(十一) 庭田
雲水の、身はいづくとも定めなき、身はいづくとも定めなき、うき世の旅に迷ひ行く、心の奥をしらいとの、むすびこめたるさだやまや、うずの社に着きにけり、うずの社に着きににけり……。
「うーむ、人間洗濯機」
「う、うず潮?」
さん候。ここはこの世の異界。
なるほど、占い屋も集うはずだ。
「時計と反対だ」
「そ、そうです」
「すごいよ、庭っち」
いやナオナオ、この際俺は関係ねぇだろ。ツッコミを入れつつ眼前の光景を凝視する。無駄に画数の多い単語を並べている。興奮しているわけである。正直、我々はこの目的地に着く前に、昼飯まで食べてしまったわけである。
そのような事実は、「この目的地」にさして期待をしていなかった、というあらわれであると、誰もが理解するだろう。
胡散臭い店をいくつか覗いて、とりあえず名物を食べて、あとは適当にぶらぶら眺めて過ごす。その適当な景色のなかに、中核であるはずの「この目的地」が含まれていたことすら、否定はできないのである。
しかしジーザス、神社の境内でジーザスはないと思うが、ともかく我々は大いに反省しなくてはならない。時計の周る方向は絶対、しかしそれすらも無視して渦を巻く人々の中核は、まさしく中核としか呼びようのない恐るべき存在だったのだ。
「直美、カメラは?」
「うーん…、どう撮ったらいいの?、これ」
渦巻、それは全人類と比較するならば、数にも入らぬほどのちっぽけな営みに過ぎない。従ってこの中心に生じつつある虚無も、吹けば飛ぶほどの小さな破綻。吸い込まれるもののないブラックホール。誰もそんなものに価値を認めはしない。我々のような探検者を除いては。
見よ!
今また一人、勇敢な探検者が足を踏み入れようとしている。
「冷やかしならやめなさいよ」
「むむ…」
「そういうのは単に邪魔するだけでしょ。まったく、部長のくせに」
「出来の悪い部長ほど可愛いって言うだろ」
「言うか!」
目の前で一心不乱に人々が廻っている。そんな景色を見せられたら、自分も巻き込まれたいと思うのが世の常である。
もちろん我々には――いや、とりあえず俺には――、廻るべき理由はない。だがしかし、廻るという事象はそもそも合理的な説明を拒否するものである。反対の賛成なのだ。
「よし、じゃあナオナオ」
「な、何?」
「悩んでいるだろう?、今」
今度ははたかれた。古めかしい漫才のようだった。
「相馬さん」
「はいっ」
「五月病だよな?」
「アンタ無理矢理過ぎ」
これ以上はさすがに不毛なので、ひとまず渦を避けるように拝殿へ向かう。
拝殿は……、神社である。
何の変哲もない建築物が、ありふれた木立の中にある。そこから数メートル先では渦巻くお百度。所詮外側から見えるものなど、空虚な容器に過ぎないのだ。
ナオナオに群がる男どもにも、そう言って追い払えないものかと思う…が、その場合は単にナオナオの悪口になってしまう可能性が高い。宮サマなら問題ないけどな。あの性格は一般向きではない。リアル宝塚は箱モノだっ。
「まだまだ学生の悩みは小さいなぁ」
「準ちゃんに言われても…」
「なんだナオナオ、俺が一番悩み多き男だぞ」
「知ってます。ヨーコちゃんだもんねー」
髪の長い女ならいくらでもいるものだ。なぁサダジュン。無駄に痛いところを突かれてふてくされる親友に、俺はあえてやさしい言葉もかけずに社務所方面へと歩き出す。
拝殿の右手にあるスペースは、通常ならば神社の飯の種であるお守りが並び、商売っ気の感じられない――まぁ表向きは商売ではない――売り子が一人で座っているはず。しかしここでは何人もの白装束が、慌ただしく動き回っている。もちろんそれは、今から渦の中に身を投じようとする勇者たちの世話を行っているのである。
もっとも、渦に加わるだけなら料金不要。さっき我々が――我一人かも知れない――身を投じようとした時も、そこに入場料を要求する者はいなかった。自主的に参加して、自主的に退場する。本来お百度とはそういうものだろう。
「浄土教ではお金を功徳と言うそうな」
「ふつうに賽銭って言えばいいでしょ」
「宮サマは俺をイヤミな奴だと言いたいのか」
「アンタがイヤミじゃなかったら誰がそうよ」
むむ。不毛な争いは互いのためにならない。そうだ、今日は一応はクラブ活動である。公の行事である。じっと我慢の子である。
ふと気がつくと、ナオナオとバカが売り場で何かを物色していた。
ざわめきの耐えない異空間で、彼らのような一般人が行動するのは極めて危険だ……と思ったが、実際にはそんな張りつめた空気などどこにもない。
子供連れがいる。
じいさんばあさんの団体もいる。
それらの多くは神社を神社として詣で、神社で買うであろうものを買っていく。浜中準が縁結びのお守りを買う姿も、普通にとけ込んでいた。
「…って、縁結びかよ」
「準ちゃんモテるのにねー」
「うるさい、買ってこいって頼まれたんだ」
佐多山野郎に兄弟がいることは知っているが、こういう自力本願の地で代わりに買っても御利益があるのか定かではない。まして、兄弟の事情はともかく、一般的にいうならば幻想のヨーコヨコハマに縋る当人こそが必要としているわけである。
………。
その論理でいけば俺も同様なのか。しかしさすがに神頼みってのもなぁ。美人に化けた狐でも現れるのがオチって気がしないでもない。
ああでも、狐でも美人なら良いのか? とりあえず馬に恋するってのは勘弁な。まぁあれは女の方か。
「ところで美恵ちゃん」
「はい」
「庭っちに誘われて入ったんだよねー」
「…は、はい」
「こらナオナオ、今さらいらんこと聞くな」
我々は一応、渦の中核から離れつつある。拝殿の横を通り抜けて、摂社が団地のように並ぶありがちな景色を眺めつつ移動する集落でも湖でもなく集団である。が、ここはまだまだ異空間の一部。格好良く言えば異空間の周縁。気を抜いてはいけないのだ。
だからこそ、この非日常において日常そのものの質問を浴びせてくるナオナオが、それはそれで大物に見える時がある。
まぁそれは確実に目の錯覚だし、ましてや質問が自分に関わる以上、全力をもって邪魔するけどな。
「庭っちの第一印象は?」
「えー………っとですね」
「ナイスガイ」
「根暗なバカ」
「二人とも黙って」
ナオナオが本気で怒り出すまであと一息。そのうち背後の木々すらざわめいて、我々を攻撃する……ことはないだろう。ナオナオは嵐を呼ばない女だ。
ともあれ遮られる相馬さんには悪いと思うが、こういう場での誘導尋問が望ましい方向に進むことはまずないのである。ナオナオは案外なゴシップ好きだし、目の前で今繰り広げられているのは、そのゴシップ好きが自作自演でネタを創作する過程だ。レミタンの誇りを守るためにも阻止せねばならない。
「そういう質問はヒラブンの一回生にしろ! なぁ宮サマ」
「うーん、まぁ今だけ部長に同意」
「なんでよー」
最後は宮サマも加わって、ナオナオの野望はついえた。さすがレミタン。適当極まりないチームワークの勝利であった。
もっとも、ナオナオにとってはなんでよーな話に違いないだろうが、我々の主張は至極真面目である。レミタンに比べてヒラブンはかなり出入りが激しいわけだし、その激しい理由の一端がナオナオの存在にあることも、ほぼ事実と認められる。
「ヒラブンの新入生も、いずれナオナオの言動を苦々しく思い始めるに違いない」
「私が何をするの? まさか昼食のコーラ…」
「なわけあるか。レミタンに出入りするなどケシカラン、だろう」
「あーそれはあるかも」
「うー、博美は味方じゃないの?」
ともかく断言できるのは、ナオナオが美人である、ということ。ミスキャンに選ばれたなんてのは結果論であって、そもそもモノが違う。
現に今だって、この非現実的環境のなかですら、着実に周囲の視線を集めている。とりあえず若い女に飢えていそうなオッサンと、お見合いの世話に飢えていそうなオバサンが多勢とはいえ、人類の嗜好には個体差があるのだから、一人にここまで注目が集まるのは尋常でない。
つまり、特に女の新入生にとっては、同じ会で比較され続けることに耐えられなくなる…、そんな状況があっても不思議ではない。少女マンガの悪役みたいにナオナオ自身が美貌を誇るのであれば、まだ逃げ道もあるだろうが。
「ヒラブンは終わった後に飯食わないよなぁ」
「…まぁ」
「相馬さんはどっちがいいの?」
「え?」
「ウチは部長がこれだから、部として行かないことはあり得ないけど」
これ呼ばわりするなよと言いたいが、そこを気にすると話が進まないので忘れる。
相馬さんはふつうににこにこ笑っている。不思議といえば不思議かも知れないが、そういう自分の顔も別にしかめっ面ではない。そんな深刻な話題じゃないだろう。
「経済的にはありがたく…」
「今はどんどん行くが良い、若者よ」
「南国以外なら賛成するわ」
「じゃあ武蔵坊か!」
「駅まで歩けばもっといい店あるでしょ、ねぇ直美」
「うん。もっとおいしいもの食べたい」
なんてわがままな女たちだ。南国だから落ちついて話が出来るんじゃないか。去年、なんとなく血迷って焼き肉食べ放題に行った時の悪夢を忘れたか、と心の中では怒りの炎を燃やす。
「ヒラブンはそういう店に行きそうなイメージだよな。横文字とか」
「よ、横文字…」
「まぁそれぐらいにしなさいよ部長」
「あ、……うむ」
副部長の一言で話題は途切れた。元があれだったことを思えば、別に俺にとって困る要素はない。むしろ、いつの間にか日頃のうっぷんを吐き出す場になったことに反省すべきだろう。神様のお膝元では誰もが甘えてしまうのだ。緑の木々に囲まれていると、体内の毒素が吸い出されてしまうのだ。
「意外に狭いよね、準ちゃん」
「俺は表しか歩いたことなかった」
「いつ?」
「し、……七五三」
言い訳はそれぐらいにしておくべきだ。しかし俺はヒラブンにも参加しているから、不平不満が募ること、それは嘘ではない。
ヒラブンという会は、円卓の二ヶ所が異様に目立つ空間である。
片方にはいろんな意味で圧倒的なボリュームで迫る桑川さんがいて、もう片方には絶世の美女がにこにこ笑っている。で、その隙間は一見すると土星のハチマキのような輪の間に存在するカッシーニの間隙のようで、近づいてみればうっすらと何か――他の会員だ――で満たされている。そんな感じ。
レミタンなら、少なくともナオナオに存在感では負けない宮サマがいて、バカでは負けない佐多山野郎もいる。ついでに俺ももう少し解き放たれている。何にせよバランスは必要だ。
「で、一巡したわけだ」
「そのようね」
「なんか見慣れたな」
「そのようね」
何だかよく分からない広場があって、金網に囲われた祠のようなものがあって、薄暗い木立の下にベンチが点在して、そして一周に費やす時間が約二十分。
普通の神社ならこれでも相当に長いが、はるばるやってきた目的地としてはあっけないのも事実だった。
「さぁ宮サマ、お守り買うなら今だぜ!」
「ヨーコちゃんがバカを見捨てますようにってお願いしようか?」
「えー、博美も買えばいいのに、縁結び」
「いらないっ!」
しかし、しかしだ。
我々は今一周したのだ。渦の宇宙を常に感じながら、聖なる空間を突き進むスペーストラベラー。その終着地は出発点そのものだった。
ああ、つまり我々は永劫回帰する。避けようとした渦に、結果としては囚われながら我々は進むのだ。旅は帰るためにあるのだ。
「庭っちー」
「待てナオナオ!」
「大声出さなくたって聞こえるのに」
「庭っちはトリップ中だ!」
遠くにナオナオの声が聞こえた。ついでにバカのトリップという声が……。
そうだなぁ。トリップってのも言い得て妙だなぁ。
「庭っちを止めなきゃ」
「いい。どうせバカだからね」
「いや、そのりくつはおかしい」
「なんだ、もう終わった?」
そしてあっけなく帰還する。
副部長の言葉には愛がない。あるのは茨の棘ばかり。バラはバラは美しく散るどころかまだ咲いてもいねぇ。
「というか相馬さん、なんでそんなにウケてるの?」
「え、ご、ごめんなさい」
「いや、別に良いとか悪いとかじゃなくて…」
さっきは渦に目を奪われて気付かなかった鳥居の下。振り返ればそこには相変わらず渦を巻くお百度の群れ。
きっとその顔ぶれは変わっているだろう。しかし傍目には永久不変の姿に映る、それこそが我々すらも呼び寄せる引力なのだ。なぁ相馬さん、今は一仕事終えた充実感に浸る時間だ。何かを思い出したかのように笑う時じゃないんだ…。




