(七) 庭田
時刻は午後六時。いつもの会より一時間以上早く終わったので、我々は軽く食事をすることになった。
ちなみに「軽く食事」とは、一軒だけ飲みに行くという意味である。あさってが合コン――ではなく合同コンパ――という日程上、深酒は財布にやさしくない。もちろん身体にも負担はあるが、そっちはこの際どうでもいいや。なぁ。
ともかく大学を出て十分ほど歩いた先、そこはネオンかがやく夜の街だ。
「しみるねぇ」
「何が! 去年の捻挫!?」
「捻挫はカルシウム摂ればいいんだ」
浮世舞台の表も裏も知らないまま、酒に飲まれる俺たち。
ああ演歌だ。確かに捻挫はしばらく痛みが残った。
「さっきの庭田君の話はちょっと面白すぎたなぁ」
「ま、まぁ新歓ですから」
今日は古湊教授も同席して、さっそく面倒くさい話の続きを始める。
実はこの人もかなりの酒乱で、夜の大通りを肩くんで走ったりした思い出が走馬灯のように蘇る。何もこんな時に蘇ることもないが。
「無理矢理敵を作ってるんじゃないか?」
「…そうかも知れません」
特に珍しくもない居酒屋チェーンで、気の抜けたBGMを聴きながら生中を傾ける。
隣では宮海が早くも半分空けた。教授曰く、男女平等を身体でアピールしているらしいが、当人は知る由もない。実は教授も宮サマに怒鳴られるのが怖いのだ。もう数えで五十になるというのに。
「まぁしかし、四人なら上出来だな」
「村上さんのおかげですけどね」
「そんなことはねぇだろう。ねぇ相馬さん」
「え? は、はい…」
無理矢理話をふられたのは、俺のちょうど正面にいた女子学生だ。というか、教授がすでに名前を覚えている相馬さんだ。
俺が強引に連れ込んだという話を、教授は翌日に知ったらしい。顧問が知る必要などあるはずもない情報を、いったい誰が伝えたんだ? まったくもって謎…だったら良かったが、宮海とナオナオによって尾鰭がついたことぐらいすぐに分かった。
そのナオナオは相馬さんの隣で小さいジョッキを口に運んでいる。ついでに相馬さん自身も、通称「おいしい水」を飲んでいた。二十歳になると名前が変わる水だ。まぁノンアルコールだから、変えたら逆に景品表示法に引っかかるけどな。
「今日の話はどうでしたか?、相馬さん」
「…は、はい」
「遠慮せずに何でも聞きなさい。この部長は何でも知ってるかのように答えてくれるから」
「知ってるかのようにって…」
さりげなく口の悪さをアピールする教授。実は独身。こういうひねた所がお見合いクラッシャーの異名をとる理由に思えてならない。
俺はとりあえずアルコールたっぷりのビールを二口飲む。のどを湿らせるのは、これからしゃべる予定だからだ。カラオケでもジュースよりビールの方がノリが良いだろう? 単に酔っぱらうだけかもしれんが。
「あの…」
しかし、そこで消え入りそうな声が聞こえた瞬間、慌てて俺はジョッキを置いた。
予想外の一声。
何でも聞いていいと告げるのは、単なる部長としての建前、そして義務。本気で返事が来るなんて思っちゃいない。
「声が小さいなぁ。部長は耳が遠いらしいぞ」
「え…、す、すみませ…」
「聞こえてるって。この先生は嘘つき先生だから」
今月入ったばかり、しかもまだミーティングと新歓発表しか聞いてない一回生が会話に入れるわけはない。そう思うのが自然の成り行きだし、現に他の三名は何も聞きそうになかった。
だいたい、この場に残った一回生は相馬さんだけである。
「遠慮しないで聞いてくれ、相馬さん。知ってることなら答えるぞ」
「は、はい。…じゃあ」
だけど俺はもう……、そんな予感がしていたはずだ。
というか予感以前に、一人だけついて来て、しかもおいしい水まで飲んでるじゃないか。
「あの……、どんな村にも…」
「うむ」
たった一人、こんな谷間の宴会に参加する新入生は、すでにただ者ではない。
俺はもう少し、その辺に注意を払うべきだったんだろう。
「滅んでほしいような家があるんでしょうか」
「え?」
そして、あやふやな推測は一気に吹き飛んだ。
彼女の質問は、いきなり核心を突いていた。ザシキワラシの伝承があちこちにあるのなら、逃げてほしい家、滅んでほしい家もそれだけ存在するのか? 当然の、しかし厳しすぎる疑問だ。
「それは私もひっかかってたのよねー」
「副部長は男前過ぎて引っかかるんだろう」
「訳わかんないこと言うな!」
なぜか遠くにいた――遠くといっても総勢七名だからたかが知れている――宮サマまで加わってくる。小さなジョッキを置いて豆腐サラダを食べていたナオナオもこっちを向いて、最後に二年の田川が向いた。最後というと大物みたいだが、単に関心が低いだけである。あんまり熱心な部員じゃないし。
「抜きんでた家があったら、みんなで協力して仲良く叩きつぶすのが村?」
「そんなの村じゃねぇ!」
あー、まだ残ってた。
軟骨唐揚げに集中して、全く話に加わっていなかったナイスガイは、これまた非常に唐突な形で会話に割り込んで来る。
唐突というか、要するに唐揚げが無くなっただけだが。
「村じゃねぇって言ってもなぁ。じゃあ遠野は何だ?」
「遠野は……」
「河童のフルサトだもんねー、ジュンちゃんはおねんねしましょうねー」
「ジュンちゃんじゃねぇぞ、佐多山の…」
無駄なやり取りの間に次のエサ……ではなく料理がやってきた。かつては女子高生のアイドルだったことになっているジュンちゃんは、宮海への怒りすら忘れて焼きそばを食べ始める。正直、このタイミングで焼きそばなんて普通は頼まない。浜中の胃袋は少々いかれている。
「庭っちの言い方を真似るなら、常に嫉妬心ばかり渦巻く殺伐とした世界、それが村ってこと?」
「ナオナオに一言」
「はい」
「俺はそんなこと言ってないが」
「えーと、…庭っちっぽく言えば」
当人の言わない「っぽい」って何だろう。
ちょっと遠い目。
「そこまで言い切っていいのかなぁ?、相馬さん」
「わ、私に聞かれましても…」
「なぁ、副部長はおっかないなぁ」
「部長は黙ってなさい!」
「ぐっ」
相馬さんが質問したのは俺だ、という事実はどこに消えたんだ。ちょっと拗ねてしまったので、久々にビールを一口。
ここのヱビスは時々違うビールのように思える。俺の舌がアレなのかビールが偽者なのかは、とりあえず店に聞くしかないだろうがあえて聞きたくはない。
「いてほしいって人もいるよね?、博美」
「そりゃいるでしょ」
「リアル宝塚は金の亡者だから当然だ」
「相馬さーん、こういう時は殴っていいのよー」
「殴りたいのはお前だろ」
そもそもザシキワラシは常に悪意の産物なのか。
本当にいつも家を滅ぼす存在なら、それは狐憑きと変わらない。誰も好きこのんでそんな名前を口にはしないだろう。そんな方向に話は流れていく。
「悪意だけじゃないって…ことなんでしょうか」
「さぁ、それは相馬さんが自分で調べることだな」
「…自分で?」
「そうだ」
そしてひとしきり議論が続いたところで、口を挟む古湊教授。さっきの冴えない独身男から、急に真面目な顔になっている。
結局この人は、一番おいしい所をもっていくのだ。
「大学はなぁ、誰かに答えを教えてもらう場所じゃないぞ」
「は、…はい」
「自分で調べて、自分で納得のいく説明を探す」
「はい」
「調べが足らないと今日の庭田君のようになる」
………。
そうやって他人をダシに使うから一生独身宣言なんだと、声を大にして言いたいが後輩の前なのでやめておく。
というか、本人には声を大にして言った記憶がある。それでこうなんだから今さら何をやっても無駄だ。まぁパワハラで話題になるよりはマシってことにしておけ。
今のだってパワハラって解釈はアリだけどな。
「相馬さんの地元ではそういう話なかった?」
「えっ!?」
「え、いや………、ザシキワラシだけど」
「あ………」
かといって古湊発言で終わられては困るので、とりあえず話を戻そうとした俺だったが、予想外の反応に一瞬思考が止まる。
いや、止まっていたように見えたのは彼女であって俺ではない。けど、今はそんな反応をするタイミングだったろうか。別に焼きそばを食ってるわけでもないのに。
「あの……、なかったと思います」
「そうかぁ」
「すみません」
「いや、謝られても」
そうしてちょっとだけ静かになって、それからまた浜中が暴れて、短い宴会…じゃなくお食事は終わった。昨晩ロクに寝ていなかった俺は、半分目が開かなくなっていたから、本当に短かったのかは覚えていない。
とりあえず、合同コンパ――このイベントを合コンと略してはいけないらしい――までに酒が抜けるだろうか。野郎に腕を引っ張られながら、ぼんやりと俺は空を見ていた。
「自分で歩け、庭っち!」
「まぁそうわめくな」
「わめくぞ馬鹿野郎!」
再公開にあたり修正。