(二) 宮海博美
空を飛んでいた。
私はなぜか迫り来る悪と戦っていた。それも、圧倒的な力で薙ぎ倒していた。時々は頬をゆがませて薄笑いを浮かべながら、私は破壊の限りを尽くしていた。すごいぞ私。すごいぞ博美。
本当に悪だったのか知らないけど。戦って何がどうなるのか分からないけど、それを疑問に感じてはいなかった。
もう一人の私。
あるいは夢の中の私。
目が覚めてみれば、そんな記憶は薄れ、薄れる記憶に代わって冷静な思考が頭を支配し始める。
私は、そう、「妖怪」みたいなものだった―――。
「…って感じでどう?」
「だから、いますぐ作家になるべきなの」
「誰が」
「博美が」
直美と日替わりを食べながら、本日の構想を考える。
そう、本日はとうとう研究会だ。自分の発表だ。けっこう時間があったはずなのに、まとまりもつかないまま朝を迎えてしまった私にとって、夢だけが救いの蜘蛛の糸だった。
「今日のお茶はいちだんと薄いね、博美」
「そうね」
「で、まとめると妖怪は見えない敵と戦っているってこと?」
「まとめないでよ」
連休明けで少しは減るかと思われた食堂の人出は、さして変わってない感じがする。いろんなものが混じり合い、独特の臭いに包まれたこの異空間で、相変わらず席を求めてさまよい歩くゾンビの群れ。彼ら一人ひとりの背後に餓死者の亡霊が漂っていたとしても、誰も驚きはしないだろう。
その殺伐とした空気を当たり前のように遮断して、マイペースで煮付けを食べる直美は、やはりキャンパスの華とでも呼ぶしかない。
実際、たぶんゾンビたちも、直美ならいつまで座っていても許してくれるだろう。それはまるで教室に飾られた一輪の花……では喩えが違う。
「博美は退屈なんでしょ?」
「まぁね」
そろそろ嘘が大きくなってきたので、いちだんと薄いお茶をすする。
私はいつも、直美を誉めることに熱中してばかり。今日はそれどころじゃないんだけどなー……と、また目を輝かせてる目の前の表情を追う。たぶん自分も同じくらい目を輝かせているけど、あまりそのことは考えたくない。
「準ちゃんとケンカするつもり…」
「話がかみ合えばいいけどねー」
「司会しだいかな、やっぱり」
「うーん」
司会、という単語がはき出されていくその瞬間、少しだけ直美の表情が変わっていく。そんな微妙な変化を、まるで予期したかのように私の身体は勝手にため息をつく。
し、か、い…。そこに期待するのはどうだろう。
分かりやすく首をかしげながら、さらにお茶をすする。たぶん理想的な音を立てているはずだけど、昼休みの学食は海鳴りのような音響に包まれている。時々私の意識は溺れかかる。
きっとあの司会は……、三つ巴の争いへと誘導するに違いない。私以上に好戦的で、いつでも主役を奪う気で。
まぁ私も主役の座を渡さないつもりなんだけどね。当たり前だ。
「準ちゃんはまたやるかなぁ」
「何を?」
学食では食事が済み次第席を立つのがマナー。
さっと立ち上がると、直美が少し遅れて椅子を動かす。その瞬間、いろんな視線を感じる。周囲の視線は一斉にミスキャンパスを見て、で、ミスキャンパスは……。
「踏み絵」
「……させたら私の負けだわ」
まぁやめよう。まるで嫉妬に狂う女みたいな構図だ。実際、直美に嫉妬しないわけじゃないけど。
時計を見る。十二時四十二分。三限は講義があるから準備が出来ないなぁ。十五分もあれば何か出来るかも知れないけど、今はもう少しだらだらしていたい気分。
「墓でも見る?」
「博美と一緒なら見てもいいかな」
「アホ」
二人黙って階段を登り、四階の教室へたどり着く。要するにそれは三限の講義の会場に過ぎない。けれど、教室の扉のそばの窓からは、大学北側の緑が見えた。小高い山と、森と、ついでに墓地。
新緑に包まれた墓地は、その用途さえ考えなければそれなりの景色だ。いや、用途を考えればこその絶景? 私たちもいずれ潜る約束の地? そんな将来は描きたくもない。
「あの山に名前がついたから、世界は始まった」
「博美はけっこう古湊先生信者だよね」
「心外だわ」
「そう?」
語れば語るほどに見えなくなっていく世界。だけど複雑化することは未分化に戻ることとは違う。解き明かすことが困難になるのは、解き明かさなくても良いから。「妖怪」はせめて、それぐらいの分かりにくさで出現させたいよね。
腕をぐるぐる回して、なまった身体をほぐす。隣で微笑む直美の顔をちらっと見て、その微妙な視線の位置から、やっぱり直美の方が背が高いという確認もしておく。口にすると論争になるからやめておこう。




