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2.2

 強化プラスチックの外装をすべて取り外すと、30500の整形外科に置かれるような骨格模型のようなフレームが現れた。時計を見ると既に午後五時を回っていたので、そろそろ夕食を取ろうかと思い立ち上がったが、冷蔵庫の中身が空になっていることを思い出し、外食に行くことをその場で決めた。


 一人で食事に行くのは少し虚しい気がしたので、若葉の家に電話をかけた。平塚無線の店主を誘っても良かったが、彼と出かけると毎度歌舞伎町から始発かタクシーで帰宅する羽目になるので、仕事の残っている事を思い出して彼には連絡しなかった。


『はいもしもし、七原です』


 電話に出たのが若葉本人だったので、本人を読んでもらう手間が省けた。


「若葉ちゃん?俺だよ、了一」

『了一さんですか?どうしたんですか、こんな時間に』


 若葉の嬉しそうな声が了一の耳に届く。どうせ食事をするなら可愛らしい女の子の方がいいよなと、今更ながら彼は平塚無線にダイヤルしなかった自分の判断を正解だと思った。


「食事に出かけようと思ったんだけど、一人じゃちょっと寂しくてね。どうだろう、一緒に食べにいかない?」

『え、え、でも私お金はそんなに……』

「かわいい女の子に食事を奢れないほど、貧乏じゃないよ」


 この台詞だけだと下心があるように思えなくもないな、彼は思った。

 ただ、反応が面白いので彼女にはよくこういう類の言葉を言ってしまうのだ。


『そんな、照れちゃうから褒めないで下さいよ』


 彼女が電話の向こうであたふたと顔を赤らめるのが容易に想像できて、了一はなんだか可笑しくて笑ってしまった。


「それで、どうする?予定があるんだったら全然構わないんだけど」


 家族や友人と約束があるなら、無理に誘うのは失礼である。

 彼は彼女が断れば陰鬱な気分でピザの出前を取ることを決めていた。ついでに髭面のラジオ屋の事はすでに忘れていた。


『い、行きます!ご一緒させて下さい!』

「それじゃぁ六時ぐらいに迎えに行くから、準備しておいてね」

 

 食事の約束をとれた事に喜んだ了一は、優しく受話器を置いた。今日も居間でテレビを見ていたケイが、了一に顔を向け、恨めしそうな視線を送ってきた。


「なんだよケイ、言いたいことがあるなら言ってくれ」


 彼女の視線に怯んでしまった了一は、思わずそんな言葉を述べた。


「特にないです。ただ、若葉さんと遊びにいくのをすこしうらやましいと思っただけです」


 特にない、と言っているケイに随分と恨み事を述べられてしまったので、彼も負けじと嫌味で返すことにした。


「いいだろ?お前が会いたがってるって事は忘れずに伝えておいてやるよ」

「……意地悪」


 了一はケイの最後の言葉を無視して、そのまま玄関を出て若葉の家に向かった。約束の時間にはまだ時間があったので、電気街をふらふらとうろつくことにした。


 若葉の家は、彼女の祖母が経営している煙草屋から徒歩三分の距離にある築十二年のマンションの一室で、彼女の両親と三人で暮らしている。

 約束の時間にはまだ十分あったが、了一はもうそこに到着しており、扉の横の呼び鈴を鳴らした。


 数秒後に出てきたのは、若葉ではなく彼女の父だった。


「久し振りだね、了一君」


 了一が学生の頃からはすこし白髪が増えたみたいだったが、優しそうな目と整った顔立ちは今も健在だった。


「どうも、お久しぶりです。すいません、若葉ちゃんを連れ出すことになって」


 前に若葉の父と会ったのは、今年の正月以来だった。元旦に了一はケイと一緒にこの家を訪れ、雑煮とお節料理を一通り御馳走になった。若葉にお年玉を持っていったのだが、逆に二人がお年玉を貰ってしまったことを彼は思い出した


「いや、いいんだ。若葉は君に会うのが楽しみでお義母さんの煙草屋を手伝うぐらいなんだから」

「え、そうだったんですか?」


 それを聞いた了一は、一瞬目を丸くして、間抜けな表情を浮かべた。その言葉を聞いた彼女の父は、一瞬だけ目を丸くして、すぐに声を殺して笑い始めた。


「まぁ、娘の喜ぶ顔を見たくない父親はいないとだけ言っておくよ」


 彼は笑いを堪えながら、了一の肩を軽く叩いた。了一はというと、若葉がいつも煙草屋で店番を手伝うのは暇つぶしなのだろういう軽い認識しか持っていなかった彼は、驚きの余り何もしゃべることができなくなっていた。


「お待たせしました、了一さん。ちょっと着替えてまして……」


 玄関の奥から、いつもの深緑色のジャージの代わりに、薄い水色をした半袖のワンピースを着た若葉がぱたぱたと足音を立てながら出てきた。


「こんばんは、若葉ちゃん」

「こんばんは了一さん、今日は、お誘いいただきありがとうございます」


 そう言って、その場でぺこりと行儀よくお辞儀をした。


「それじゃぁ二人とも、車には気をつけるんだよ」


 若葉の父は、そのまま二人がマンションのエレベーターに乗り込むのを見送った。




 若葉の要望で、二人は近くのファミリーレストランに来ていた

 。店内にいる客はそれほど多くなかったので、二人はすぐに窓側の禁煙席に案内された。周囲の目から自分たちはどう映ってるだろうかと一瞬だけ了一は考えたが、純粋に彼女との食事を楽しみたかったのでその考えをすぐに捨てた。

 

 壁際に置かれたメニューを開き、あれこれ議論した結果、若葉の頼むミックスフライ定食のコロッケを渡す代わりに、了一のチキンステーキを一切れ渡すことで決定した。食後のデザートは、季節限定のメロンパフェを仲良く食べることにした。

了一は暇そうなウェイトレスを呼び、注文を伝えた。

 若葉が店の柱を見つめていたので、彼も気になって彼女の目線を追った。その先には三十インチはあるだろう大型の液晶テレビが壁に掛けられており、夜のニュースが流れていた。


『続いてのニュースです。大手化粧品チェーンのアルタイルコーポレーションが、二千億円にもわたる負債を返済するため……』


 ニュースの内容は不景気を煽るような物だったので、了一は少しため息をついた。

「アルタイルコーポレーションってあれですかね?四十歳ぐらいの美人社長がよく深夜のテレビで宣伝をやってるところですかね?」


 四十歳ぐらいの美人社長とは、きっと美智代の事だろうと彼は思った。


「あぁ、ケイもそんなこと言ってたっけな。当の美人社長は羽振りよさそうだったけど、二千億も借金があるとはね。ところで若葉ちゃん」


 彼は襟を正して、彼女に向かい合った。


「はい?どうしました?」

「夜中までテレビ見てちゃ駄目じゃないか」

「そ、そんなこと言ったってアニメがやってるんだから仕方がないじゃないですか……」


 若葉が消え入りそうな声で言い訳を喋る。


「録画しなさい」

「待ちきれないんです……しょうがないじゃないですか」


 彼女の子供心が理解できなくもなかったが、できることなら彼女には夜更かししてほしくなかった。ケイみたいに深夜の通販を見るのが趣味になってしまうと、同居人の睡眠を妨害してしまうことになるからだ。


 そんな下らない話を交わしていると、先ほどのウェイトレスが専用のカートに乗せて料理を運んできた。皿を一枚づつ手に取り、二人の前にそれぞれ注文した料理を丁寧におく。ごゆっくりどうぞ、と一言だけ残して、カートを押しながらキッチンへ戻っていった。


 了一の頼んだチキンステーキは思ったよりも小さかったが、熱々の鉄板が肉に焦げ目をつける音が彼の胃袋を刺激した。


 若葉の料理に目をやると、大きな海老フライが二つにコロッケが一つ、さらに小振りなカキフライが三つも乗せられており、了一はミックスフライ定食にすれば良かったかなと後悔した。諦めて目の前の料理にすぐ手をつけようとした了一だったが、フォークが付け合わせのポテトに刺さる前に、若葉に止められてしまった。


「だめですよ了一さん、ちゃんといただきますって言わないと」


 行儀の悪い了一に、若葉がきっちりと釘を刺す。さっきまで偉そうに説教を垂れていた自分はどこに行ってしまったんだと思い、彼は少し笑ってしまった。


「そうだね、ごめんごめん」


 了一は右手に持ったフォークを皿の脇に申し訳なさそうに置いた。


「いただきます」


 彼は一本締めの要領で一度だけ手を叩き、食前の挨拶を済ませた。その姿を見た若葉は納得したように頷いた。


「それじゃぁ私も、いただきます」


 了一はフォークで程よくカットされた鶏肉を口に入れた。胡椒がよく効いており、値段を考えればなかなかの味だった。若葉もフォークでタルタルソースがたっぷりとかけられた海老フライを刺し、口いっぱいに頬張った。サクサクとしたその食感と秘伝のタルタルソースが彼女を笑顔にした。


「とっても美味しいですね」

「うん、この鶏肉も結構うまいよ。そうだ、若葉ちゃん約束通りコロッケちょうだい。ほら、俺の鶏肉あげるから」


 鶏肉を一切れ彼女の皿の上に載せる。ただでさえ豪華なミックスフライ定食がさらに豪華になった。


「そうですね……ちょっと待って下さい」


 彼女はナイフとフォークを器用に使い一口大のサイズに整えたコロッケをフォークで指すと、そのままそれを了一の口へ向けた。


「了一さん、あーん、です」

「……普通にくれれない?」


 了一の抗議は、彼女の意志を変えることができなかった。相変わらず彼女は笑顔でフォークを彼に向たままだ。


「あーん、です」


 さらに彼女の言葉による追撃が了一を襲う。この時だけ、彼には彼女の笑顔が迫力のあるものに見えた。彼女の根気に負けた彼は諦めて突き出されたフォークにかぶりついた。


「美味しいですか?」


 若葉は小動物のように可愛らしい微笑みを浮かべながら、了一に尋ねた。


「恥ずかしかった」


 周囲から突き刺さる猜疑的な視線のせいで、彼は味などわからなくなっていた。仲のよい兄妹と周りが誤解してくれていればいいのだが、それ以外の関係に見えてしまうと通報されかねない、と彼は思った。


「そうなんですか?お父さんとお母さんにやるとすっごく喜ばれるのに」

「俺も嬉しくないわけじゃないけど、こういうとこでやると流石に恥ずかしい方が勝るかな」

「じゃぁ、今度はお家でしてあげますね」


 そう言う問題じゃない、と言いかけたが、周囲の目線がより一層厳しくなった気がしたので、彼は黙って頷いた。それからまた、彼女の学校のことやケイのことを話しながら食事を続けた。


 料理を食べ終えると、皿を片づけに来たウェイトレスが頼んでおいたメロンパフェを二人の前に置いた。それはメニューの写真以上に豪勢な物だったので、二人はつい驚きの声を上げてしまった。


「思ったよりすごいな」

「そうですね……って早く食べないと溶けちゃいますよ!」


 独特の細長いスプーンを使って、彼女はオレンジ色のシロップが掛けられた白いクリームの山を食べ始めた。了一も同じようにスプーンでパフェをすくい、口に運んだ。わざとらしいまでの甘さが、口いっぱいに広がる。甘いバニラアイスの上にさらにクリームとシロップが掛けられたそれは、甘い物が好きでなければ見ただけで胃がむかつきそうな物だったが、人並み以上には甘党の彼には美味しく感じられた。


「了一さん、男の人なのに随分おいしそうに食べますね」


 夢中になって食べる了一の姿を見た若葉は、彼が小学生みたいに頬を緩ませるのが可笑しかった。


「男だからって甘い物が嫌いな人はそうそういないよ……まぁ、あいつは嫌いだったけど」

「そうですね、お兄ちゃんは食べない人でしたね」


 七年前に自殺した、若葉の兄である桜は、了一や妹が美味しそうに甘い物を食べる姿をいつも信じられないといわんばかりの目で見ていた。それを面白がって誕生日にチョコケーキとショートケーキを一ホールづつ用意してみた事あったが、それでも彼は頑なに一切れも食べなかったので、了一は胃が痛くなるまでケーキを食べる羽目になった。


「どうして兄さんは、あんなことをしたんでしょうね」


 パフェを食べる手を止め、寂しそうに若葉は了一に尋ねた。

 彼女はまだ中学生だったが、兄の死に疑問を持たないほど子供ではなかった。彼女の精神的な成長を了一は少し嬉しくも思ったが、その疑問には答えることはできなかった。

 桜は飛び降りる直前になっても、なぜ命を捨てたのかを了一にすら教えてはくれなかったのだ。遺書も残されていなく、誰ひとり彼の死の真相が分らずじまいだった。


「……そうだね、天国であいつに会えたら、こっそり若葉ちゃんに知らせてあげる」


 この言葉が彼女の耳にどう聞こえるかわからなかったが、彼には悲観的ではない答えがこれしか思いつかなかった。


「じゃぁ、あと百年は待たないといけませんね」


 慰めでも諦めでもない了一の言葉を聞いて、彼もまた悩んでいる事に気づいたのか、若葉も冗談交じりに答えた。


「おいおい、そんなに長生きしなきゃならないのかよ」

「そうです、目指せ世界新記録です」


 胸を張って、彼女はそう言った。

 彼は百年後の自分を想像してみたが、駄目だった。明日の自分でさえ想像できそうにない。

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