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5.1 藤川藍

 空は、大きい。


 見え上げれば吸い込まれそうな青空が頭上にある。ところどころに散らばる雲が、一層青さを引き立たせる。


 空は、見下ろす。


 能天気に浮かぶ白い雲に手を伸ばしても、届くはずはない。そこからの景色に、街行く人など映りはしない。




了一はキャスター付きの大きな旅行鞄を持って、母校である東京科学技術大学の校門の前で懐かしい校舎を見上げていた。

複雑な思い出が蘇らせられる校舎にはなるべく近寄りたくはなかったが、彼は仕事の為と思い割り切った。そもそもこんな所に来る羽目になったのは、一週間前に受けた以来のせいだった。




 木崎工務店を訪れてきたのは、随分と若い大学生だった。

地味なパーカーに銀縁眼鏡をかけており、あまりコミュニケーションが上手なようには見えなかったが、実際会話してみると話し上手であるということに了一は気づいた。


「最近の学生は金持ってるんだな」


 学生が依頼してきたという事よりも、学生が高額な料金を二つ返事で用意してくることの方が驚きだった。

彼でさえ、まともに貯金ができるようになったのは二十二、三歳になってからだった。


「そういうわけじゃないすけど」


 依頼主である橋元耕太は、控え目な態度で了一のぼやきに反応した。


「百五十万すぐ出せる奴が金持ちじゃなかったら何なんだよ」


 学生時代よく金に困っていた了一には、大事な百五十万円をこんな事に使える橋元を恨めしく思っていた。


「実は、宝くじが当たったんです」


 橋元はあっけらかんとした口調で了一に告げた。


「いくら?」

「一千万円です」

「……働く気が失せてきた」


 了一の年収に匹敵するその額面が、了一から勤労意欲を大幅に削った。彼の手元に一千万円が届けられたら、きっと仕事を一年近く休業するだろう。


「そ、そんなこといわないでくださいよ!お願いします!」


 橋元は必死な態度で了一に懇願した。余程ロボットを改造してもらいたいらしい。


「あのねぇ、まだ学生なんだろ?ロボットなんて買わないで彼女作れよ。早すぎるだろ、人生諦めるのが」


 どうせ彼女代わりにでもするのだろうと考えた了一は、柄にもなく説教を始めた。ロボットと生涯暮らそうと思うのなら、せめてあと十年は人生を経験するべきだと彼は考えていた。


「リョーイチさんも学生時代彼女がいなかったくせによく説教垂れる気になりますね」


 ところが予想外の方向からの援護射撃によって、了一の居心地が急激に悪くなった。


「……仕方ない、引き受けましょう」


 説得を諦めた了一は、素直に仕事を引き受けることにした。了一が承諾すると、橋元が期待の籠った眼で彼に両手で握手を求めてきた。

 了一はそれに、ぶっきらぼうに左手だけを差し出した。




 ぼんやりと校舎を眺めていると、玄関で橋元が大きく手を振って合図を送ってきた。


「木崎さん、こっちです!」


 大声を張り上げて了一を手招きする。了一は彼のもとにキャスター付きの鞄を引っ張りながら歩いて行った。


「はいはい……連れてきましたよっと」


 了一は面倒くさそうに橋元に挨拶をした。


「その中に入ってるんですか?」


 そんな了一とは対照的に、橋元は目を光らせて大きなスーツケースを見た。中には胎児のような格好で依頼された機械仕掛けの少女が入っている。

 素体がナカヤマ工業の一番安い商品だったので、改造にはそれほど手間がかからなかった。


「あんまり気分は良くないけどな」


 重い荷物を持ち歩かなければならないという事と、中に入っているのが人間そっくりという事が彼の気持ちを重くした。


「なんか死体を運んでる殺人犯みたいですね」


 そんな了一の気分をさらに重くする発言を橋元は簡単に言ってのけた。


「人事だと思って勝手に言いやがって……それで、俺はこいつをどこに運べばいいんだ?」


 了一はできることならスーツケースだけ渡してさっさと帰宅したいと思っていたが、一度運ぶと約束してしまっていたため後に引くことができなかった。


「実は、まだなんです」

「まだって何が?」

「まだ運ぶ場所が空いてないんです」


 了一はここまで運ばされておいて更に待たされる羽目になるのかと考えると気が遠くなった。

 苛立ちの余り、彼はポケットからショートピースを取り出し口にくわえた。


「あのねぇ、そういうのってもっと早く言わない?」

「すいません、手違いでこうなっちゃったんです……あ、ここ禁煙ですよ」


 了一は大きな溜め息を一つつくと、泣く泣く煙草を箱に戻した。


「仕方ないな、どこかで休んでるよ」

「どこかって、どこにいますか?」

「それを今からお前に聞こうと思って。空いてる教室とか部室とかってない?」


 食堂や図書館にいるにはあまりにもスーツケースが邪魔だったので、彼はどこか人目の付かない場所に居たかった。

 あわよくばそこで煙草を吸うつもりだった。


「あるといえばありますが……」

「よし、そこに行こう」


 橋元を急かし、了一は七年ぶりに校舎に足を踏み入れた。




 スーツケースを引きながら彼が案内された場所は、長い間暇をつぶした元第二コンピュータ部の部室だった。


「ここです。何年か前にここを使っていた部長さんが自殺したみたいで……それ以来閉鎖されてるんです」


 了一が学生だった頃よりも扉がすこし黄ばんで見えたが、それ以外は変わらずにそこにあった。何度も手を掛けたドアノブをもう一度回す。

 鍵がかけられていたので開かなかった。


「鍵ってあるのか?」

「ないです」


 橋元は当然のように笑顔でそう答えた。


「しょうがないな」


 了一は壁際に置かれた避難はしごの白い金属製の箱を少し動かし始めた。彼はよくスペアの部室の鍵をそこに置いていたので、もしかしたらまだあるかも知れないと考えていた。


「何してるんですか?」


 ただそんな事実を知らない橋元は、了一の奇怪な行動に驚いた。


「何って、鍵探してるんです」

「そんな所にあるわけないじゃないですか」

「先入観は自分の将来を狭めるだけだぞ、学生くん」


 適当な教訓を口にして、了一は記憶を頼りに箱の裏側に手を伸ばす。

 金属の感触が彼の指先を通って伝わってきた。


「ほら、あった」


 了一はプラスチックのキーホルダーがつけられた埃まみれの鍵を自慢げに橋元に見せつけた。


「本当だ……でもなんでそこにあるって知ってたんですか?」

「それはほら、部員だったから」


 彼は簡単な種を明かすと、埃が拭き取られた鍵を目の前の白い扉に差し込んだ。


「ここの卒業生なんですか?」


 橋元は彼がここに通っていたということを夢にも思わなかったので、心の底から驚いた。


「中退だよ。まぁ俺はこの部屋で適当に時間を潰してるから、用事があったらノックしてくれ。鍵は閉めておくから」

「わかりました。四時ぐらいに伺います」


 四時、という単語を注意深く覚えると、了一は部屋のドアを閉め内側から鍵を閉めた。


 第二コンピュータ部の部室は、七年前と違い何一つ物が置かれていなかった。本棚もテレビもゲーム機も、全て処分されていた。

 それでも、彼は覚えていた。

 そこに、何があったのかを。ふざけ合って、無邪気に笑っていた事を。

 感傷に浸っていると不意に涙を流しそうになったが、彼はそれを押し留めた。今はただ、仕事のためにここにいるとと自分に拙い言い分けをすることで、彼は涙を流すことを拒んだ。


 よく藍と一緒に寝転がっていたカーペットがあった場所に、大の字になって寝てみた。

 

 そこから見上げる天井は、七年前とさほど変わらなかった。




 昭和七十九年十一月二日、了一は激怒していた。

 今朝のニュースで、世界初の学習型の人工知能の作成に成功したというニュースが大々的に流されたからだ。

 もしテレビに映っている人物が桜であれば、了一は両手を上げてその知らせに喜んでいただろう。

 実際にインタビューを受けていたのは、第二コンピュータ部の廃部を命じた小田だった。部室の鍵を持っていた小田が隙を見てケイのデータを盗んでいた事は火を見るより明らかだった。


 了一は小田の研究室の扉をノックした。すると若い研究員が笑顔で扉を開けて彼を出迎えてくれた。

 彼の研究室は今祝賀会が開かれており、皆教授の大成功に浮足立っている。了一はその輪の中心で笑顔を浮かべる小田の肩を軽く叩いた。


「なんだ君かね?私は今忙しいので、さっさと出て行ってくれたまえ」


 小田は了一の顔を見て一瞬驚いたが、了一の表情を見てただ事ではないと感じ彼を部屋から追い出そうとした。

 了一は右手を振りあげ、力いっぱい小田の顔を殴った。

 鈍い音が研究室の中に響く。

 殴られた衝撃で歯が折れたのだろう、小田は膝をつくと右手で口を押さえた。口元からは、真っ赤な血が流れ出ていた。


「君、何をするんだ!退学にするぞ!」


 小田の周りで何も知らない助教授の一人が、了一に精一杯の脅し文句を告げた。


「お前らみたいなのがいる場所で、学ぶ物なんて一つもないよ」


 了一はそう言い残すと、ざわめく研究室を後にした。

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