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河図石語  作者: nats_show
五月研究会編
30/35

(二) 宮海博美

 空を飛んでいた。

 私はなぜか迫り来る悪と戦っていた。それも、圧倒的な力で薙ぎ倒していた。時々は頬をゆがませて薄笑いを浮かべながら、私は破壊の限りを尽くしていた。すごいぞ私。すごいぞ博美。

 本当に悪だったのか知らないけど。戦って何がどうなるのか分からないけど、それを疑問に感じてはいなかった。

 もう一人の私。

 あるいは夢の中の私。


 目が覚めてみれば、そんな記憶は薄れ、薄れる記憶に代わって冷静な思考が頭を支配し始める。

 私は、そう、「妖怪」みたいなものだった―――。


「…って感じでどう?」

「だから、いますぐ作家になるべきなの」

「誰が」

「博美が」


 直美と日替わりを食べながら、本日の構想を考える。

 そう、本日はとうとう研究会だ。自分の発表だ。けっこう時間があったはずなのに、まとまりもつかないまま朝を迎えてしまった私にとって、夢だけが救いの蜘蛛の糸だった。


「今日のお茶はいちだんと薄いね、博美」

「そうね」

「で、まとめると妖怪は見えない敵と戦っているってこと?」

「まとめないでよ」


 連休明けで少しは減るかと思われた食堂の人出は、さして変わってない感じがする。いろんなものが混じり合い、独特の臭いに包まれたこの異空間で、相変わらず席を求めてさまよい歩くゾンビの群れ。彼ら一人ひとりの背後に餓死者の亡霊が漂っていたとしても、誰も驚きはしないだろう。

 その殺伐とした空気を当たり前のように遮断して、マイペースで煮付けを食べる直美は、やはりキャンパスの華とでも呼ぶしかない。

 実際、たぶんゾンビたちも、直美ならいつまで座っていても許してくれるだろう。それはまるで教室に飾られた一輪の花……では喩えが違う。


「博美は退屈なんでしょ?」

「まぁね」


 そろそろ嘘が大きくなってきたので、いちだんと薄いお茶をすする。

 私はいつも、直美を誉めることに熱中してばかり。今日はそれどころじゃないんだけどなー……と、また目を輝かせてる目の前の表情を追う。たぶん自分も同じくらい目を輝かせているけど、あまりそのことは考えたくない。


「準ちゃんとケンカするつもり…」

「話がかみ合えばいいけどねー」

「司会しだいかな、やっぱり」

「うーん」


 司会、という単語がはき出されていくその瞬間、少しだけ直美の表情が変わっていく。そんな微妙な変化を、まるで予期したかのように私の身体は勝手にため息をつく。

 し、か、い…。そこに期待するのはどうだろう。

 分かりやすく首をかしげながら、さらにお茶をすする。たぶん理想的な音を立てているはずだけど、昼休みの学食は海鳴りのような音響に包まれている。時々私の意識は溺れかかる。

 きっとあの司会は……、三つ巴の争いへと誘導するに違いない。私以上に好戦的で、いつでも主役を奪う気で。

 まぁ私も主役の座を渡さないつもりなんだけどね。当たり前だ。


「準ちゃんはまたやるかなぁ」

「何を?」


 学食では食事が済み次第席を立つのがマナー。

 さっと立ち上がると、直美が少し遅れて椅子を動かす。その瞬間、いろんな視線を感じる。周囲の視線は一斉にミスキャンパスを見て、で、ミスキャンパスは……。


「踏み絵」

「……させたら私の負けだわ」


 まぁやめよう。まるで嫉妬に狂う女みたいな構図だ。実際、直美に嫉妬しないわけじゃないけど。

 時計を見る。十二時四十二分。三限は講義があるから準備が出来ないなぁ。十五分もあれば何か出来るかも知れないけど、今はもう少しだらだらしていたい気分。


「墓でも見る?」

「博美と一緒なら見てもいいかな」

「アホ」


 二人黙って階段を登り、四階の教室へたどり着く。要するにそれは三限の講義の会場に過ぎない。けれど、教室の扉のそばの窓からは、大学北側の緑が見えた。小高い山と、森と、ついでに墓地。

 新緑に包まれた墓地は、その用途さえ考えなければそれなりの景色だ。いや、用途を考えればこその絶景? 私たちもいずれ潜る約束の地? そんな将来は描きたくもない。


「あの山に名前がついたから、世界は始まった」

「博美はけっこう古湊先生信者だよね」

「心外だわ」

「そう?」


 語れば語るほどに見えなくなっていく世界。だけど複雑化することは未分化に戻ることとは違う。解き明かすことが困難になるのは、解き明かさなくても良いから。「妖怪」はせめて、それぐらいの分かりにくさで出現させたいよね。

 腕をぐるぐる回して、なまった身体をほぐす。隣で微笑む直美の顔をちらっと見て、その微妙な視線の位置から、やっぱり直美の方が背が高いという確認もしておく。口にすると論争になるからやめておこう。

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