(十) 宮海博美
健康だから身体を動かすのではない。身体を動かすから健康なのだ。
まだ見ぬ核心に近づくほどに占い屋の数が減っても、一向に減らない薬売り。左右に並ぶ懐かしい――というほど知ってるわけでもない――看板の群れは、ここが健康に自信のない人ばかり集う町であることを雄弁に物語っている。ああ、なんか口調が部長みたいだ。
「冷え性だってさー」
「アンタが買えばいいでしょ!」
健康に不安はないけれど、学生になってからは運動不足気味。だけど小学生の頃に卓球やっただけの直美よりは体力に自信あり。
実は高校ではテニス部だった。副部長もやらされた。別に二番目にうまかったわけじゃないけれど。
うまくなりたくない…と言えば、さすがに嘘になる。でも身体を動かしていられれば満足できた。一回戦で負けなければいいと思っていた。そんな甘い考えでは勝てないという教訓話だ。
「ナオナオさぁ、こういうのって親は喜ぶのか?」
「なんで私に聞くのー」
「自宅生だからでしょ」
出掛けた先では必ずお土産を買う浜中準を見るたびに、独り暮らしの気楽さを思う。その代わり、部屋は汚れるけど…。
ともかく、朝からだらだら歩き回るレミタンは運動部? そんなわけはない。直美でも息を切らせずに参加するレミタンは活動的? それもないよねぇ。
だいいち今日のルートなんて、居並ぶ看板たちが物語るように、多少病気がちな女性ですら楽々なのである。まぁ坂道を下っていくこのルートが絶妙なだけで、逆だったらたちまち遭難者続出しそう。あー、また口調が。
「待て!、宮サマ」
「何よ」
核心に近づいた雑踏の中、突然私の名を大声で呼ぶバカは、その名もバカ。浜バカ。
部長と並んでるのに、なぜ私を呼ぶ! こういう時は部長でしょ!
「俺の調査によればな」
「ここで飯食うんだろ?」
「ぐっ、庭っちなぜそれを!」
「さんざん言ってたじゃねーか」
結局答えるのは部長。私は言われるままに左手の店を眺めてみる。
それは何の変哲もない、そば屋だった。
ゴテゴテと看板が並んでいて、店先では大声で何かを叫びながら、おばちゃんがジャガイモを売っている。いかにもそれっぽい店だ。これを何の変哲もないと表現する私は、そろそろ感覚が麻痺しはじめているような気がする。
「部長、採決して」
「むむ…、相馬さん」
「はいっ」
「ここでいいか?」
「は、はいっ」
部長らしい仕事をしろと振った瞬間の面倒くさそうな顔。なのに次の瞬間には強引に部を動かしていく。それも後輩をダシに使って――。
基本的にこの男は、人の上にしか立てないのだ。
で、私はそういう男を陰で操る副部長……なわけでもない。ちっとも思い通りになんか動いてくれない。無力というほどでもないけれど。
「では交渉は貴様に任せるっ! 行け! 浜中準!」
「イエッサー」
「このノリって三十年は古いと思う」
「かといって町の古さにも合ってないし」
「何言ってんだ、かつてゴレンジャーに心を熱くした者どもが、今は太りすぎで腰痛持ちでキレンジャーよりみっともなく…」
「はいはい、アンタの腹だってそろそろヤバイでしょーに」
毒舌だけは誰にも負けないから、何かと折衝の多い部長には最適な人材? 喧嘩っ早い性格の男にわざわざ交渉なんてさせるものか。それならまだ、知らない人の前では態度が小さくなる浜バカに……と、そんな思考ぐらいは出来るのが不幸中の幸い。
……リアル宝塚の魅力でどうにか?
何よ、リアル宝塚って。まさか人の呼び名じゃないよねぇ。
「よもぎソバで決まりだな」
「独り言は聞こえないように言って」
入り口の割に奥は広い店の、一番奥の隅に陣取る五人組。奥に細長いのは、別に京間ってわけでもない。無秩序に増築を重ねるとこうなるという見本のようなもの。また部長口調。
とりあえず私は……、カメラ係の役をこなす。
何の変哲もない食堂こそ、これからどんどん貴重な景色になるだろう。ついでにメンバーも撮っておけば、将来老いた自分を見て愕然とするだろう。嫌な将来だなぁ。
「ちょっと貸して」
「こら、取るな」
一通り撮影の後、目をそらしたすきにカメラを奪った女が、次にやることは決まっている。だから私はうつむいて、テーブルの木目を確認するようなポーズ。
「なんで隠れるのよー」
「必要ないから」
「だって博美、まだ一枚も写ってない」
集合写真撮ったの忘れたか、と言いたいけれど、直美には効果がないと分かっているから黙って横を向く。その瞬間に軽いシャッター音。
別に「写真は魂が取られるから嫌だ」なんて発想は持ち合わせていない。でも、記録されるほどの価値もない。一人ひとりの人間の価値なんて、そんなもんだと思う。
それに……、去年の春に浜バカが適当に撮った写真が、あちこちを駆けめぐって直美のミスキャン出場のきっかけになった。そんな忌まわしい記憶を、たぶん直美はこの瞬間も忘れていない。私を出場させようという悪意がきっとある。
「まずはメニューを撮るのだ、ナオナオ」
「えー」
「我々は研究活動に来ているのだ、なぁ相馬さん」
「えっ? ええ…」
まぁそもそも、例の写真は私と直美のツーショットだった。で、主催者からは「できれば両方、無理ならどちらか」という打診があった…という事実を知るのは私と部長だけ。
そこでこの部長――当時は部長じゃなかった――が「ナオナオをミスキャンにー」とか適当に騒ぎだして、浜バカもノリノリで、成り行き上私も止めるわけにはいかなかった。みんな共犯、といって済めばいいけれど、どう考えても私は主犯格。でも自分が出るのはやっぱり嫌だ。
あんな適当なコンテストでも、ナオナオには未だにイベント出演依頼が来ている。それを一緒に断るのが、せめてもの罪滅ぼしだ。
「ソバが来たぞ、ナオナオ」
「庭っち、ちょっとうるさい」
「何言ってんだ、今が勝負の時だ」
「うむ、よもぎソバだぞよもぎソバ」
私の前に運ばれた第一陣を前に騒ぐのは、いったいどこの小学生だ。相馬さんも呆れるでしょ……と確認した。
じっとこちらを見ていた。
なんかすごくレミタン新人みたいだった。まるで二年前の自分を見るような…。
「で、宮サマは食べろ」
「ん……」
「のびたらダメだ、さっさと食え。で、ナオナオは撮影」
「はーい」
「……………」
ともかく、情勢は最悪の方向へ。何が悲しくて、ソバをすする姿を全員に注目されて、あまつさえ撮影されなきゃいけないのだ。
拒絶したい…けれど、これはレミタンの業務だ。うかつに部長を信じたりすると、こういう結末を招く。今日の私は最初から信じてないのに、こういう結末。より一層の不幸。
でもまぁ、悪意はないから諦めるしかない。他の人の分が先に運ばれていれば、その人が犠牲になっただけ。相馬さんの代わりになったと思えば気も紛れる……かなぁ。
「いいか庭っち」
「何だよ、宮サマの邪魔するとソバのびるぞ」
しかし、ただの撮影で終わらないのがレミタンの魅力。
何が魅力だ! さっさと食べよう。
「いいから聞け、ここは何の店だ」
「聞けと言って質問すんなよ」
「やかましい、いいか、ここは出雲ソバだ。なぜか出雲!」
「まぁ、そう書いてあるな」
そこにいるのは、見た目だけでいえばわりとありがちな男子学生二人。しかし傍目には、どうして会話が成立するのか意味不明なやりとり。実際、二年間にわたって聞かされてる私ですらそうだ。
でも、だから退屈しないのも残念ながら事実だったりする。慣れって恐ろしい。そういう問題だろうか。
「出雲といえばヲロチだ」
「ふぅむ」
「やまたぁの、ぅおろちだぞ!」
「だぞって言われても」
「見ろ、宮サマが今、口に運ぼうとしているものを!」
「はぁ?」
そうかそう来たか。落ち着き払って私はソバを食う。
何となくオチが見えた。安直なオチだ。
「まるでヲロチだ」
「はぁ」
「宮サマは今ヲロチと戦っているのだ!」
「ふむ」
「つまり宮サマは今、かのスサノオなのだ!」
「うーむ」
部長の反応も微妙。やはり恐らくは途中で気づいていただろう。曖昧な笑顔でバカ中を見て、それからこちらを向く。
………。
知らんぷりで私はソバを食べる。
正直、この神話的なネーミングのソバは、色のついたうどんという感じで、わざわざ食べるほどの味じゃない。たぶんこの一行にはどうでもいい話。永遠に味を語りはしない…のかな?
「まぁ宮サマとスサノオってのは結びつかなくもないが…」
「なんで!」
レミタンだって二年前と同じではないのだから、そのうちグルメに変貌しないとも限らないけれど、それはそれ。期待通りのセリフをほざく部長はともかく、さりげなく直美までうなずいていたから、その点について不平を表明しておく。
だいたい、スサノオは男だ。どうせならアマテラス……は無理だよ。あっさり結論に至ってしまう自分が悲しい。
アマテラスが直美なら、私はスサノオ。そんなもんか。ね?
「アンビヴァレント宮サマだな」
そしてバカがバカな台詞を吐いた瞬間、周囲の目は輝いた。なんて嫌な輝きなんだ。
「準ちゃんが横文字使った」
「覚えた単語はすぐに使う佐多山バカ」
「賢いって言ってやれよ宮サマ」
「一人ぐらい素直に反応できねえのか!」
大学生になるまでは、みんな素直だった。
二年前の四月。この中で一番ひねていたのは、たぶん直美だったはず。みんな素直に瞳をキラキラさせていたはず。
何をどう間違ったんだろう。たぶんその過程で主体的な役割を果たしたのは、私じゃない。…たぶんね。
「相馬さん、出番らしいぞ」
「え…」
「相馬さんの反応がミエール」
「それは嫌です」




