って、すがる老人の手を、払い除けた。


 ジョンは悲しかった。

 困っている人を放おっておくような、人柄ではなかったからだ。


 いつものジョンなら、困っている人を見ると必ず、どうしたのかと声をかける。

 だが、顔を覆いつくす程の死の灰を、右腕で拭いながら、歩くジョンには、そんな人柄は消え去っていた。


 死の灰さえ降らなければ、いつもの、心優しいジョンだったが、悲しいことだ。


 必死の思いで歩いたジョンが、ようやく病院の建物らしい輪郭を見つけた。そして病院の玄関の前に立った。 


 ジョンは玄関のマットを何度か踏んだが、ドアが開かない。

 停電しているのを、ジョンはすっかり、忘れていた。

 病院の中の様子はここからはよく見えない。

 ドアを力まかせに蹴るが、開く気配がない。


 仕方なくジョンは、病院の横に回り救急用のドアを無理やり蹴破った。

 中に入るとそこは地獄だった。


 「何だこれは!」


 救急室の中は人だらけだった。

 しかも、放置されたままだ。

 足の踏み場もない。

 床に置かれている人達は既に死んでいる。


 ストレッチャーに、乗っている若い女性は口や、鼻から、血を流して死んでいた。


 ジョンはたまらず、

 「誰か、助けてくれ!」


 声を張り上げて言ったが、返事はない。

 人が来る様子もない。


 仕方なく、人を踏まないようにして、奥へと進んだ。

 廊下に出ると、両側の壁づたいに、人が折り重なるように置いてある。

 幼い子どもから、老人まで置いてあった。


 皆、死んでいる。 


 そしてジョンの体にも、異変が起こっていた。


 ふらつきながらも、なんとか、廊下に広がる遺体を踏むまいと、努力していたが、若い男性の足を踏んでしまい、子供を抱いたまま、倒れ込んだ。


 ジョンは自分の下敷きになった2人の子供を、ゆっくりと、名も知らない遺体の上にせた。


 すると、急に顔から血の気が引き、気分が悪くなり、その場で吐いてしまった。

 吐いた汚物を見ると、多量の血の塊が混じっている。


 「おーい、おーい。誰か!」


 呼べど、叫べど、返事は聞こえてこなかった。


 ふと、子供を見ると、様子がおかしい。


 ジョンは慌てて手を握った。

 冷たい。

 その顔を見ると、まるで寝ているようだ。

 顔色は悪くはない。

 しかしジョンには2人共、死んだのがすぐに分かった。


 声に出せない哀しみが、込み上げて来た。


 「もう、この子達は2度と目覚める事はないんだ」


 顔を見ていると、今にも目覚めて起きてきそうだ。


 それが死と言うものだと、悲しいが、ジョンにはよく分かっていた。

 先月、母親を失ったばかりだったからだった。


 哀しみのあまり、声を出して泣いた。

 拭っても、拭っても涙が止まらない。

 拭った手を見ると、血に染まっていた。


 「愛おしい子たちよ、どうしてこんなことに・・・・・・・」


 ジョンにもまた、死が迫っていた。


 死にかけているジョンを、助ける者は誰一人いない。 


 どうやら、この病院で今、生きているのは自分だけらしい。ジョン自身、こんな死に方をするとは、思ってもいなかった。これから、もっともっと楽しい時を、迎えようとする我が子にも、こんな運命が待っていようとは、夢にも思っていなかった。


 遠のく意識の中で、


 「神様はダメだ」


 と思いながら静かにジョンは逝った。

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