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河図石語  作者: nats_show
四月編
2/35

(二) 宮海博美

 ………。

 何か不快な夢を見ていたような、そんな後味の悪さとともに目が覚める。

 身体の節々が、まだだるい、寝ていたい、とつぶやいてる。だからぐっと腕を伸ばし、無理矢理その叫びをおさえて跳ね起きる。

 時刻は朝の七時半。窓から射し込む光はゆらゆら揺れて、その先端は足元に届く。散乱する衣服。そして乱雑に積み上げた本とプリント。それは覚めない悪夢だ。


 洗面に向かい、歯を磨く。歯磨きはサンスターのガムと決めている。歯周病は許せないし、白い歯でい続けたい。父親の総入れ歯への嫌悪かも知れない。

 無地のシャツにジーンズ。いつも同じなのは、単にあれこれ悩むのが面倒くさかっただけだ。スカートなんて柄じゃない。お嬢様になんてなれやしない。そんな言い訳だけはいつも用意してる。

 この世界はすべて嘘だから。

 昔聞いた言葉が、今の自分を生かしてる気がする。


 一歩部屋を飛び出せば、私は私でなくなっていく。

 出逢った沢山の友だちや後輩は、私のすべてに知らない説明を加えて、いつの間にか見たことのない自分が造られていた。私自身が知っている自分とは一番遠い自分を、やがて演じなければならなくなった。

 それがなぜなのか、私にも判らない。

 ただ私はその知らない自分にあこがれていた。それが手に届かない虚像なら、なおさら魅力的だった。



 銀杏の木に囲まれた自転車を止める。キャンパスは四月初めの異様な空気。散りかけた桜の花より、これから伸びる緑の方が落ちつける。

 ………。

 急に詩人の真似をする自分がおかしくて、歪んだ顔を隠そうと見上げた先には体育会の横断幕。現実に引き戻すには十分な威力だ。歩幅を広げ、そして背筋を伸ばして、やや右手奥の建物を目指す。


「おはよう」

「宮サマ登場っ!」


 ぐ…。扉を開けたとたんにこれだ。


「やかましいっ! たまには爽やかに挨拶しろ!」

「ふっふっふ、それならしてやろう」

「するなっ!」

「どっちなんだ」


 疲労感とともにカバンを置く。

 レミタンに部室なんて立派なものはないから、学生の共同研究室が集合場所。そこには二年の子が二人と浜中こと浜バカ、またはバカ中がいる。

 まったく、バカのくせに朝は早いからよけい腹が立つ。単に自宅生だから、親に叩き起こされてるだけだと知っていても、キャラに合わないから腹が立つ。


「部長は?」

「いるわけねーだろ」

「あっそ」


 そりゃあ、確認するまでもないことは判っているけど、一応副部長の責任だからね。

 部長はたぶん、あと十分ぐらいで来るだろう。たまに寝過ごすから油断ならないけど、そうでなければ集合時刻ギリギリから五分遅れと決まっている。

 とにかく、待っててもしょうがないので、いるだけのメンバーで打ち合わせ。今日も出店で客寄せするだけだから、あとは各自抜けなきゃいけない時間を確認する。二年のオリエンテーションと、あとは講読の予備登録に健康診断。二年は二人そろって他のサークルと掛け持ちだから、その辺の調整も。

 ま、あっと言う間だ。私に出来ることなんだし、部長の手を煩わすことはない、と言い訳。


「遅れたっ!」

「知ってる!」

「それは良かった」


 用件が済んだ頃に主役登場。寝癖だらけの頭で、よれよれのカバンを肩から下ろす我らが部長だ。


「で、部長」

「部長って呼ぶな」


 ………。


「痛ぇ」

「気のせいでしょ」

「宮サマを怒らせるとは、さすが部長だぜ」

「うるさい!」


 部長は部長。いい加減認めようとしないコイツには時々本気で腹が立つ。時々というか、毎日かも知れない。

 このわずかな遅刻だって、たぶんわざとやっている。そんなことに気づかないほど鈍くもないし、気づいてもらえないなら明日から時間通りに来るだろう。


「で、今日の目標は何ですか?、部長」

「ナオナオに負けないスマイル」

「そりゃ無理だ」

「アンタは黙ってろ!」


 まだつかまえた新入生はたった一人。そりゃまぁ、楽しく遊びましょうサークルじゃないから、十人や二十人は期待出来ない。でも一人じゃ存亡の危機だ。だいいち、その一人はすごーく頼りなさそうで……。


「ひとまず一人一殺を方針とする」

「不穏な表現使わないで」

「何言ってんだ、悩殺とか言うだろ」

「言うけど言うな」


 ここで下手に同意すると、新入生にウインク攻撃しかねない。この部長様はやる気がないようで、何の躊躇もなくバカなことを始めるのだ。行動力がないようであるから、程々にセーブさせなきゃいけないのだ。

 でも、そんなヤツだから部長になった。そして自分は抑え役の副部長。悪くない組み合わせだと思うのだ。



「おはよ」

「うん、おはよう博美」


 昨日より少しだけ静かな5号館前。いつもの位置に長机をセットしたら、とりあえずご近所まわりに出掛けておく。

 ………。

 私を名前で呼ぶ人間は、学内に一人しかいない。去年秋のミスキャンパスだ。


「部長さんは?」

「四回生は忙しいから」

「そっか…」


 二人でぼんやりと校舎を見つめる。単にヒラブン部長がいそうな方向というだけで、深い意味はないけれど、そういうくだらない瞬間に同じ行動をしてしまう。あっち向いてホイで負けた気分だ。負けたのは直美かもしれないけど。


「庭っちは遅刻しなかった?」

「した」


 まぁいいや。浜バカとハモるよりはマシだ。

 直美の周囲には二回生が二人。どちらも文庫本を読んでいて、勧誘に精を出してる感じではない。

 ヒラブンの部員はだいたい大人しい。部長さんも大人しい――というか多少不気味な人だから、バカ中みたいな騒がしいヤツは入らないだろう。ウチの部長が言うにはお通夜みたいな会。あまり内容がかぶらないにも関わらず、互いにライバル視するのが伝統らしい。

 そういえば、おとといヒラブン部長に会った時は、「直美にさっさと譲りたい」と言っていた。実際、三回生で頼りになりそうなのは直美ぐらいだし、さっさと引き受ければいいのにと思う時はある。

 けど、それを私が言うのはどうなんだろう。部長はやはりそれなりに忙しい。体よく逃れた自分に、直美のことをとやかく言う資格はなさそうだ。


「今日はなぁ、二人ぐらいつかまえろぉ、って感じ?」

「違う違う、一人一殺を方針とする」

「残念」


 二人で男の声を真似る姿は、とても他には見せられない。だいたい、ちっとも似てない。直美は意外に声が低いから、まだマシかなぁ。


「ヒラブンは目標何人だっけ?」

「一応…、四人ぐらい」

「もう達成したわけねー」

「…すぐにやめなきゃね」


 くすっとほほえむその笑顔で、直美は男女を問わず悩殺……じゃない、惹きつける。人種が違うんじゃないかってぐらいの美人に声を掛けられたら、たいがいの新入生は立ち止まる。それで四人しかつかまってないんだから、いかに不人気なクラブか分かろうというものだ。


「そっちは一人入ったんでしょ?」

「部長が無理矢理捕獲したんだけど」

「けっこう可愛い子だって聞いた…」

「可愛い?」


 自分の声が裏返ったことに気づく瞬間、騒がしい図書館裏の木陰で、直美は遠い目をしている。やれやれと一度ため息をついて、それから頬をつねってみるのだ。


「痛い…」

「あんたはすぐ勝手な物語に逃げるから」

「ん…」


 何もかも正反対という評価の直美と自分が、結構似た者同士だってこと。

 気づいてしまったのはいつだったろう。

 たぶん………。


「庭っちにはあと二人ぐらいつかまえるよう言っといて」

「言われなくとも部長は大活躍の予定だから」

「博美」

「え?」


 そろそろ出店に戻ろうとした瞬間、腕を捕まれる。

 公衆の面前でスキンシップをはかるのはやめてほしいと時々思う。


「庭っち解禁予定日は?」

「鮎の友釣りよりは遅いでしょ」


 予定調和の台詞を吐いて、戻ろうとする先では我らが部長と会計が踊っていた。今から怒鳴ってやめさせて、それからあの不気味なダンス――きっと名前はレミタン踊りだろう――について議論して、そんな不毛な未来の先に新入生の姿はあるのか。なんだか頭が痛くなってきた。

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