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6.2

 栃木県のはずれにある市営の墓地に、七原桜の墓がある。


 父方の祖父母が一緒に埋葬されており、訪れる人は少なくはない。了一は近くの空き地に車を止め、腕時計で時間を確認した。

 午前二時十分、墓地を訪れる者は二人以外見当たらない。

 後部座席に置かれた造花の桜を手に取り、桜の墓の前まで二人並んで歩き始めた。


「そういえばリョーイチさん、お線香は持ってきましたか?」


 思い出したようにケイが了一に尋ねる。了一は彼女の質問に苦笑いで答えた。線香もお供え物も、存在自体を忘れていた。


「来年からは、ちゃんと私も来た方がいいようですね」


 ケイが微笑みながら、少しだけ了一に偉ぶる。彼はそんな彼女の頭を優しく撫でた。


「そうだな、そうするか」


 了一に思い切り子ども扱いされた事を嫌がり、彼女は口をへの字にして了一から目を背けた。

 そんな彼女を見ていた了一は、彼女にひどい言葉を投げかけたことを後悔し始めた。彼の眼に映るケイは、普通の女の子にしか見えなかった。


「さっきはその、悪かった。ひどいことを言って」


 恥ずかしそうに鼻の頭を掻きながら、了一はケイに謝罪の言葉を口にした。


「駄目です、絶対許しません」


 彼女は無邪気に笑いながら、了一をからかった。彼が玄関で彼女に言った言葉が正しいことぐらい彼女はわかっていた。けれど、その事をわざわざ謝る了一の優しさが嬉しかった。


「おいおい、俺にどうしろって言うんだよ」


 そんな彼女の反応が可笑しくて、了一はわざとおどけてみせる。


「取りあえず禁煙してください」

「それは無理だ」


 彼女の命令を即座に拒否し、彼はポケットから新しい煙草を取り出した。

 火をつけようとしたがライターを車に忘れたことを思い出し、彼は煙草を元の箱にしまった。

 相変わらず、自分は間抜けなままだった。


 二人でふざけながら歩いていると、ようやく桜の墓の前に到着した。

 七原家之墓と書かれた灰色の墓で、墓誌には彼と祖父母の名前が刻まれている。

 墓石の両脇に供えられていた花は枯れていたので、了一はそれを取り出し雑草の中に投げ捨てた。

 代わりに手に持った季節外れの桜の枝を一本ずつ両脇に備えた。

 柔らかい風がその花を揺らし、プラスチックの花びらがこすれる音が聞こえた。


 線香を持ってこなかった事を少しだけ後悔して、了一は墓の前で手を合わせ目を瞑った。

 ケイも彼の姿に倣って、主人の眠る墓に手を合わせた。お経の一つも上げられなかったが、了一はどんな聖職者よりも死者の事を深く思っ。


 初めて会った時、彼は桜に良い印象を持っていなかった。

 田舎出身で男兄弟に囲まれ多少の無茶をしてきた了一には、都会の洗練されたしなやかさを持った桜が鼻についた。それでも何度か会ううちに、二人はお互いに似ている部分があることに気づいた。

 二人とも、性根はどうしようもない頑固者だったのだ。それから二人は、嫌というほど笑い合った。

 それがずっと続くと、当たり前のように思っていた。


 了一は顔を上げ、夜空を見上げた。

 都会よりもずっと空が遠く、またたく星の数は段違いに多かった。

 空を見つめる了一の目からは、涙がこぼれていた。


「俺は、何も出来なかった……」


 桜が飛び降りた光景を思い出す。金網の上から手を伸ばしても、届かなかった。消え去りそうな桜を説得することさえできなかった。


「何でだよ……」


 死に際の桜は、いつもみたいに微笑んでいた。

 七年たった今でも、その理由はわからなかった。


「リョーイチさん」


 黙って涙を流す了一に、ケイが優しく声を掛けた。


「ん?どうした」


 涙を拭って、了一はぎこちない笑顔でケイと向かい合った。


「マスターから、メッセージを預かっています」

「桜が、俺に?」

「はい。七年前の今日、あの人が残した最期の言葉です」


 突然の出来事に彼は戸惑ったが、深呼吸して自分を落ち着かせた。


「いいよ、教えて」


 了一はケイに優しく微笑みかけた。

 いつも笑っていた桜みたいに、笑えた気がした。

 しばらくの沈黙の後、ケイが口を動かし始めた。その声は、桜のものだった。




「了一、元気かい?」


 懐かしい声が、ケイの口からこぼれる。


「ああ、元気だよ」


 いつもそうしていたように、彼はその声になおざりに反応した。

 

「君がこれを聞いているってことは、まぁ僕は間違いなく死んでいるだろうね。ちなみに、この音声は君が僕の死で涙を流してくれたら再生するようケイに言いつけておいた。強情な君のことだから、少なくとも明日や明後日のことじゃないだろうね」

「七年かかるとは思わなかっただろ?」


 自分のことを少し見透かされた気がして了一は驚いたが、七年という年月は桜も予想していなかっただろうと考えると、彼に勝ったような気がした。


「本題に入ろうか。僕は死ぬ、そう決めた。君はその理由を小田教授がケイを盗んだせいだと考えるだろうが、実は違う。

 僕が死ぬ理由はもう少しだけ複雑だ。覚えているかい?ケイのプログラムを。僕が彼女に命令したのは、たった三つだけだ。物を覚えて、整理して、行動する。それだけだ。たったそれだけなのに、彼女は日に日に人間らしくなる」

「今はもう、見た目も区別がつかないぞ」


 気がつくと、了一の頬を涙が伝っていた。


「僕はね、怖いんだ。

 たった三つ命令されただけなのに、もう僕らと遜色はない。同じように喋って、同じように怒って、同じように笑う。そんな彼女を見ていると、ふと思ったんだ。僕らも彼女と変わらないんじゃないかなってね。物を覚えて、整理して、行動する。

 何も覚えなければ、何も行動できない。

 倫理も全部、誰かからの借り物だ。

 僕たちはただ、それだけを繰り返してるんじゃないかな?そう思い始めると、人と会うのが嫌になってきた。

 街行く人もホームレスも政治家も、やっている事は全部同じだ。

 そんな事を考えていたら、小田教授が世間にケイを発表した。

 もちろん名前は変えてたけれど、基本プログラムは変わってない。きっと彼女は、近い将来色んなところで使われるようになるんだろうね。

 僕にはそれが、耐えられない。

 彼女が人間に近づくほど僕は怖くなるし、虚しくもなる。自分たちは今まで、たった三つのことしかしてこなかったって思うとね。

 だから了一、僕は死ぬ。

 怖いんだ、どうしようもないぐらいに。自分は違うぞって言いたいけれども、できる気がしないんだ。三つの事を繰り返して、何一つ創れそうもない」


 了一は黙って桜の言葉に耳を傾けた。言いたいことは山ほどあったが、どう頑張っても桜には届きはしない。


「ねえ了一、お願いがあるんだ」

「なんでも言えよ、馬鹿野郎が」


 涙声で、彼は精一杯の悪口を言った。


「君に何かを、創りだして欲しいんだ。何でもいいんだ。だけどそれは誰かからの借り物じゃなくて、君自身が、創りだして欲しいんだ」


 了一は桜の願いをしっかりと胸に刻んだ。親友の頼みの一つぐらい、叶えてやれなくもないだろう。


「それじゃぁ、頼んだよ。どこかで会うことができたら、その時は教えて欲しいな。あっと、言い忘れるところだった。煙草は体に悪いから、はやくやめた方がいい。それじゃぁ了一、さよなら」

「さよなら、桜」


 全てを言い終えたケイが不安そうな表情で了一の顔を覗き込む。彼は笑顔を浮かべており、涙はもう乾いていた。


「……リョーイチさん?」


 消え入りそうな声でケイが了一の名前を呼ぶ。


「ケイ、帰ろうか。そろそろ寒くなってきた」


 了一は相変わらず笑ったままだ。


「……はい」


 そんな了一の表情を見て安心したケイは、微笑みを浮かべて頷いた。


「おっと、忘れるところだった」


 了一は思い出したように墓に向き合い、一本の桜の枝を掴んで、それをケイに渡した。


「いいんですか?」


 ケイは戸惑ったような表情を浮かべた。


「あの野郎、勝手に自殺しやがったからな。二本は多すぎる」


 悪態をつきながら、彼は車に向かって歩き出した。

 桜の枝を大事そうに持ったケイが、小走りで彼の横に並ぶ。彼女は了一と桜の枝を交互に目をやり、満面の笑みを浮かべた。


「どうした?」


 ケイの様子を不思議に思い、了一は彼女に尋ねた。


「なんでもありませんよ、リョーイチさん」


 大切な人と同じ名前の花を、ケイは大切そうに眺めた。

 本物の桜の枝ではないけれど、それでも良かった。だってそれは、大好きな人からもらった初めてのプレゼントだから。


「しかし、七年前の事をよく覚えていたなお前は」


 優しい目をして桜を眺める彼女に、了一は言った。


「ロボットですから。それぐらい、朝飯前ですよ」


 彼女はそれが当然だとでも言うように、自慢げな顔で答えた。


「なぁ、ケイ」


 並んで歩く彼女に、彼はまた声をかける。


「どうしました?」


 大した事ではないけれど、それでも聞いてみたい事があったからだ。


「……何を創ればいいんだろうな」


 彼はその場に立ち止まり、彼女の顔を見ずに呟いた。そうしなかったのは、彼女以外にも同じ事を聞いてみたかったからだろう。


「わかりませんよ、そんなこと。自分で考えて下さい」


 了一のその質問に、ケイは呆れながら応えた。今の自分には、どう頑張っても答えられそうもないと思いながら。


「そうだな、人に聞くことじゃなかったよ」

「まったく、私は人じゃなくて機械ですって」

「そうだったな……あんまり似てるから、ついつい忘れちまってたよ」

「人に似せたのはリョーイチさんですよ?」

「ああ、そいつもついでに忘れてた」


 苦笑いを浮かべながら、彼は恥ずかしそうに頭を掻いた。




 空は、青い。


 真っ暗な青空に、無数の星が輝いている。


 幻想的な三日月の光が、微笑む彼の顔を照らす。




 暗灰色の青空を見上げて、輝く星に手を伸ばす。


 しっかりと掴み、手を開いても、眩しい光は掌に無かった。


「創って、みせるさ」


 彼の歩く道を、無数の星と月明かりが照らしている。頭上の星にはまだ届きそうにない。


 届かない。


 永遠に届くはずはない。




 その筈、なのに。


 いつかは掴めそうな気がした。

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