(九) 庭田
この町を、ごく一部の人だけが魔境と呼ぶ。ということは大多数にとってはただの町。しかしキャンパスの異端児、レミタンはその一部に該当するのである。
見ろ、この有象無象の群れを……。
「何?」
「い、いや、ただのポーズだ」
「紛らわしいわねぇ」
しかしそれを声にすることは出来ず、まるでマヌケなピエロのように俺は足を止める。
そこには様々な感情のせめぎ合いというか、群れというには五人は少なすぎるとか、さすがにナオナオを有象無象に加えるのはかわいそうとか、それを言うなら相馬さんもとか、見た目だけなら副部長…。
ごほん。
冷静になって、前を向いてもう一度ポーズをとる。暫く、という感じだ。
今度は副部長も何もツッコミはしない。なぜなら、これはレミタンの基本だからだ。要するにレミタンの有象無象とは俺のことだ。
「じゃあ部長に提案」
「何だね副部長」
ともあれ、なぜか部長の威厳を取り戻した俺に、副部長が真顔で提案を行う。
今日は正式な活動ではないのだが、中枢メンバーは参加している。我々は毎日教室で座っていると、探検分が足らなくなる。近場でいいから補給しなくては、と我々は渇望するのだ。探検を求める人生の旅人なのだ。
「こんなに呼ばれているのに、黙って通り過ぎるだけでいいと思う?」
「む、それは…」
「誰かで占ってもらうべきでしょ」
「誰をだよ…」
呼ばれているといっても、客引きのオヤジが声を掛けてくるわけではなく、あちこちの隙間から視線を感じるだけ。とはいえ占い師にジロジロ見つめられながら歩くこの非日常空間において、副部長のそれは至極真っ当な提案に違いなかった。
しかし、簡単に返答は出来ない。
いったい誰を選ぶのだっ。
俺は…、はっきり言って占いなど信じない。バカにしていると表現しても差し支えない。絶対に向いてない。
副部長は基本的に俺と似たような人間だ。この場で冷静に提案出来るのは、既に自分以外の誰かでシミュレーションを済ませたからだろう。それも、たとえば俺を差し出して占い師とケンカさせるなんて無粋な真似は考えていないはずだ。
「相馬さんは悩み事が多いんだよねー」
「えっ!?」
しかし、副部長の選択は当人を含め誰一人肯定出来ないものだった。
いきなり新人を生け贄にする奴がどこにいる…と、一同わりと御立腹だったのだが…。
「他に誰かいる?」
「うーむ」
「直美は夢想する現実主義者だし、浜バカはバカだし、アンタはどうせケンカするし」
いつものように宮海の毒舌が冴え渡ると、なんだかレミタンって気がする……などと感慨に浸る局面ではないのだろうが、妙な充実感。ナオナオすら特別扱いしない副部長万歳。
「じゃあ博美はー?」
「無理だろ。俺と同じ理由で」
「一緒にするなバカ」
要するに我々はこの場にふさわしくないのだ。嗚呼、なぜこの役に立たない面子でレミタンなのか。レミタンの未来は暗い。果てしなく暗い。
「あのなぁ、庭っち」
「なんだバカ」
「いきなりバカバカ言うな」
「仕方ないだろ、副部長がそう呼んでるし」
そもそも、結論が出た瞬間に発言を始める間の悪さを恥じるべきではないか。俺は人知れず義憤に駆られてみる。しかし、周囲に賛同者はいなかった。
予想外の展開に、仕方なくバカの顔を覗くと、その顔は比較的マヌケ面ではない表情だった。なんか回りくどい言い方になった。
「俺の記憶が確かならば、昔は占い屋なんていなかった」
「一人も?」
「…いや、一人ぐらいはいたかもしれんが」
佐多山野郎の証言は曖昧で、あまり説得力もなさそうに思えた。が、奴以上に曖昧な記憶を誇るナオナオも、曖昧に同意する。二つの意思表示を言葉でまとめて見れば、どうしようもない展開。なのに、なぜか納得してしまう。人間の心理とは不思議なものだ。
いや違う。そこで一般化するような人間が占い師に騙される。身近なただ一人の傾向から、血液型占いを信じる愚か者なんてのはその典型だ。
「かつて我が国に、恋愛に悩む者はいなかったという」
「何その結論」
「目の前の景色とバカの証言から導き出せるのはそれしかなかろう」
「あっそ」
いつの間にか生け贄作戦はうやむやになって、一行はまだ見ぬ魔境の中心へ向かう。
少々不機嫌な副部長はカメラを手に右往左往。ナオナオはしんがりを務めている。で、そういえば最初は先頭だった浜中は、次第に列の後ろに下がって、今や相馬さんの隣にいた。
ここ最近の発言から考えるに、昔の記憶と違う、つまり思い描いた展開ではないという違和感が、前に進むことを躊躇させているのかも知れない。言葉にすると偉そうだが、要するに融通がきかないだけだ。
だらだらの下り坂は、やがて両側の店の屋根が覆い被さるように空を消していく。漢方薬の店には、言いたいことは分かるがもう少しオブラートにくるんでほしいような看板が立つ。剥製もいる。服を着たマネキンもいる。もちろん各種の仏像もいる。集合団地に我々は迷い込みつつある。
まだ我々は、その片鱗を見ているに過ぎないのだろう。何せ目的地にたどり着いてないからな。
「あの人は売り物なのか」
「マスコットでしょ」
「ふぅむ」
もちろん、見渡せる限りの景色の中で、特別なものなどごくわずかに過ぎない。凡庸な存在は背景にとけ込み、ごくわずかなエリートだけが姿を現す? そうでもないだろう。凡庸であるかエリートなのか、それを判断する基準はどこにある?
時と場合によっては、俺自身かも知れないな。語り手はいつだって神になれる。
「ナオナオの好きそうな匂いがするぞ」
「相馬さんも好きよねー?」
「は、はい」
「直美、それって脅し」
七百メートルほどの残りに費やす予定の時間は一時間ぐらい。単純に計算すれば、時速七百メートル。これを声に出したら俺は浜中にも劣るバカだが、ともかくその予定を遂行するために、店先の商品を物色してまわる。ただお土産を探すという行動も、レミタンの活動の一部である。
「おお、麹があるぞ」
「だから何?」
「何ってなんだ。滅多に売ってねぇだろ、この辺じゃ」
「…はぁ」
感動の薄い副部長に俺は苛立ち、やがて我に返る。
……というほど大袈裟でもないが、中身がどうであれ、大袈裟に語るのが伝承の常である。
「いいかよく聞け宮サマ」
「サマって呼ぶならそれなりの話し方があるでしょ」
「サマってのは枕詞みたいなものだ」
「それは文法的におかしい」
理不尽なツッコミにカッとなり、やがて我に返る。
これはいつもの策略だ。宮海という女は、都合の悪い時には話題をそらすのだ。俺は軽く息を整え、そして勝ち誇る。
「我が町にはだな、麹屋がある」
「…ふぅん」
「それが高校までの当たり前だったのだ」
「その当たり前を見つけた感動を、誰かに聞いてほしかったと」
「別にそこは冷静に分析しなくていいんだ宮サマ」
干からびたご飯粒のような――実際、ご飯粒なんだが――話題の商品は、恐らくは本日初の注目を浴びて、キラキラと輝く。あくまで心象風景として。
相変わらず興味なさそうな顔で、とりあえず手に取ってやったぞ、という宮海から麹を取り上げて、俺はそのまま店員に差し出す。
……とっさの判断というやつだ。
金額はたいしたことはない。問題は使い道だ。日射しがあれば汗ばみそうなこの春の日に、身体の芯から温まるという甘酒はどうだ。飲みたくなるはずはないな。
「宮サマはどうなんだ」
「は?」
「見慣れたもんか? こんぴらふねふね」
「んーー」
勢いで買って後悔していると見透かされているから、全力で俺はごまかしにかかる。
もちろん、話題に全く必然性がなかったわけじゃない。宮サマの故郷の観光地は、ここと同様に探険先の候補地でもあった。まだ時期尚早ということで見送られたが。
「似てるといえば似てる」
「煮え切らん答えだな」
「しょうがないでしょ、別にあそこで育ったわけじゃないんだし」
「ふぅむ」
ちなみに、時期尚早ってのは要するに金がないからあきらめようってことだ。
学生の常として、我々は慢性的な金銭の不足に悩まされている。副部長は帰省のついでだから大賛成していたけどな。
「あんたに人面魚のこと聞いたら答えられる?」
「むむ、相変わらず屁理屈の多い女だ」
漬け物をぱくつくナオナオと、店先のおばちゃんにつかまっている相馬さん。そんな景色をバックに勝ち誇った宮サマの顔は、なんとも小憎らしい。
昔の俺は、そういう時にいつまでも口応えを続けていた。ありもしない伝説を胸の奥にしまいながらしかめっ面の瞬間、カメラのシャッターが押される。いつも頼りになる副部長め。照れ隠しに見上げた天井は、薄汚れたアーケードの隙間から漏れるお昼前の空気。
「ついでだから聞いておくわ」
「なんだ、昨日はパンの耳…」
「アンタの食生活なんて興味ないけど」
「左様か」
出掛ける前の晩は節約せねばならない。
最近はさすがに人としての尊厳も気になるから、あまり食べていなかったパンの耳。
「占われる対象は変わっていくと思う?」
「対象?」
イマイチ宮海の意図が分からず、向けた視線の先には色とりどりの文字が踊っている。
結婚、職業、金銭……、どれもその道ではおなじみの言葉ばかり。少なくとも俺にとっては、あまり身近な言葉ではない。いや、金銭なら身近過ぎる。金欠ならなおさら――だけど、それを神頼みでどうにかしたいなんて思ってはいない。
「アンタは消え去って欲しい文字ばかりだろうけど」
「そのセリフ、そっくり返すぞ」
「ふん」
金欠は学生のアイデンティティ?
自分たちが少数派であることの証明?
「つまり宮サマはこう言いたいのでしょう」
「医者なら要らないわよ」
「世紀末覇者が真顔で愛だの恋だの叫ぶのを認めろと」
「まぁね」
秩序の破壊者を気取りながら、守りたい世界ばかり広がっている。
ここはそういう亡者の町。
ここはそういうユートピア。
ここは………。
「ということは、どっかの偉い人がジューシィとか叫ぶのを…」
「話をそらすな」
「うむ…」
ほんの数歩先でぼんやり立ち止まる佐多山バカは、吸い込まれそうな目でソバ屋の看板を見つめていた。
どう考えても吸い込まれるのはバカに違いない。けれどパンの耳で暮らす俺サマも今は似たようなもの。これを阿吽の呼吸と呼ぶか、それとも動物的本能と捉えるかは百年後の人々が証明する……わけがなかった。




