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1.2

 そして二日前に、アリスを大林の自宅から直接回収し、今彼女は工房の作業台に横たわっている。

 

 ナカヤマ工業製NHD-1003、これが彼女に与えられた正式な型番である。機能を家事だけに限定することによって価格を三百万円台まで抑え、中流層を主要なターゲットとした、レトロなデザインが目を引く機種である。

 実際には独身男性に多く売れたものの、商業的には成功を収めロングセラーとなっている。了一が手がけてきたなかでこの機種は何度もこなしてきた、いわばお得意様である。


 アリスは既に顔以外の部分を人間そっくりに変えられており、殆ど何も入ってない純正の頭部は取り払われていた。人間ほどロボットの頭部は重要ではなく、二つの小型カメラに、異常な匂いを感知するためのセンサー、音声を認識するための集音マイクがあるだけで、どれも小さい部品なのでロボットの頭部は張りぼてのように軽い。

 人間の脳に当たるコンピュータは胴体に設置されてるので、ロボットは頭を壊されたぐらいではその機能を停止しないようにできている。


 了一は棚に置かれた、まだ人間らしい表情を浮かべるためのシリコン製のパーツが取り付けられていない、ジェラルミンでできた頭がい骨に目や耳などの必要な機能を詰め込んだ頭部ユニットを手に取った。ナカヤマ用の作り置きはこれで最後なので、今依頼されてる仕事が終われば二、三個作っておくのもいいかもしれないと彼は考えた。


 アリスの顔については、可愛らしい金髪のお嬢さんと、児童文庫の傑作の主人公と寸分違わぬ指定を受けていたので、頭がい骨はより少女らしいものに交換されていた。ポケットティッシュ大の肌色のシリコンの表情用パーツを、必要に応じてハサミで切りサイズを整え、顔全体の雰囲気を確かめながら頭蓋骨にビーニールテープで貼り付けていく。


 納得のいくようにパーツの配置が決まったら、次は動かすための行程に移る。片方の先端にダブルクリップによく似た金具の付けられた金属製のワイヤーを20本ほど用意し、それぞれのパーツの両端を挟んで行く。

 ワイヤーはそれぞれのパーツの場所に対応しており、つけ間違えればちぐはぐな表情を浮かべる出来損ないの人形になってしまうので、了一は番号を熱心に確かめながらパーツをクリップで挟んでいった。反対側のワイヤーの先端は小さな輪になっており、その輪っかを頭蓋骨の中心に、人間の脳で言うならばちょうど中脳のところ、ワイヤーを引っ張るための円柱型の装置があり、そこから突出した対応するフックに引っ掛けていく。


 了一はすべてのワイヤーをフックに掛終えると、後頭部から伸びた端子をパソコンにつなぎ、動作チェックを始める事にした。専用のソフトを起動させ、人体模型のようなアリスの顔を、試しに微笑ませてみた。

 アリスの顔はニコッと笑ったが、了一は小学校のころ聞かされた怪談話を思い出さずにはいられなかった。

 

 これにカバーと皮膚を張り付ければ、可愛らしいお嬢さんの誕生である。




 仕事も一段落ついたので、了一は作業部屋を出て台所に向かった。ケイの素体となったロボットは7年前に発売された物なので、まだ料理を作る機能は実装されていない。

 簡単な調理ならできなくもないが、いかんせん彼女本人がやりたがらないのだ。そのため、食事の支度は了一が行う数少ない家事の一つである。了一は冷蔵庫の扉を開け、何も入ってないことを確認するとすぐに閉めた。


 まともな食事を諦めた了一は、冷蔵庫の上に置かれた段ボールに手を伸ばし、カップラーメンを一つ手に取った。カップラーメンのふたを開け、電気ポットからお湯を注ぐ。スープの香りが空になった胃袋を刺激した。


「なぁケイ、三分計ってくれないか?」


 了一は応接間のソファーでテレビを見ているケイに尋ねた。


「時計ならそこにありますよ」


 ケイは顔をテレビに向けたまま、壁に掛けられた鳩時計を指さした。するとタイミングよく鳩が間抜けな鳴き声で七回鳴いた。


「仕事で疲れた俺の代わりに三分数えることさえしてくれないのかよ、お前は」

「私の仕事は掃除と洗濯とコーヒーを淹れる事です。それが終われば自由時間だと思ってますので」

「自由時間ねぇ……」


 了一は頬杖をつきながら、ケイの横顔を見ながら。彼女は遠目で見れば人間と遜色ない容姿をしているとはいえ、人間以上に面倒くさがり屋ではないだろうか。

 了一は彼女の人工知能をプログラムした奴に文句の一つでも言ってやりたい気分になったが、そいつがあまりにも遠い所にいるのをすぐに思い出し、その予定を先延ばしにした。


 了一は正確な時間を計るのを諦め、カップラーメンの蓋を取り去り割りばしで麺をほぐし始めた。まだ三分経っていない事を硬めの麺を食べながら感じていた。


「まだ二分しかたってないですよ」


テレビに顔を向けたまま、了一に聞こえるようわざと大声でケイが喋った。




 翌日、了一にとっては早い時間になる朝九時からアリスの作業を進めていた。この時期には珍しく雨は降らず、雲の隙間から晴れ間がのぞく良い天気となった。


 昨日の夜のうちに全身に人工皮膚を貼り付け終えており、食卓の椅子に座っている彼女の姿は出荷前のマネキンそっくりだった。今日は容姿をより人間に近づけるための作業と、最終的な稼働テストをしなければならなかった。


 アリスの顔に、金色の眉毛を一本一本植毛していく。人間と違って毛は抜けても生えてこないので、後で予備の眉毛を依頼人に渡さなければならない。眉毛を張り終えた彼女の顔は自分でも満足のできる出来だったが、まだ髪の毛がつけられていない。食卓テーブルの上に置かれた金色のロングヘアーの鬘を手に取り、彼女の頭に取り付けた。

 指先で髪型を整え、彼女の顔を改めてみると、依頼通りの可愛らしいお嬢さんに見えた。


「ケイ、服持ってきてくれる?」


 先ほどから横で黙って作業を見ていたケイに、昨日の夜に届いたアリス用の衣服が入った段ボールを持ってくるよう指示した。

 その服はケイが選んだもので、通販でケイが勝手に了一のクレジットカードを使って購入した。ケイは毎回ロボットが完成するたびに彼女らに合った服を購入する。服装に無頓着な了一にはその行動自体は有り難かったが、その金額は悩みの種になっていた。

 ケイにしては珍しく、文句の一つも言わずに玄関から段ボール箱を持ってきてくれた。完成したロボットに服を着せるのは彼女の楽しみらしく、この作業を了一が行ったことはなかった。


 ケイはまず箱からブラジャーや靴下といった下着取り出し、母親が赤ん坊にするように丁寧に動かないアリスに穿かせていった。さらにフリルのついた白いブラウスと空色のロングスカートを取り出し、順に彼女に着せていった。最後に赤いリボンを取り出し、彼女の襟にそれを結んだ。


「……できました」


 リボンを結んだケイは満足そうな表情を浮かべていた。


 完成したアリスの姿は、服装も相まってか絵本の世界から飛び出してきたような可憐な少女に仕上がっていた。これなら大林もその娘も満足してくれるだろう、と了一は思った。

 彼女の後頭部から伸びた端子はノート型のパソコンに接続されており、そこから彼女の起動や設定を行う。専用のソフトから、アリスの起動を実行した。


 閉じていたアリスの瞼が開かれ、二つの眼がケイと了一の顔を確認した。


「おはよう、アリス」


 瞼をぱちぱちとさせるアリスに、了一は優しく朝の挨拶を送った。


「おはようございます、了一さん、それと」


 アリスは初めて見た黒髪の女性の名前をまだ知らなかった。


「ケイです。あなたと同じ機械ですよ」


「それじゃぁ、私のお姉さんなんですね。えっとそうじゃなくて、その、何と言ったらいいんでしょうか……」

アリスは人間そっくりに作りかえられた自分の手をまじまじと見つめ、一本一本器用に動かしたり、窓から差し込む日光にかざしてみたりしていた。彼女の表情からは大きな驚きと小さな喜びが読み取れた。


「感想は?」


 アリスが問題なく起動したことに満足した了一は、コーヒーを持ってくるために台所へと歩いていった。


「えっと、その……ありがとうございます」


 アリスは椅子に座ったまま、深々と二人に向かって頭を下げた。


「礼を言うなら、百五十万払ってくれた君のご主人様に言ってくれよ」


 マグカップに注がれたコーヒーに口をつけながら、了一は照れ隠しにそんな事を言った。たとえ機械であっても、女性から礼を言われることに彼は慣れていなかった。


「誠さん、にですか……」


 大林の名前を聞くと、アリスの表情がそれまでの明るいものとは対照的な、悩みを抱えてるというか落ち込んでるというか、そんな暗いものに変わった。


「何か悩みでもあるんですか?」


 アリスの気持ちを読み取ったのだろうか、ケイが遠まわしな表現を使わずに彼女に訪ねた。


「あ、いえ、お二人に心配してもらうようなことじゃないですよ」

「そうそう、俺たちの仕事は明日この子を自宅まで届ければそれでいいんだよ。俺は昨日の作業で疲れてるからもうひと眠りしてくるよ」


 そう言い残すと、了一はマグカップを持ったまま寝室に向かってゆっくり歩き出し、寝室の中に入ると大儀そうにその扉を閉めた。


「まったく、リョーイチさんときたら毎度ながらアフターサービスがなってないんですよ、アフターサービスが」


 ケイはアリスの向かいの席に座り、頬杖をつきながらアリスに愚痴をこぼした。


「そうなんですか?私には優しそうな方に見えますけど」

「それは気のせいですよ。あのダメ人間、自分のことしか考えてないんですから」


 ケイの言葉を聞いていたアリスが、クスクスと笑い始めた。


「……今の、可笑しいところありましたか?」

「いえ、ケイさんが了一さんのことをあんまり楽しそうに話すので、つい」

「ついってなんですか、ついって。だいたいリョーイチさんは前から……」


 ケイはそれから頬を赤らめながら何個も了一の悪い所をあれこれと上げていくが、アリスの眼にはその姿が亭主の自慢をする健気な若奥様にしか映らなかった。


「それはそうとアリスちゃん、暇じゃないですか?」


 愚痴を一通り言い終えたケイは、唐突にアリスにそんなことを尋ねた。


「いきなり言われても……まぁ、やることがないのは確かですね」

「それじゃぁ、遊びに行きましょう」


 ケイはアリスに向かってほくそ笑むと、了一の部屋に向かって歩き出した。


「リョーイチさん、起きて下さい」


 ケイは了一の部屋に着くと彼のベットに腰をかけ、寝ていた了一の頬をぺちぺちと優しく叩いた。だが、彼は寝返りをうつだけで、起きる気配を示さなかった。


「仕方ないですね」


 今度は彼の髪の毛をつかみ、大きく頭を揺さぶった。


「痛いっ!痛いってば!」


 頭皮を襲う強烈な痛みのせいで、彼は睡眠を中断せざるをえなかった。


「おはようございます、リョーイチさん」


 了一がようやく起きたことに満足したケイは、優しい微笑みを浮かべた。


「状況を説明してくれ。もう朝か?それとも嫌がらせか?」


 寝ぼけていた了一には自分の口がうまく回っているかどうかが不安だったが、それでも髪の毛を鷲掴みにして微笑む同居人に抗議せずにはいられなかった。


「暇です。遊びに連れて行って下さい」

「知らないよそんな事」


 彼の返答に満足しなかったケイは、先ほどよりも強めに彼の髪の毛を引っ張った。


「わかった、わかりました!今起きるから待っててくれ!」

「すぐ準備してくださいよ」


 ケイが部屋から出るのを見送った了一は、床に脱ぎ捨てられた服を手に取り、着替えを始めた。




 了一は眠たい目を擦りながら、動物園のチケットを大人3枚分購入した。

 警備員はいても警察はいないという理由で、公園や市街地を避け動物園を選んだ了一は、できるだけ人目に付かないように、車で移動した。

 平日の午前十一時という時間帯のおかげで客は暇そうな大学生のカップルを見かけるぐらいで、そこまで多くなかった。


「そういえば私、動物園に行くのは初めてです」


 ケイは興奮気味に息を巻いて了一に話しかけた。


「あ、私もですよ。あ、キリンさんです!キリンさんがいますよ!」


 アリスはさらに興奮しており、柵から首をひょっこりと出したキリンを大声を上げながら指さした。


「あ、待て……行っちゃった」


 了一の制止もむなしく、アリスはキリンの柵に向かって走り出した。


「了一さん、私たちも早くいきましょう」


 アリスの行動に影響されてか、ケイもさらに興奮し、了一の手を掴みキリンの柵に向かって大股で歩き始めた。


「わかったから、手を引っ張るのはやめてくれ」


 キリンの柵の前にいるアリスは、無邪気な瞳でキリンが優しく草を食べる様子を見つめていた。その姿を見て、了一は純正品の頭部はレトロで親しみやすいデザインだったが、それでも人間のように表情が変えられる方がよっぽど親しみやすいと感じた。ケイもアリスのすぐ横に並び、二人はキリンについて熱く語り合い始めた。


 もっとも、二人のキリンに関する知識は柵の前のプレートに書かれている程度なのだけど。


「二人とも、いつまでもそこにいたら日が暮れるぞ」


 十分ほど経過して、相変わらず草を食べているキリンに嫌気がさした了一が、キリンから目を離さない二人を急かした。彼としては、動物園に出かけるよりも部屋のベットであのまま寝ていた方が楽しかっただろうが、ここまで来てそれは叶わぬ望みだった。


「そうでした。このままここにいると一時までには西側を全部回る予定が終わらなくなってしまいます」


 ケイの右手には入園時に配られたパンフレットを皺くちゃになって握りしめられていた。よく見るとそのパンフレットには、どこからか取り出した蛍光ペンでしっかりとルートと滞在時間が書かれていた。


「なんだ……まだ十分しかたってないのか」


 了一は左手に巻かれた、安物の自動巻き式の腕時計で時間を確認した。入園してからまだそれだけしか経過してない事に、彼はどうして詰まらない時に限って時間は早く経過してくれないのかと腹を立てた。


「さぁ、次はペリカンです、宅急便のペリカンですよ」


 ようやくキリンに飽きたケイが、水辺で遊んでいるペリカンに向かって早足で歩き出す。


「いや、宅急便は関係ないだろケイ……だから引っ張るなよ!腕が伸びる!」


 相も変わらず、了一の腕を掴みながら。


「いいじゃないですか、スタイルが良くなりますよ」

「あ、カメラ、カメラ売ってますよ!すいませーん、一つくださーい!」


 アリスは大声を出しながら、偶然発見した売店に向かって走り出した、もとい突撃した。了一は、カメラの代金はどうせ自分が払うのだろうと諦め、結果、ケイの分も合わせ二台分の代金を支払わされた。


 それから日が暮れるまで、了一は昼も取らずに二人に振り回される羽目になった。


「了一さん、それにケイさん。今日は、本当にありがとうございました」


 動物園を出る際に、アリスはケイと了一に向かって深々と頭を下げた。西から差し込むオレンジ色の光が、アリスのその姿を優しく染めた。頭をあげたアリスの表情は、その姿に相応しい年頃の少女のように、素敵な笑顔を浮かべていた。


「気にしなくていいですよアリスちゃん。私もこの人も十分楽しんでましたから」

「この人、ねぇ……」


 ケイの了一に対する言葉使いはいつものように棘のある物だったが、了一も十分楽しんだという部分には同意していた。


「優しいんですね、了一さんって。だって、私たちは人間の皆様のお世話をしなければいけないのに、今日一日、私たちのわがままに付き合ってくれたんですから」


 確かに彼女の言うことには一理あった。そもそも彼女たちは、老人たちの介護や家事の負担を減らすために作られた。それでも、人間が道具や機械に対して真摯に接することは、そう珍しいことでもない事を思い出した。誰だって、車を持っていれば整備ぐらいはする。


 同じように、ロボットのわがままに付き合うこともそう悪くはないと了一には思えた。


「ケイのわがままに付き合うのには慣れてるからな。一人増えたところで大した負担じゃないよ」


 ただ、それを言うのはどこか恩着せがましい気がしたので、彼は率直な自分の意見を飾らない言葉で述べた。


「それ、どういう意味ですか」

「言葉通り、お前の世話は大変だ、っていう意味だよ」


 二人のやり取りを見ていたアリスが、上品に片手で口元を隠しながらくすくすと笑い始めた。


「お二人って、本当に仲がいいんですね」


 どこが、と反論しようと思った了一だが、それを言うとケイと台詞が被りそうな気がしたので、黙って彼女の表情をうかがうだけに留めた。

 ケイの方を脇目で見ると、彼女もまた、了一の出方を探っていた。一瞬目があった二人は、すぐに目線を明後日の方向に向けた。

 それを見たアリスが、またくすくすと笑い始めた。


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