(八) 相馬美恵
北の町から夜行列車に乗ってきた。
大学生と呼ばれるようになって、もう半月になる。
あんな町にいつまでも住み続けるのは嫌だった。だから今は待望の一人暮らし。なのに、がらんとしたアパートの片隅で私は震えた。不思議な夜が明けて、この世界には一人の知り合いもいないと気づいた。
「もう時間だよー、美恵ちゃん」
「あ、ごめんごめん」
引っ越して三日目が入学式。沢山の同級生を見て、最初に考えたことは他でもない。
…話しかけてもいいの?
私はそこで自問自答を繰り返し、結局そのまま帰ってしまった。
「今日はただなんだよね?」
「え、そうなの?」
「当たり前じゃない、新歓コンパなんだしー」
同じクラスの五十川さんに引っ張られて校舎を出る。彼女はレミタンを覗きに来て、私に話しかけてくれた。最初に出来た話し相手。
それから一ヶ月近く経って、少しずつ話しかけられる相手は増えている。なのにちょっと気を抜けば、お決まりの妄想に囚われる。
私はこの空間にたまたま重なってしまっただけの異物。
だから風が吹いて剥がれるセロファンのように、いつか分離する。頭だけは空を飛びながら、誰もいない部屋でただぼんやりと天井を見ていた。
まだちょっとだけ夜は震えた。
「こ、こんに…」
「よぉミエミエ」
「…………」
求めていた大学で、たどり着いた場所。
それは想像とまるで違っていて、プールで溺れかけた子供のように私は手足をバタバタさせていた。泳いでいたのは手足じゃなくて、目だった。
………。
たとえダジャレでも、収まりのいい言葉が見つかって満足してしまう。それが逃げ出した私。
「バカ野郎、お前は口開くな」
「なんだよ、ただの挨拶じゃねぇか」
「浜中の言うことなんて気にするなよ、相馬さん」
「…は、はい」
だけど庭田部長の声を聞いた瞬間、顔が赤くなっていくのを感じる。
他人と接しながら、いつも余所ばかり見ている。そんな私なのに、部長さんの顔を見ると、未だにどきっとしてしまう。世界がつながってしまう。こんな大学の門の前で、大勢の人が行き交う場所で。
きっかけは入学二日目の昼休み前。
さっさと忘れてしまいたい記憶は、部長さんの顔と一緒に蘇る。当事者なのだから当たり前……だけど、その前後に何をしていたかなんて、がんばって悩んでも思い出せない。学食で食べたものすら忘れて、あの出来事だけ切り取られている。
「えー、では集まったようなので出発しまーす」
「万歳三唱やるか!」
「百メートル以上離れてやれ」
宮海さんと村上さんはいないよね、と隣で同級生の五十川さん。うなづいて歩き出す私の足元は乾いた音を発している。
大学生という私は、セロファンに空いた穴のようなここにしかない。でたらめな妄想に無理矢理な理由を付けて、ただすがっているばかり。そういう状況を世間では「騙された」って言うらしい。
「相馬さん」
「は、はい」
これだ。
呼ばれただけで緊張するようじゃ、どうしようもない。
「飲み過ぎるなよ」
「…はい」
「さりげなく断るテクニックは宮サマに学ぶといい」
……けれど。
この人たちの仲の良さに、少しずつ憧れはじめている。それはきっと五月の大学生なのかな、と妄想する。