(五) 村上直美
レミタンはいい加減を宗とする。
レミタンは適当を宗とする。
レミタンは……。
「できた」
「本当に?」
「……ちょっと見直してみる」
三限の授業が終わると、博美はすぐに一階の談話室に走り出す。体力に自信のない私は、できるだけ後を追うけれど、そのうち人混みに包まれて一度見失った。
誰も博美と同じ用なんてないのに、みんな駆け足で階段を降りていく。次の授業になら、歩いたってきっと間に合う。だけどその一秒が大事なのだと、昔聞いたことはある。
………昔じゃなくて二年前だ。その時にそれを主張した人物のことは、今も鮮明に思い出せる。いつでも物真似できるぐらいに。
きっと当人は忘れている、些細なこと。
「博美の舞台まで、あと一時間二十三分」
「人類滅亡じゃないからカウントダウン不要!」
「だって、博美の顔見てるだけじゃ暇だし」
「そもそも顔を見るな。アンタだって発表あるんでしょ!」
「どうせ焼き直しだし…」
彼氏みたいな彼女とは、はぐれた約一分後にまた合流した。
そして忙しそうな博美を眺めながら、私はやることもない。授業のプリントを整理しつつ、時々博美の表情を盗み見する現在の時刻は、午後二時五十七分。
あまり実用性のないソファーと、作業用机が半々に並ぶ談話室は、いつも汚れている。紙くず、こぼしたコーヒーの痕……、きっと不注意の結果であって、わざわざ汚そうという人はいないはずだけど、人が集まれば汚れていく。それは宿命だ。
「コーヒー飲む?、博美」
「ごちそうさま~」
「まだおごるとは言ってない」
ともかく、コピーさえすれば本番に臨める状況になったようだ。コピーはどうせ直前までしないから、約一時間十三分ぐらいの私は暇をもてあます予定。
博美は完成したレジュメを絶対に見せてはくれない。本番まで内容は秘密にするものだ。その方が聞く側も楽しみでしょ?、という論理で。
本当にそうだろうか?
博美にそれを聞いたことはないけれど、ずっと疑問に思っている。
「じゃあお願い、直美」
「コーラも可?」
「私はホット!」
「そんなこと知ってる」
たとえ疑問だらけでも、博美の行動様式は、無意識に流されてのものではない。
他人の真似をするのはプライドが許さない、そんな姿が凛々しいからみんなが憧れるのだ。もちろん今の博美も、コーヒーを買わせようとするそんな表情すら美しいのだ。
………。
自分が病的だという自覚はあります。一応は。
紙コップの縁で、プチプチとはぜる音。
そのかすかな響きを聞く幸せな時間は、いつもあっという間に終わってしまう………。
「はぁ…」
「えっ?」
「………」
声を挙げた瞬間に、それは博美のため息だったと気付いたけれど、私の口は止まらなかった。そして私の勘違いの声に、博美は何も応えてくれなかった。
寂しい。
そう。コーラを飲みながらぼんやりしている私は、いつも博美に突っ込まれて正気に戻る予定になっている。だから博美に無視されてしまうと、ただぼんやりした学生だ。私はダメな人間だから救われたい―――、そんな身勝手な妄想で生きているから。
でも……。
「…なんか用?」
「ううん」
用はない。ただ見とれているだけ。
真剣なまなざしの博美は、息をのむほど美しい。時々は無視されても仕方ないかなぁ。
「で、直美」
「え?」
「妖怪って何?」
しかし、そんな至福の時ははかなく消える。
博美の瞳は相変わらず輝いている。美しく光るその眼は、だけどどこか意地悪で、どこか自信にあふれている。こういう雰囲気は危険だ。とても危険だ。
「いると思ってないのに、なんで鬼太郎みたいなマンガが流行るの? ううん、魔法だとか陰陽師だとか、あるわけないと思ってるのになんで喜んで読んだりするの? なんで?」
「それは博美が質問されたら答えることでしょ」
「私は答えないわよー」
「なにそれ」
こうやって一気にまくし立てる時の博美は、やっぱり庭っちに似ている。いつもクールで格好いいけれど、博美のそれはたぶん虚像で、奥には熱い魂の叫びが隠されている。それって、どこかの熱血マンガの主人公みたいだ。
「発表者は最後に自説を述べるの」
「みんなが分からないって答えたら?」
「大丈夫、それは無理だから」
無理と言い切れる博美を見ると、だけど一瞬だけ敗北感に襲われた。
私は博美の観察者。
だけどそれはたぶん一番じゃなくて、二番目なんだろうな。




