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河図石語  作者: nats_show
四月編
6/35

(六) 庭田

 霊長類という大袈裟な名前で括られるヒトという生物の一匹であるこの俺には、刷り込みというかパブロフの犬というかそんなよく分からない習性がある。

 それは何か。

 知りたいか? 知りたいだろうな、うむ。

 ………。

 …………。

 それは大事な日の朝のトイレである。もちろん大である。いつも雑誌を読むせいですっかり狭くなったスペースで、駅でもらってきたどうでもいいパンフレットを眺め、時々は時計に目をやる。

 まだ時間はある。たっぷりある。

 その事実は俺を一瞬だけ興奮させ、それから気落ちさせる。

 今さら時間があったところで何が出来るわけでもない。ただ落ち着かないイライラが長いというだけである。

 ああ、俺は不幸な奴だ。

 ああ、宮海がちゃんと部長を引き受けていれば………は、よそう。一応これは俺自身の意志なのだ。それに、正直言えばこの焦燥感は嫌いじゃない。ワクワクするといえば嘘だが。


「庭っちぃーす」

「どこのガキだ貴様は」


 坂道の途中で浜中に会う。適当に縮められた挨拶は他人の神経を逆撫でする。いつもなら憂鬱の始まり…というか地獄の一丁目という感じだ。

 が、今日に限っていえばそうでもない。むしろこちらから蜘蛛の巣を張っていたと言えなくもない。


「で、準備は?」

「浜中クンには責任を取ってもらう」

「はぁ?」


 どっかの弟の名台詞をパクりつつ、有無を言わさず学部の談話室へ連行する。午前十時という微妙な時間を狙ったこともあり、たまたま空いていたテーブルを目がけ直行。手際よく手提げカバンをおろしてその場を占拠。ゴワゴワの紙を並べて空間を埋めた。

 その鮮やかな手さばきには、周囲の学生からどよめきと喝采が起きてもいいような気がするけれど、実際は誰一人興味など示していない。ヘッドホンをしたまま寝てる奴、聞きたくもない昨日のテレビの批評する女たち。みんな勝手な方向に、勝手な時間を消費している。

 大学は山のように人がいるけれど、いつも孤独だ。

 それは二年前に俺が知った、どうでもいい真理だった。


「相変わらず枚数多いなぁ、庭っちは」

「エンターテイナーだろ」

「どうせ昼寝の時間じゃねーか。庭っちのしゃべりはゆったり過ぎて眠くなるんだよ」

「今日は早口でしゃべってやる」

「五分もったら百円やるって」


 まったく遠慮のかけらもない罵声に耐えつつ、ノリで皺だらけになった原稿をのばす。

 何もかもがいい加減で、一時間の予定が三十分で終わってしまうようなバカにバカにされるのは屈辱だ。俺は俺で、確かに一時間の予定が一時間半になったりするが、人間、予定より多いことには寛容なものだ。店でおまけしてもらえば誰だって嬉しいのだ。

 ……ということで、今日は新歓発表の日。

 浜中に手伝わせてコピーを終え、一人あたり五枚のB4用紙を重ねたら、あとはひたすらリハーサルだ。講義を受けながらだが。

 タイトルはズバリ「恐るべき『遠野物語』」。常に客を楽しませることしか考えていない俺は、まさに今日の日にピッタリなお題を付けたわけである。


「ゲ、何これ!」

「なんだ文句あんのか」

「あるに決まってんでしょ!」


 案の定、今度は宮海の罵声を浴びた。

 要するに、罵声を浴びせたくなるほど注目の的。きっとレミタンも注目の的。いいじゃないか。ポジティブな結論が出たので残りは聞き流す。自慢じゃないが俺は宮海の声を子守歌に居眠りだって出来る。


「ねぇ、直美もなんか言ってよ」

「え、ま、まぁ庭っちらしい…よね?」

「らしいから何だって!?」


 そして宮海の奮闘むなしく時刻は四時半となったわけである。

 うむ。

 俺もだんだん不安になってきた。


「えーでは、第三回歴史民俗探検部の新歓発表を行います。本日の司会は不肖佐多山のジュンが…」

「やるはずでしたが急遽変更、副部長の宮海がつとめます」

「何い!」


 誰も知らない通り名をほざくバカから罵声女に司会が代わり――というか、最初から司会は宮海だったはずだ――、俺は一度、さして広くもない部屋の中を見渡してから、軽くお辞儀をする。

 本日のメンバーは三回生がナオナオ含め四人、二回生二人、一回生三人。掛け持ち一名は遅れて来るらしい。で、院生の長沼さんに十六合さん、古湊教授までおるがな。なんでここまで盛況なんだ。

 だからベイビー、今日のお話はここまでだ。きっと後日、歴史に残る素晴らしい一日として語り継がれることだろう。グッバイハニー、バイチャ。



 ………。

 …………。

 うむ、その後は推して知るべしだった。宮海は司会だから遠慮するにしても、手強い人間が三人もいる。ザシキワラシ伝承の調べの甘さをあちこちつかれてしまった。新歓発表なんだからナァナァで済ませたって良さそうなもんだが、どんどんみんなの顔が何かを言いたそうな形に変化していった。毎度のことだが見ていて飽きないとはいえ、やはり反省だ。

 もっとも、それほど感触は悪くなかったのも事実。

 俺たちのレミタンは、『遠野物語』に「現代社会が失った何か」を期待しているわけじゃない。架空のユートピアで癒されたいわけじゃない。そこら辺はだいたい共有している認識だと思う。浜バカは意外と素直に憧れてたりするんだが。

 まだまだ心のキレイな一回生に、どう聞こえただろうか。ちょっと楽しみだ。

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