始まり
第1章
その時はやって来た。
地球の軌道上を飛んでいる、宇宙ステーションISSの主電源が突然切れ、ISSの明かりが全て消えた。ジェリーはISSの軌道修正の準備をしていたが、
この突然の異常事態で、それどころでなくなった。
ジェリーは慌てて、中央制御室にあるブレーカーをチェックするが、ブレーカーは落ちていない。
「おかしいな?」
原因は分からないが何らかの障害で、全ての機能がストップしてしまったようだ。
クルー全員の命を守る生命維持装置も、止まってしまっている。
空気が出ていない。換気口に付いているリボンが、垂れ下がったままだ。
ISSのモジュールの一つ、デスティニーの窓から地球を眺めていたテリーは、大声で言った。
「おい見ろよ。地球が真っ暗だぞ!」
テリーはISSに起こった異常には、全く気付いていない様子だ。
太陽からの光が、部屋を明るくしていたからだ。
地球の軌道上を飛んでいる、宇宙ステーションISSからは、地球の昼の部分と、夜の部分の境目が、はっきりと見える。だが、今日はいつもの地球の姿とは、違っていた。
それは夜の部分には、いつも見られる綺麗な夜景が、全く見えなかったからだ。
「おい、テリー、電源が全部、落ちたぞ!」
ブレーカーをチェックしていたジェリーが、やって来て窓を覗いていた、テリーの頭を軽く叩いた。
「おい、テリー、一体、何やってんだ」
テリーは電源が落ちてしまっていることに、未だ気付いていなかったので、ジェリーは少しイラついた。
そんなジェリーを無視して、テリーが言った。
「ジェリー、これを見ろよ」
テリーは窓の外の地球を指さした。
イラつきながらもジェリーは、言われるまま窓を覗いた。地球の夜側がよく見える。
でも、街のいつもの明かりがない。
「なんだろう? 真っ暗だ」
ジェリーは今まで、見たことのない地球の姿を見て、
「大停電? 地球全部が?」
と思ったが、ISSは今、危機的状況であるため、ジェリーはすぐさまテリーと共に、復旧作業に戻らなければと思った。
今は、この地球の異変に、ゆっくりと付き合う時間はなかった。
後、数十分後には、呼吸が出来なくなるからだ。
宇宙ステーションISSと同様に、地上でも大規模な停電が起こっていた。
アメリカのオハイオ州エリー湖付近の地下にある、核ミサイル発射施設も、停電していた。
停電した瞬間にバックアップ電源に切り替わり、薄暗い室内ランプと、ミサイル管制装置から発する明か りだけが、わずかに光っていた。
すると突然、核ミサイル発射を警告する、コンピュータからの音声が流れた。
部屋のランプが真っ赤に切り変わった。発射体制の緊急色だ。
「ただ今より、核ミサイル発射のカウントダウンを、始めます」
コンピュータからの音声だ。
「1番、2番発射ゲート開けます」
モニターの前にふんずりかえって座り、居眠りしていたマイケルは、突然のコンピュータからの警告音声 と、ただならぬ部屋の異常な振動に驚き、慌てて体を起こそうとして、
椅子から滑り落ちてしまった。
倒れてしまった椅子をそのままにして、しばらくの間、何も考えられずにボーと立っていた。
「発射十五分前」
カウントダウンは続いた。
「何で?」
そう思いながらも、発射訓練と同じ状況になり、マイケルの頭は混乱した。
しかし、
「これは訓練ではない!」
「何故、発射キーなしで勝手に!」
発射ゲートの開く振動、目の前ある、乱れてはいるが、はっきりとターゲットを、映しだしているモニター画面、それに発射時刻を示す時計が、動き出しているのを、見て
マイケルは本当に発射するのだと、確信し、止めなければと思った。
大統領命令なしで、核ミサイルを発射する事は絶対に、出来ないシステムになっている。それにマイケル と、相棒のトムの発射キーを同時に差して回さないと、
核ミサイルを発射することが出来ないようになっている。それ以外にも、いくつかの、プロセスをクリアしないと、核ミサイルが発射出来ないように、何重にも守られている。
何故なら、核ミサイルでの攻撃は、全面核戦争の始まりを、意味するからだ。
隣の部屋で、仮眠をとっている相棒のトムのことはもう、マイケルの頭にはなかった。
ただ、発射を食い止めようとする思いで、必死に、キーボードで中止命令をたたいたが、コンピュータか らは、何の応答もなかった。
目の前にある司令本部直通の緊急用電話をとったが、うんともすんとも言わない。
「何故、通じない!」
電話を置き、すぐに無線のスイッチを入れ、緊急用の呼び出し周波数に合わせた。
「こちらNMA101サイロよりPG司令本部応答せよ!」
マイケルは一旦マイクを置いた。
雑音が聞こえるだけで応答はない。
「妙だな」
マイケルは思った。
この無線はデジタル方式になっている。音声をコンピュータによって、暗号化し、送信している。受信も デジタルだから、雑音は全く入らないはずだ。
おかしいと思いつつも、もう一度、
「こちらNMA101サイロよりPG司令本部応答せよ! こちらNMA101サイロよりPG司令本部、至急応答せよ!」
だが、応答はなかった。
ただ、雑音だけが聞こえた。
マイケルの声でトムが起きて来た。
トムは部屋の様子を見て、
「マイケル、一体何をした?」
「何もしてない。ミサイルが勝手に・・・・・・」
チラついているモニター画面には、確かにターゲットである敵国が、表示されていた。
一方、同じような事態が海面下でも、起こっていた。
太平洋、ソロモン諸島沖を潜行中の、対ロシア戦攻撃型原潜、アメリカの原潜ハワードでも起こっていた。
原潜ハワードも原因不明の、停電を起こしていた。現地時間で午前3時30分、そして艦内には、核ミサイル発射レベルの非常用ランプがついていた。
「ただ今よりミサイル発射シーケンスを開始いたします。発射20分前」
艦内中にこの音声が流れた。
この放送を聞いて、発令所にいた副艦長のトニーは飛び上がった。そして慌てて電話をとったが、発信音が聞こえない。
「これはダメだ」
と思い、電話を放り投げて艦長室に走った。
いきなりドアを開けて、
「艦、艦長、核ミサイルの発射シーケンスが勝手に動きだしました!」
副艦長トニーが、艦長のリチャードに報告すると同時に、ミサイル発射ゲートが、いっせいに開き始めた。
激しい振動は艦内中を震わせた。発射ゲート14門全部が開いているようだ。
艦長は寝ていた。
そしてベッドから起き上がりながら腕時計を見た。
「まだ、4時前か」
艦長には副艦長トニーの声が、聞こえていないようだ。
ボーとしている艦長に、
「ミサイル発射ゲートが全門開いているようです。通常兵器ではなく核を搭載したミサイル全部が・・・・・・」
副艦長トニーは、発射ゲートが全門開いていく振動を、体で感じながら言った。
それを聞いた艦長リチャードは、
「そんなバカなはずはない!」
そう言いながらも艦長リチャード自身も、発射ゲートが開く振動と、音を、体で感じていた。
「私は発射キーを持ってるんだぞ! それに暗号コードもまだ・・・・・・ しかしこの振動は一体・・・・・・」
艦長リチャードはこの状況に戸惑った。
通常、核ミサイルを発射する場合、手順として艦長と副長、両方の発射キーが必要で、それに暗号コードの確認作業などで、核ミサイル発射に対し、
簡単に核を使うことが出来ない仕組みになっている。
「しかし、現に、発射のカウントダウンが始まっているんですよ! 発射ゲートも開いているようです。今の振動を感じたでしょう!」
副艦長トニーはつい大声で、艦長に怒鳴ってしまった。
「バカな、そんなことは起こるはずがない」
艦長リチャードはそう思いながらも、
「しかし、あの振動は確かに発射ゲートが開いているようだ」
と感じ、足早に副艦長トニーと、発令所に向かった。
発令所では、戦闘モードを示す赤の照明に、切り替わっていた。
艦長リチャードが発令所に入り、戦術士官を押し退けてモニターを見た。
コンピュータはなんとか動いているようだ。しかし、モニターの画面は歪んだり、点滅したりして一体、何を表示しているか分からなかった。
「一体、どうなってるんだ!」
艦長は大声で怒鳴った。
核ミサイルSSNGの発射カウントが、すでに始まっていた。
頭上にある、核ミサイル発射を示す時計が動いている。
それを見て、
「こんなバカな!」
艦長は自分の目を疑った。
核ミサイル発射を示す時計が、あと残り、十一分になっている。周りの戦術士官が、突然の予期しない、 核ミサイル発射を食い止めようと、必死に核管制モニターの
あるコンソールに、行ったり来たりしている。しかし、解除コードを、幾度も入力しようとキーボードをたたくが、全くコンピュータからの応答は なかった。
発射のカウントは90秒を切っていた。
一人の戦術士官が、
「止めることが出来ません!」
と艦長リチャードに訴えた。
「・・・・・・」
艦長リチャードは何も言えなかった。
まもなく発射だ。
「副艦長、艦隊司令本部に連絡だ!」
艦長リチャードは副艦長に命令した。
しかし、今、使用可能な通信手段は停電と同時に、なくなっていた。
「艦長、通信機の故障で艦隊司令本部に連絡出来ません!」
断腸の思いで副艦長トニーは言った。
この原潜、一隻だけで一国を滅ぼすことが出来る。それほどの核弾頭を、搭載していた。
ターゲットには、アメリカ本土の核ミサイル発射施設と同様、中国と、ロシアの主要都市と軍事施設に集中していた。中国、ロシアとの全面核戦争を、想定
しての設定である。
乱れているモニターの画面には、ターゲットである中国、ロシアの各都市、軍事施設がチラつきながらも、表示されている。
しかし、実際にロシアと中国が核兵器で、アメリカを攻撃したと言う情報は、通信が途絶するまで入って いない。大統領の命令がないと、核兵器は使用出来ない。
今、なんの理由もなく、核兵器で両国を攻撃すると、全面核戦争を引き起こすことになる。
「なんとか止めろ!」
艦長の怒涛の声が、発令所に響き渡った。
アメリカ本土では、オハイオ州の核ミサイル発射施設だけではなく、アメリカ全土の、核ミサイル発射施設にも、同じ事態が発生していた。全核ミサイル発射のカウントダウンが、停電と同時に、始まっていた。
そしてロシア、中国でもアメリカと同じ状態になって混乱していた。アメリカと同様にロシア、中国でもすでに、発射のカウントダウンが始まっていた。
ロシア、中国の核ミサイルのターゲットはアメリカ全土、イギリス、韓国、日本そしてハワイ、グァム島、それぞれの主要都市と、軍事施設がターゲットになっていた。
更に驚くべきことに、アメリカとロシアだけでなく、核兵器を1個でも保有している国では、ミサイルに 搭載されているもの、核弾頭として保管してあるものの区別なく、起爆可能な核兵器は、タイマーが動き出した。
アメリカ、ロシア、中国と同様に止めることが出来ない、狂気のカウントダウンが、全世界で始まった。
何故、こんな事になったのかは、誰も分からない。
太平洋ソロモン諸島沖を潜行中の原潜ハワードでは、核ミサイルの発射を止めるための、あらゆる手段が とられていた。
しかし、恐ろしい事にも、ミサイルに搭載されている核弾頭以外にも、格納庫に保管されている核弾頭192発も、タイマーが一斉に動き始めた。
「こちら核弾頭保管庫、本艦搭載の核弾頭、全てのタイマーが起動しました!」
艦内放送が流れた。
不気味に光る赤い数字、核弾頭保管庫は血の色に染まった。
核弾頭一発当たりの破壊力は、第二次世界大戦時、日本の長崎市に落とされた、核爆弾ファットマンの5~25倍にも及んだ。
ここソロモン諸島で、この核弾頭が爆発すれば、ソロモン諸島はもちろん消滅、オーストラリアにも破滅的な被害を、与えることは間違いなかった。
発令所の全員は凍りついた。
誰も声を出せない。
だが、我慢出来なかった一人が、
「艦、艦長、一体何が・・・・・・」
発令所から、少し離れていた操舵手の一人が、後ろを振り返って思わず言った。
艦長リチャードは何も答えられなかった。
その顔は恐怖で青ざめていた。
まもなく、発射だ。
「5、4、3、2、1」
轟音と共に、激しい振動が襲ってきた。
「発射」
全艦内に、冷たいコンピュータからの音声が、轟音の中で微かに聞こえた。
発射の影響で、艦尾が徐々に大きく沈み始めた。その傾きは急で、転げて、艦尾方向に滑って行く者や、必死にパイプにしがみつく者、全ての発射ゲートからミサイルが発射される反動は、今まで、経験したものではなかった。
訓練でダミーミサイルを、1発だけ発射する時とは、明らかに違っていた。発射ゲート14門から間違いなく、核ミサイルが発射されたと、誰もが感じた。
「核、核戦争が始まる・・・・・・」
誰かが小声で言った。
激しい振動はしばらくの間、おさまらなかった。
艦長リチャードは全面核戦争が始まる恐怖と、この艦が、間もなく核爆発で粉々になり、自分達も死ぬことを全神経で感じていた。このことが何かの間違いで、発射は止められるという微かな望みは、既に吹き飛んでいた。
ふと、モニターを見たが、モニターは相変わらず乱れているが、核ミサイルが確実にターゲットへと、向 かっているのがひと目で把握出来た。
核ミサイルの発射が終わると、艦内は次第にざわめき始めた。
この原潜の乗組員全員が、今度は自分達の死を覚悟しなければならなかった。