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1.3

 そして次の日、了一は完成したアリスを後部座席に乗せ、埼玉県にある大林の自宅に車を走らせていた。車内には二人、正確には一人と一体だけで、ケイには自宅で留守番を命じていた。


 梅雨明けにはまだ程遠いらしく、車内にいる二人には雨が激しく車を叩く音が聞こえた。


「あの、了一さん」


 後部座席に行儀よく足を揃えて座っているアリスが、思いつめたような表情で運転手の名前を呼んだ。


「まぁアリス、事情が事情だって言うのは大林さんから聞いてるけど、そんな顔だと娘さんは喜んでくれないぞ?笑っていた方がいいぞ、昨日みたいにさ」


 そうですね、と彼女は小さく答え、バックミラーを見ながら笑顔の練習を始めたが、どの笑顔もぎこちないものばかりで、どこか憂いを帯びたものに見えた。


「大丈夫か?調子悪そうだけど風邪でも引いたか?」


その姿を見かねた了一が、アリスを元気づけようと軽口をたたいた。


「もう、私たちは風邪なんか引きませんよ」


 彼女はぎこちない笑顔で応えたが、その表情は病人のそれよりも元気のなさそうに見えた。


「心配事があるなら早めに言ってくれていいぞ?どんな映画でも、ロボットの故障の原因は百パーセント良心の呵責なんだしさ」


 実際、機械は高度な処理を同時に行おうとするとエラーを起こして再起動するか故障するかのどちらかである。人間の場合、再起動できずに故障しておしまいだけど。


「もう、そんな縁起の悪いこと言わないでください」


 バックミラーに映るアリスが、拗ねるように窓の外に顔を向けた。


「あ、ってことは今自分の良心と闘ってるんだな」


 了一は、子供みたいに拗ねた彼女をからかった。


「そういう言い方、やっぱり昨日ケイさんが言ったたことって本当だったんですね」

「あ、おい昨日あいつと何話したんだよ。ちょーっとでいいから、お兄さんに話してくれないか?」


 ケイは了一以外の人には、話の種としていかに了一が駄目人間であるかを語る場合が多々あり、多くの人は了一にその内容をかたくなに教えようとはしない。


「嫌です、教えません」


 アリスもその例外にはならなかった。


「ケチだな、アリスは」


 了一が不機嫌そうにそんなことを言うと、アリスはくすくすと笑い始めた。


「そうそう、そういう顔してれば、可愛いんだから」


 そう言うと、彼女は一瞬だけいい笑顔でニコッと笑ったが、ほどなくしてまた暗い表情に戻ってしまった。

 それからしばらく黙って車を運転していると、彼女の重い口がようやく開いた。


「あの、了一さんは……」

「どうした?質問があるなら気軽に応えるよ」


 再び開いた会話の糸口を逃がさまいと、了一はできそうな約束を付け加えた。


「大切な人を亡くした時って、人間の方はどういう気持ちになるんですか?」


 ただ、後部座席からは予想外の質問が返ってきたので、了一は驚きのあまり十秒ほど沈黙してしまった。


「それはまた、随分と気軽に答えづらい質問だね」


 ようやく思いついた返答も、彼女の質問に対する答えにはなっていなかった。


「す、すいません答えづらいならやっぱりいいです」

「でも約束したからね、うん。俺は……俺の場合はさ、何も感じなかったかな」

「何も、ですか?」


 了一の答えに、アリスは面を喰らってしまった。


「そう、何も。学生の頃親友が死んじまったんだけど……葬式の時に、涙は出なかったかな。何でだろう、次の日になったらあいつがひょっこり俺の家まで会いに来るような気がしてならなかったんだ。頭ではわかってるはずなのに、今でもそう思ってるよ」

「人間らしいですね、了一さんのそういうところ」

「馬鹿なだけだよ、俺の場合はね」


 了一は吐き捨てるようにそう答えた。




 大林の家は埼玉県のベットタウンにある一戸建てで、住所がわからなければ見分けがつかないほど平凡な物だった。一台分のスペースが空けられていた大林の家の駐車場に車を停め、後部座席からアリスが傘をさして出てくるのを確認すると、了一は車に鍵を閉めた。


 インターホンのボタンをアリスの白く華奢な指が押す。呼び鈴独特の、あの近くで鳴っているはずなのに遠くで鳴っているような錯覚に陥らせる音が了一の耳で響いた。するとすぐにドアの鍵が外される音がした。


「どうも、木崎さん……とアリス。随分と可愛らしくなって帰ってきたね」


 大林は彼女に柔らかな微笑みを向けたが、アリスがその微笑みに応えることはなかった。大林は、アリスも娘に会えば元気になりますよ、と言って二人を家の中に案内した。


「娘は二階の一番奥の部屋にいます。さっき昼食を持っていったんですが、一口も食べなくて。でも、アリスが一緒ならきっと食べてくれる気がします」

「そうですか……それじゃぁ、俺はここで。残りの代金は、この間指定したの口座に振り込んでいただければ結構ですので」


 了一は玄関口でアリスと大林に別れを告げようとした。


「そう言わないでください、了一さんに娘を紹介したいんです。アリスを人間にしてくれた魔法使いだよ、って」

「いや、俺はそういうわけじゃ……」


 相変わらず大林は了一の職業をわざとらしく表現したが、それはきっと娘のためなのだろうと思ってしまった了一は、最後まで反論するのを諦めた。


「今、娘を連れてきますので、居間で待っていて下さい。アリス、お茶の場所は変わってないから、木崎さんに用意してあげるんだよ


 アリスは黙って頷き、了一を居間に案内した。



 了一は近くにあった茶色のソファーに腰をかけ、居間全体を見回した。

 居間は茶色を基調とした落ち着いたもので、部屋の隅には人の背の高さほどある大きめの観葉植物も置かれていた。

 机の上には、大林と妻と娘の三人が笑顔で映った家族写真が写真立てにきれいに収められ置かれていた。壁には、二人の男女と一人の子供が書かれたクレヨン画がセロテープで張り付けられていたおり、描かれた男女の下にはそれぞれお父さん、お母さんと書かれており、真ん中の少女の下にはさち、と書かれた。


「なぁアリス、あれは娘さんが書いたのか?」


 了一は台所でうつむいたまま日本茶を用意するアリスにそれとなく尋ねた。


「そうですよ、幼稚園でさちさんが書いた、最後の絵です」

「へぇ……」


 壁の絵を見ていると、アリスが台所からトレイに湯のみと急須を乗せて持ってきてくれた。

お茶を了一の前に置くアリスは下唇を噛み肩をわなわなと震わていた。


「アリス?」


 あまりにもアリスの挙動がおかしかったので、彼は彼女の名前を優しく呼びなだめようとした。


「あの……了一さん、お願いがあります」


 アリスは肩を震わせたまま、消え入りそうな小さな声でしゃべり始めた。


「俺ができることなら、なんだってやるさ」


 不安そうな彼女を落ち着かせるために、了一はまたできるかもわからないことを約束した。


「帰って、下さい」


 了一は、その願いに嘘や偽りは見出せなかった。その言葉には彼女の悲しみと苦しみが隠れていた。


「言いたいことがあるなら言ってくれていいんだぞ」


 それでもその言葉に納得できなかった彼は、できるだけ優しそうな声でその理由を遠まわしに尋ねてみても、彼女は首を左右に振るだけだった。


「もしかして大林さんに関することなのか?」


 そう尋ねてしばらく経ってから、ようやくアリスが小さく頷いた。


「だったら、君が気に病むことじゃないよ。本人の問題は、本人が解決しなければ意味がないんだから」


 彼は自分の言葉を無責任だと感じたが、彼女の苦しみが少しでも和らぐ為になら、自分の小さな良心が傷つくだけの覚悟はできていた。


「それでも、優しいあなたにだけは、見てほしくないんです!」


 アリスは急に声を荒げ、了一に怒鳴った。


「落ち着け、落ち着くんだアリス」


 了一は立ち上がり、アリスの肩を掴んで揺さぶった。それでもアリスは下をうつむいたまま声を詰まらせて泣くだけだった。

 階段を降りる大林の足音が聞こえてきた。


「お願いします!早く、早く帰って下さい!」


 足音が大きくなるにつれ、彼女は激しく了一に懇願した。

 昨日まではあんなに笑えた彼女が、どうしてこんな風になってしまったのか。彼は、昨日のうちに彼女の悩みを聞いてあげられなかったことを強く後悔し始めた。


「お願いです、早く、早く!」


 居間のドアが、大林の手によって開けられた。


「ごめんごめん、さちがなかな部屋から出たからなくてさ」


 部屋に入ってきた大林の姿を、了一は見た。その姿を見て、了一はどうしてアリスが悲しむ理由が分かった。彼は大切そうに腕に何かを抱いていたが、それは家族写真に写った少女ではなかった。


 その腕には、少女の服を着せられた熊のぬいぐるみが優しく抱かれていた。


「さち、ほらアリスだよ。君が大好きなアリスが、人間になって帰ってきてくれたよ」


 さち、さち、と大林が優しく娘の名前を呼ぶ。

 そんな事を何度しようが、ぬいぐるみは顔色一つ変えやしない。

 その姿を見たアリスはついには両手で顔を覆い、涙を流さずにむせび泣き始めた。


「ほらさち、アリスだって君に会えて嬉しいみたいだよ。お父さん、また会社に行くようになるけど、アリスがいるからもう寂しくないよね?」


 これからアリスは、さちと呼ばれたそのぬいぐるみの世話を何時までもしなければならないのだろうか。

 それとも、大林が娘の死を受け入れる日が来るのだろうか。


 アリスの泣き声だけが、部屋の中に確かに響いていた。

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