(一) 庭田
「やぁ元気かい宮海クン」
「元気よっ!」
ふふーん。
宮海は元気らしいぞ、聞いたか諸君。実は俺も元気だ。他人が苦労していて、俺はその苦労を共有せずに済む状況は、実に気分がいい。我が心すがすがし、だ。地名の一つや二つはつけてやるぜって気分だ。
「印刷手伝ってよ」
「手伝ってやらなくもないが、いつ出来るんだ?」
「そのうち、よ!」
談話室という名のここで談話する者などいない。基本的にここはただ叫んだりわめいたりする場所。動物園の檻の中だ。我々も当然のように騒音をまき散らすが、あるいはそこに何らかの調和があったりすれば、ここは談話室の名に相当するだろうか。何を言っているのか分からないな。
ともかく今日は本年度研究会初日。柳田国男の名著『妖怪談義』について、副部長であらせられる宮サマの御高説を賜わる日である。こんな雑然とした空間ではなく、静かでキレイな教室が舞台だ。そこはまるでリアル宝塚!
………。
まぁ当日の昼にこのアリサマで、どれほどの御高説になるやら状況は不透明で予断を許さないが、一応こうやって焦っているのだし発表すっぽかしはなかろう。
うむ。
研究会は過酷だ。
今までに幾多の屍を晒してきたことか―――。
「よぉ宮サマ、なんだまだ出来てねぇのか」
「殴ってあげるから右の頬を出しなさい」
「右をやられたら……、次は分かってるな、浜中準」
「分かるか!」
空気の読めない男、ハマジュンも現れた。宮サマにとっては俺もハマジュンも同じようなものだろうが、俺の視点では違う。偉そうに言うことでもない。
………。
ちなみにハマジュンとは、昨夜のテレビを見ながら思いついた画期的な名称である。まだ声に出してないから、俺は密かに他人の名前を独占していることになる。フフ。
別になんのありがたみもありません。フフ。
「四時までに済むのか?」
「大丈夫、もう話すことは決まってるから」
「真の妖怪は私です、とか」
「そんな話で面白いと思う?」
からかうつもりが蔑まれてしまい、俺は嘆きつつその場をあとにする。宮海は時々頭が切れすぎていけない。なぁハマジュン。
男二人で出かける先は、ただの学食だ。全くオサレではなく、味の保証もない。所詮俺たちはそういう関係なのだ、とお互いにはっきりさせるにはいい場所だ。なんの話だっけ?
「相変わらず宮サマは準備が遅い」
「…来週はキミじゃないのかサダジュン」
「無論だ」
妙に偉そうな奴を前に、どうにも新名称を披露し辛くなっているわけだが、そもそもこの新名称には披露されるほどの価値があるだろうか、などと余計な心の揺れも始まっている。サダジュンの方が遙かにひねった呼び名ではないか。
「柳田国男先生が存命ならば、俺は弟子入りした」
「はぁ」
「庭っちはそこでどうして感動しないんだ」
「いや、一応してる」
「一応じゃダメだ。もっと本格的にしろ」
「はぁ」
浜バカ大先生の言語感覚というものは、常人には理解が難しいものである。いや、理解しようと試みるのがダメなのだ。感じろ。感じれば伝わるさ。
「しかし」
「…なんだ庭っち。不服か」
まぁともかく、浜中準が柳田信者であることは、残念ながらレミタンの常識である。
そういう研究会なのだから、いても不思議ではない。しかし今となっては絶滅危惧種。
「それならおまえが概説をやりゃ良かっただろうに」
「………」
浜中準はすねてしまった。
まぁすねるだろうと思って発言したわけだが。
「宮サマはなぁ、いずれ目覚めるさ」
「眠っていてもらった方がいいんじゃねーか?」
「ふっ、何とでも言え庭っち。いいか、刮目して待てっ!」
「来週をお楽しみにね」
「…まぁそんなとこだ」
アニメの予告編の真似に、大真面目な返答しか出来ない男。その余裕のなさで大丈夫なのか浜中!
浜中! 浜中!
無駄に盛り上がって、しかしその必要のなさに気付いて醒めていく。
宮サマは柳田信者ではない。
そして俺も信者とはいえない。いや、これだけ柳田民俗学が否定されていく世の中で、しがみつく方が難しい。幾多の批難に耐え続けるしかないからだ。
ハマジュンの潔さに多少の嫉妬を覚えつつ、壁の時計を見る。
…ちょうどイベントの一時間前。
そろそろ談話室に戻ろうか。目と目で通じ合う、そういう色っぽい関係の俺たちだった。
「左の頬までやられちゃ痛ぇだろうな」
「ざっつらいと」
「それは右だ」




