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4.1 倉橋弘明

 太陽は、まだそこにある。


 能天気な太陽が、親友である気が遠くなりそうな青い空と、その悪友の白い雲と一緒に、今日も世界を照らし続ける。


 太陽は、まだ沈まない。


 夜になるまで、人を街を無差別に照らす。例え光が影を作っても、太陽は気にかけすらしない。

 遠すぎるから、それは見えない。




 午前十時三十分、了一は一人で新宿まで映画を見に来ていた。

 まだ夏休みということもあってか、目当ての映画館には大勢の客で賑わっていた。見渡すばかりの人、人、人。


 両親にしっかりと手を繋がれ、楽しそうに笑顔を浮かべる小さな子供。受付のお姉さんに悪ふざけをしながら、人数分のチケットを購入する男子学生。アニメの絵が描かれたパンフレットを熱心に眺める、お洒落とは無縁なメガネの女性。


 そういう客が目に入っていても、了一の心の平静が崩れることはない。彼の心を苛立たせるのはただ一つ。


「ねぇ聞いてよユウく~ん、昨日カナミちゃんがね?」

「マジかよ?ありえねーだろそれ」


 それは、大声で二人にしか通じない暗号文を喚き散らす男女のカップルだった。誰だれちゃんの話は家でしろと言いたかったが、残念ながら彼にはそんな権限も度胸もなかった。

 ただ、映画が始まればそんな会話ともおさらばできる。そう思い、彼は二月前から見たかったSF映画の前売り券を受付に出し、六番シアターのど真ん中の席を予約した。どうやら、人気は無いらしい。


 了一は上映二十分前から席に座り、キャラメルソースがこれでもかと掛けられたMサイズのポップコーンとLサイズのジンジャエールを、躾が半端な幼稚園児のように口を汚しながら食べていた。

 映画を見ることは彼の楽しみの一つで、誰かと来たことはここ十年なかった。誘う友達がいない訳ではなく、彼は映画を一人で見るのが好きなのだ。館内全体を見回してみると、客の数はまばらで、客層も了一と似たように一人で来ている成人男性がほとんどだった。

 売れる映画と面白い映画は違うよな、と自分に言い訳をした了一は、遠足前の子供のような気持ちで、ナカヤマ工業の新型ロボットの宣伝が流れるスクリーンを見つめた。


 上映五分前になって、ようやく館内が暗くなり始めた。上映時間が近づくにつれて空席の数も減って行ったが、まだ前方の席には空きが目立った。彼のポップコーンはもう無くなっていたので、彼は容器を小さく畳み椅子の下のスペースに置いた。ジンジャエールを飲みながら、彼は食い入るように最新映画の宣伝を鑑賞した。


 映画の序盤で宇宙船が大気圏突入に失敗し、いよいよ話の筋が解って来たころ、館内の後ろから話声が聞こえてきた。


「ユウく~ん、この映画つまんな~い」

「そうだなーっそろそろ出るかー」


 映画の観賞を邪魔されたくなかった了一を含む多くの人たちは、うるさいこの二人が一秒でも早く退席することを願った。


「えーでもせっかくお金払ったんだし、もったいなくない?」

「だな!クーラー効いてるしここでしゃべってようぜ!」


 館内のあちこちから聞こえる舌打ちや悪態が耳に入らないのか、図太い神経の持った二人は何一つためらわずに大声で会話をし始めた。咳払いや舌打ちが彼らに向けられたが、そんなものは愛する二人には届かないらしい。

 了一は迷っていた。このままでは映画を楽しむことができないが、下手に注意してトラブルには巻き込まれたくない。


 彼がジンジャエールを飲みながら悩んださんざん悩んだ結果、立ち上がり後ろの二人組に向かって歩き出した。


「あの、すいませんが静かにしてもらえますか?映画、集中できないんで」


 彼は二人が逆上しないようなるべく腰を低くして丁寧な口調で諭した。


「何だよお前、俺たちに文句があるのかよ!」

「私たち、お金払ってここに座ってるんですけど?」


 その甲斐虚しく、二人は息を荒くして了一に突っかかった。

 注意ごときでお喋りを中断できるのだったら、初めからそんなことはしないだろうというという事に、彼は今更ながら気づかされた。

 だが一度売った喧嘩を、すでにそう呼べる状態だと思った方がいいだろう、引くわけにはいかなかった。了一の父と叔父の教えである。


「俺だって金を払って映画を見てるんです。あんた達に邪魔をされる筋合いはありません」


 了一は先程とはうって変わって毅然とした態度で二人を注意した。

 本心としては、このまま納得して立ち去って欲しかったが。しかし彼の願いは届かず、髪の毛を金髪に染色した男が了一に向かってポップコーンの箱を投げつけてきた。


「うるせえなぁ!俺の親父を誰だと思ってるんだよ!」


 その時は流石に了一の我慢の限界に達し、男の胸倉を掴もうと手を伸ばしたが、その手が何かを掴むことはなかった。いつの間にか了一の横に立っていた大男が二人の首根っこを捕まえていた。


「何すんだよ!」

「はなせ、はなせってば!」


 二人の言葉の抵抗むなしく、二人は何も言わない大男に出口まで引きずられていった。了一は暫く目を離していたせいで、スクリーンに写される場面がどんなものか理解できなくなっていた。それで結局、二人を軽々と引きずっていった男の後を追うことにした。


 六番シアターのすぐ外で、さっきの二人が大男に暴言を捲くし立てていた。


「どうなるかわかってるんだろうな!傷害罪でテメェを訴えるからな!」


 金髪の男が激怒しながら当てにならない脅し文句を言っていたが、大男の方はそんな彼を鼻で笑うだけだった。


「何がおかしいんだよ……」

「訴えるならどうぞ。ちなみに私、こういうものです」


 大男はアルミ製の名刺入れから白い名刺を一枚取り出し、喚き散らしている二人に手渡した。


「……弁護士?」


 金髪の男がご丁寧に名刺を読み上げる。


「ええ、弁護士です。どうします?あなたが勝てる見込みはありませんが訴えますか?」


 大男の肩書と言葉に圧倒され、覚えていやがれ、と捨て台詞を吐く二人の男女が了一にはさっきまで見ていた映画の開始五分で即死した咬ませ犬のカップルに見えてしょうがなかった。


「すいません、手伝ってもらって」


 弁護士と名乗る大男に、了一は小さくお辞儀をした。


「いえこちらこそ。煩くて仕方がなかったので、つい」


 頭を掻いて恥ずかしそうにする彼は人柄のよさそうな笑顔を浮かべていた。彼は半袖のワイシャツに茶色いスラックスを穿いており、一見すると仕事休みのサラリーマンのように見えた。


「しかしまぁ、今更映画を見る気にはなれないですね……」


 邪魔物のせいで映画を純粋に楽しめなくなっていたことを了一は嘆いた。せっかく前売り券まで買っておいたのに、ついてない日があるものだ、とも思った。


「そうですね。自分は日を改めてまた見に来る事にしますよ。楽しみにしていただけ残念です」


 大男も同じ気持ちのようで、未練がましい目で六番シアターの出入り口を見つめた。


「それじゃぁ俺はこれで。仕方無いんで家でゴロゴロすることにしますよ」


 これから次の上映時間まで待つ気はなかったので、彼は家路につくことにした。時計で時間を確認すると、午前十一時三十分。昼食を取るにはいい時間かもしれない。


「あの、すいません」


 帰ろうと体を映画館の出口に向けたところで、先ほどの大男に呼び止められた。


「どうしました?」


 了一は首だけ彼に向けて答えた。


「どうせ暇なら、何か食べに行きませんか?奢りますよ」

「それなら、お言葉に甘えて」


 そう答えると、大男が優しそうな笑顔をもう一度浮かべた。どうやら、彼も暇らしい。




 映画館を後にした二人は、駅前のイタリアンレストランで食事を取ることにした。彼は大食漢らしく、トマトソースのスパゲッティの大盛りとピザのLサイズを一枚注文した。

 了一は多少遠慮して下から二番目に安いスパゲッティを頼んだ。


 大男の自己紹介によると名前は倉橋弘明と言い、職業は先ほど二人組に言ったように弁護士をしているということだ。

 名刺には事務所の住所も書かれており、この辺りのビルを間借りしているようだった。了一も名前と職業だけの自己紹介を済ませた。自分の職業を誤魔化そうとも思ったが、警察というわけでもないので素直に話すことにした。


「ガワ屋さん、だったんですか」


 ロボットの外装を取り換える仕事と説明すると、倉橋はガワ屋、となかなか耳にしない職業の名前を簡単に口にした。


「俺としては、こんな無名の職業の通称が知られていることの方が驚きですよ」

「実は俺、家にロボットが一体いるんです。最近買って主に家事をやらせているんですが、その時メーカーの方からそういうのがある、って言うのを聞いたんです」


 知名度の低さなら競う相手がいないと思っていた了一だったが、メーカー側の熱心な売り込みによって随分と有名になっているらしい。


「連絡先まで教えなかったってことは……当てましょう。スピカの所ですね?」


 倉橋は購入したメーカーを簡単に当てられてしまい、思わず驚きの声を上げてしまった。


「正解です。どうして分かったんですか?」


 彼は弁護士という職業上、彼の見事な推論の根拠が知りたくて仕方なくなった。


「あそこのメーカーは職人気質なんですよ……自分たちが完璧に作り上げた商品を他の誰かの手で改造されるのがそんなに好きじゃないみたいで。ナカヤマかD&Fで買ってたらご丁寧に住所と電話番号まで教えてくれますよ」


 スピカインダストリーはもともと電子部品を生産している小さな会社だったが、日本で初めてロボットの大量生産に成功したことにより大きく成長。その技術力は世界中から高く評価されてはいるが、製品に対する異常なまでのプライドの高さが世界シェアを二位に留まらせていた。


「すごい洞察力ですね……もしかして、探偵の方が向いてるんじゃないですか?」


 倉橋は料理を持って来たウェイトレスに軽く頭を下げ、配られた料理を目の前に置いて行った。ピザにたっぷりとかけられたチーズと小麦の焦げる匂いが、二人の空腹を大きくさせた。


「金銭的な事を考えたら転職する気にはなりませんよ」


 了一は熱々の太い麺をフォークに巻きつけ、口に運んだ。口の中が火傷しそうになったが、その味は予想以上の物だった。


「案外儲かるんですね。どうやって就職したんですか?」


 倉橋もピザを食べながら了一との世間話を再開させた。


「叔父の後を継いだんです。彼は今は福岡で同じ仕事をしてますよ」


 彼の叔父である木崎惣介は、四年前ついに元妻との復縁に成功した後、彼女の実家がある福岡に移住してそこで相変わらずガワ屋を続けていた。その際木崎工務店は移転の危機にさらされたが、了一がそのまま後を継ぐことで丸く収まった。


「なるほど、それで物は相談なんですが……」


 食事の手を止め、倉橋は了一に耳を貸してほしいと手でジェスチャーをした。


「はい?」


 了一はフォークを持ったまま、彼の指示する通り耳を彼の手に近づけた。


「理想の女性を作っていただくことって出来ますか?」


 恥ずかしさと期待がこもった小声で、倉橋は了一に耳打ちをした。


「お任せ下さい。百五十万と値は張りますが、結婚相談所よりはいい仕事をしますよ」


 この手の仕事は依頼されることが多く、了一の得意分野であった。

 動機が解りやすいものなので、それだけ仕事も依頼人が何を求めているかも分かりやすい為である。

 それに、変なトラブルに巻き込まれずに感謝されることが多いので、彼はこういったやりやすい仕事が好きだった。


「是非、お願いします」


 倉橋は、了一に力強い握手を求めた。

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