(三) 浜中準
突然だが、俺の家はどちらかといえば貧乏である。ナオナオのように下宿出来ないのは、そのせいでもあるのだ。まぁナオナオだって全額仕送りってわけじゃないらしいが、とにかく俺は貧乏な家の息子だ。息子……だろう。
自販機の前に立って、すこし首をかしげる。
息子を大学に入れるほどの金があるのだから、これで貧乏と言っていいのだろうか。本当に苦しんでいる人に失礼ではないだろうか。最近はそんな「だろう」に囲まれるようになった。貧乏だと断言していいだろうのか、俺は時々悩むのだ。
しかし俺の家はどちらかといえば貧乏だ。
小学生の頃、正月明けの教室でお年玉の額を聞かれるのが嫌だった。だいたいいつも、自分の口にする数字は平均を下回っていた。下回るだろうと、口にする前から分かっていた。そういう暗い過去をもつ俺が柳田先生に弟子入りしようと誓ったのは、今を去ること二年前だった。
「で、庭っちは何度言ったらやめるんだ!」
「だから従う理由がないと言ってるだろ」
そんな過去を振り返る俺の前で、卑劣な行為をする男がいた。
庭っちはなぜこうなんだ。俺はこんな子に育てたつもりはないっ!
「食べ物を粗末にするな、ではダメなのか」
「サダジュンと俺は根本的にわかり合えない」
三限が終わった午後三時少し前。どちらかといえば生暖かい午後のキャンパスで、屁理屈を並べて逃げようとする庭っちがいる。
小さいヤツだ。
なんて小さいヤツなんだ!
俺は心底呆れている。しかし友として黙って見てはいられないので、睨みつけ非難を繰り返すのだ。
「あのお湯はどこへ行ったんだ!?」
「…下水に混じって循環するだろう」
「食べ物になるべく流されたお湯を捨てることは許されるのか!?」
「だから氷無しボタン押すのと一緒だろ」
「お湯を捨ててるじゃねーか!」
「うーむ」
なぜ紙コップのコーヒーに関して、庭っちは愚か者であり続けるのか。思わず振り上げそうになった腕の行き場に困って、仕方なく頭を掻きながら俺は嘆く。どっかの名探偵も、本当はバカなヤツらに呆れていたのだと今なら断言できる。
氷無しボタンを押せば、氷は機械の中で保存され、捨てられることはない。しかしコーヒーの注ぎ口をこじ開けて、流れるお湯を無視してカップを外す行為は、許されるものではない。何が濃いコーヒーだ。食べ物を粗末にすることで、金持ち自慢でもするのか!?
不快だ。
この不快さは、かつて俺がざしきわらしを知った夜に通じていた。
俺の家は、「どちらかといえば」貧乏だ。
そういう意識に至ったのはそう遠い過去ではない。なぜなら、長い間俺にとって比較の対象は近所の同級生ぐらいしかいなかったからだ。世の中の上や下を知っていくにつれて、確信をもって貧乏といえたはずが、曖昧な言葉しか返せなくなった。
よく考えてみれば、いつだって俺のもらうお年玉の額は、周囲の最下位ではなかった。
「まぁこう考えろサダジュンよ」
「どう考える!」
昔の俺はたぶん、無意識に自分を真ん中より少し下というポジションに固定して、そして安心していた。
どこかで世の中をなめていた。
……いや、それなら今だってなめてる。
「あのお湯で、コーヒー原液のしぶきのかかった機械は洗浄された」
「むぅ」
「ともかく、夕方の戦略をちゃんと練っておけ」
「むぅ…」
植木の緑に囲まれた赤の広場で、仕方ないのでポーズを決めながら己のコーヒーを飲む。それはほどほどに甘く、値段を考えれば味に不満はない………。
やれやれ。
うまくはぐらかされた。そんなやりきれない気分で庭っちを見れば、既にコップは空になっている。当たり前だ。俺の半分しか入っていないのだからな。
「今日はサダジュンのデビュー戦だ」
「何のデビューだ」
「可愛い一回生の前で活躍するんだろう」
庭っちのニヤケ顔の向こうに、見知らぬ学生の視線を感じて一瞬動揺する。俺のポーズに何か言いたいのだろうが、こちらもバカではない。言ってもらわなくて結構だ。
…またはぐらかされた。これは自分で掘った穴か。
可愛い、なぁ。
まあ確かに今年の新入生はレベルが高い。うちの自慢の娘……なわけがあるか!
また庭っちに乗せられそうになったが、そうはいかないぜ。
「柳田先生のことは丁寧に説明しろよ」
「ん?」
「わめくサダジュンと聞き流す宮サマには常識でも、一般には非常識だ」
「ふぅむ、そうか」
「そうか、じゃねぇだろ」
「ふふふ…」
今からもう司会のつもりの庭っちを軽くたしなめながら、俺はやんわりと微笑んでみる。
広場と呼ぶほどの広さもないキャンパスの一角は、ぽつりぽつりと人影が見える。気候も良い。シャツの袖をまくっても許されるほどだ。
俺はそんな今日の陽気のように、穏やかで包容力のある男を目指している。ギャーギャーうるさいヅカ女を相手にしながら、「ああいう大人になっちゃいけないよ」と、さわやかに下級生を教育できる人間がレミタンにいるとしたら、それは俺だ。
うむ。
断言したのは自信の表れではない。そうすべきだと、自分を鼓舞しているのだ。
「ざしきわらしはレミタンのアイドルになれるか。サダジュンの旅は、まだ始まったばかりだ」
「最終回はまだまだだぜ!」
うかつにもノリノリでポーズをとってしまった俺は、直後、激しい後悔とともに庭っちを恨む。しかしこれは庭っちの責任ではない。ただ、こいつは俺の弱みを突くのがうまいだけだ。
柳田先生の著作を読みながら、レミタンはどちらかといえば柳田先生を茶化してばかりいる。それは庭っちや宮サマだけではなく、古湊先生からしてそうだ。俺はどちらかといえば孤立無援だ。
ざしきわらしを、どす黒い欲望の化身にしてはいけない。それは俺と柳田先生の交わした約束のようなものだ。だから戦うのだ。浜中準は妖怪界のヒーローとなるのだ。なんか違うな。




