(三) 庭田
「春の人間は美しい。だって青春だぜ?」
「誰に同意してほしいわけ?」
火曜日の午後四時半。じっと息をひそめていたレミタンが、そろそろ頭をもたげて活動を始める…といえば、まるで冬眠から覚めた熊のようでかっこいい。
実際には熊のように猛々しいイメージなど似つかわしいはずもなく、むしろ十二単を着たら重くて動けなくなった運動不足の姫君みたいなものかも知れない。
ただ、少なくともヒラブンよりは活動的だ。なぜなら体重三ケタがいないから。
「えー、では歴史民俗探検部ミーティングを始めます」
「………」
我ながら低レベルの争いだと思う。とはいえサークル間のいさかいなどその程度のことで始まるものだ……と、くだらない前振りは終わりだ。
たまに教室にもなる共同研究室は、書棚に囲まれた閉鎖空間。それなりに大きめの窓は、たいがいブラインドが下ろされたまま。陽が当たると本が焼けてしまうというもっともらしい理由で、俺たちモヤシっ子も保護されている。
「始めていいのか!?」
「いちいち聞かないでよ、部長!」
「ぶ…」
四角く並べた机のお誕生席に立ち、俺はさっきから副部長の罵倒に耐えつつ言葉を発している。別に座ったままで良さそうだが、立たないと気分が出ない。
それにしても、活動するには誰かが宣言しなければならない。クラブというものには厄介な決まり事がある。俺のように一匹狼を気取る男にとって、もっとも苦手な瞬間だ。
ふむ…。
俺はいつから一匹狼を気取ったっけ? 謎だ。
「なら始めてやる。で、司会は俺でいいのか?」
「部長でしょ!」
いちいち大声で叫ぶなよ、なぁ。誰かに同意を求めようとして、相手がいないことに気付く。
いたら宮海に話しかけないって。
俺だって慣れてねぇんだ。現実逃避の一つぐらいしたくもなるんだ。それにこの時期、普通ならまだ四回生に任せていればいいはずなのだ。心の準備ってものがあるんだ。
……だんだん空しくなってきたので、黙って議事を進行していく。うちの大学に四回生などいない。いや間違えた、うちの部に…。
「今日の議事は活動日の確認、活動内容、それから新歓コンパです。コンパについてはヒラブンから合同開催しないか提案があったので、まずはそっちの賛否から」
「異議なーし!」
「土建屋の株主総会かよ」
紹介し遅れたが、ここは歴史民俗探検部……というのはさっき言ったっけ。正式な部員は三回生三名、二回生二名、新入生は……、なんと四名だ。おじちゃんは頑張った…。
嘘だ。
四人のうち一人は本籍ヒラブンの掛け持ち、さらに一名はうちの部員だがヒラブンからの紹介だ。ナオナオには頭が上がらない。
「例年のことですし、人数が多い方がにぎやかでいいと思いますがいかがでしょう」
「ナオナオさんの言うとーりー」
「浜バカは黙ってろ!」
そう、この場には俺が頭を上げられない前園さん…ではなくナオナオもいたりするから総勢十名。ナオナオは一回生の夏からレミタンにも参加しているのだ。
こんなミーティングにも顔を出すぐらいだし、掛け持ち部員としてカウントしても良さそうなものだが、今は亡き先代部長――念のため断っておくが、単に卒業しただけだ――はカウントしなかった。その名残りで今も宙ぶらりんである。
別にナオナオを入れたくないわけではない。こちらはいつでも加える用意があるが、ヒラブン側が部員の強奪と騒がないとも限らない。まぁ俺だってヒラブンに時々顔を出すから、いざとなれば俺を向こうにカウントさせてバランスをとる方法もあるが、お公家さん研究会に俺のような男はふさわしくないと排除されないとも限らない。
「えー、あらためて尋ねますがどうでしょうか」
「だ…」
「ただいまぁ、浜中以外にぃ、お聞きしておりますぅ」
「ぐっ」
ブリッコ庭っち初登場であった。今時ブリッコなんて言うのか?
まぁそんなことはおいといて、いい加減な掛け持ちが許されることには、実は両会の成り立ちに関わる深い理由がある。というのもレミタンとヒラブンは、学友会登録のサークルではなく学科で立ち上げた研究会なのだ。要するに兄弟分なのだ。
今日は都合により欠席している――というか、ただのミーティングだし参加してもしょうがない――が、顧問の教授もいるし院生も二人参加している。イベントサークルとは対極に位置する、超硬派な団体なのだよクワッパー。
「最初から聞くだけ無駄だと思うけど?、部長」
「なんだ、部員の意見を聞かずになんの民主主義か!」
「異議なーし!」
「それのどこが民主主義だ!」
そんな超硬派な団体が真っ先に議論するネタが合同コンパである。はっきり言って酒癖の悪い連中ばかりだし、どうせロクなことにはならないだろう。
………。
…………。
すまん。俺も暴れる方の一人だ。浜中と相撲を取るのが趣味だ。宮サマとナオナオが頼りだ。
「さて、では本題に入ります。今年度の輪読作品ですが…」
「けいらんしゅーよー…」
「新入生も遠慮しないで」
「聞けよ」
「聞かん」
まぁしかし、新歓コンパで暴れるのはさすがに慎まねばなるまい。ヒラブンなんて、新歓で裸踊りやって新入生全員に逃げられたという伝説を残している。伝説といってもほんの数年前。桑川部長の上の学年の話だ。どの辺がお公家なのか分からない。
とりあえず俺は酔っても裸になる習性がないし、浜中もたぶん大丈夫。プロレスか相撲に雪崩れ込むのが定番だ…というと、なんだか二人は相性が良さそうだ。キモッ。
「…あのー」
「え?」
くだらない話題を重ねていたら、意外な方向から声がした。思わず声が裏がえってしまったぞ。やれやれ…と、少し緊張しながら彼女の方向を見る。
風に触れるブラインドがガタガタ音を立てるだけで、急に人の声が消えてしまった共同研究室。緊張しているのは部長…というか俺だけではなかった。
「えー、相馬さんどうぞ」
「は、はい。……これまではどんな作品を読んできたんでしょうか」
「異議なーし!」
「うるさい、ならお前が答えてみろ!」
「い、異議あーり…」
浜中の茶々が入って少し和んだが、妙にその声を聞くのが怖い質問の主。それは新入生。一応は俺がつかまえたことになっている新入生。一応どころか、さんざんからかわれたほどに俺がつかまえた相馬さん。昨日の浜中の呼び名ではミエケン。どの辺が愛称なのか、彼のセンスが大いに疑われるが、そんなことはどうでもいい。
………。
あの時はどうしようもなく頼りなさげに見えたのに、出会って一週間しか経ってない現在は、少なくとも二回生よりしっかりしてそうに思える。
今だって、質問内容はともかくとして、この内輪な雰囲気で真っ先に手を挙げる度胸はどうだ。
これは案外大物ではあるまいか。
「ではリクエストにお応えして、浜ちゃんの「レミタンはこれで押さえろ!の時間」の時間がやってま…」
「一昨年は『遠野物語』、去年はその流れで『聴耳草紙』」
「なぜ先に答えるんだっ、宮サマ!」
「鬱陶しいから」
頼りになる副部長のおかげで、浜中の野望は打ち砕かれた。実に素晴らしい。打ち砕かれたというか、むしろ浜バカの無知がばれないよう助けていただいたと表現する方が正しい。いくら浜中がバカでも過去二年ぐらいは言えそうな気もするが。
そもそも、二年前に『遠野物語』を読み始めたのは、浜中のリクエストみたいなものだった。
俺も宮海も、なんだか分からないが楽しそうな名前というだけでレミタンに参加した。思い返すとあり得ない話だが、四月アタマの新入生はあり得ない連中なのだ。だから入ってはみたものの、特に読みたいものなんてなかった。
浜中が「近所でザシキワラシを見た」と意味不明な発言をした以外に具体的なリクエストがなかったから、ザシキワラシつながりで『遠野物語』。積極性だけでいえば、二年前の彼は光っていた。
「また『遠野物語』でもいいんじゃない?、直美」
「え、うん…」
そんな過去は思い出すだけ無駄だし、相馬さんの二年後が浜中になりそうな論理展開も避けたい。この場でもっとも生産的と思われる行動は、宮サマとナオナオの密談に聞き耳を立てることであろう。
とはいえ、ナオナオは宮海説に同意しかねる時に、なぜか俺を見る癖がある。現に今もそうである。ナオナオにじっと見つめられるのは結構なプレッシャーである。
「なら…、『妖怪談義』は?」
「よーかいがえて決めろよ、新人諸君もな」
「アンタが新入生の邪魔」
そこで飛び出した宮サマ第二案は、最初の案より反応がいい。浜中がツッコミを入れるのは、同意している証拠。ナオナオもこちらを見ていない。というか、ちっとも密談になってない。
もちろん、新入生にとっては『遠野物語』も『妖怪談義』も未知の書物だろう。後ろの書棚から本を取りだし、少しばかり紹介してみる。俺たちも二年前は同じように教えてもらった。たった二年差で偉そうに教える側だ。なんだか滑稽だ。
「『妖怪談義』もなかなかいいでしょ?、相馬さん」
「え、…は、はい」
「妥当な線じゃない?」
さっさと新入生の了解を取り付け、結論を出そうとする宮海。副部長と名乗ってはいるが、いつも途中から部長兼司会の立場を奪う。要するに仕切り屋なんだから、最初から仕切ればいいのだ。
「でもなぁ」
「何よ司会者」
「『遠野物語』だってまだ半分しか読んでなかっただろ」
「ま、まぁそうだけど」
だから意地悪したくなって、司会者が議事進行を遮る。これも最近の傾向である。部長という仕事が嫌でしょうがないのに、自分が部長だと主張する。いつから俺の心は汚れてしまったのだ。
結局、意味のない多数決。全員が『妖怪談義』に手を挙げた。一応司会の俺は遠慮しておいたが、たぶん『遠野物語』に手を挙げることはないだろう。年度が替わったら新しいものを読む。それがケジメってやつだ。
「しかしなんつーか予定調和だな」
「何よアンタ、バカのくせになんか文句でも?」
「いいや違うぞ宮サマ」
「部長は黙ってなっ!」
ということで本日は五時四十分終了。せっかくのツッコミをシャットアウトされたので、それ以上引き延ばすことも出来なかった。宮海はいつも自分勝手な女だ。
輪読が始まれば早くて七時。何というか物足りない気分なのだ。目の前で始まった浜バカと宮サマのいざこざも、きっとそんな不満のはけ口…なわきゃあない。
「で、これからご飯食べてくけど」
「…あの、ちょっと今日はこれで」
「あ、うん、五十川さんは不参加ね」
ガス抜きなら今からいくらでも出来る。
クラブ活動はこれからが本番だ。メシを食う。それは崇高な行事だ。
「どこ行くの?、部長さん」
「む、なんだナオナオは俺に言わせたいのか、な…」
その瞬間思いっきり腕を引っ張られ、振り向くと鬼の形相の宮海がいた。しかし俺は怯まない。なぜならそれが部長としての責務だからだ。今から新入生に体験させねばならない行事なのだ。
「南国行くぞ!」
「あそこはキタナいから他にしようって言ってるでしょ!!」
クッ、やかましいぜ宮海。
宮サマお得意の罵倒ヴォイスすらも軽く受け流し、勝ち誇った顔で一行を見渡す。
南国はオアシスだ。
たまにゴキブリも出るがオアシスだ。
いつもガラガラだからくつろげる……では本音すぎだ。