(七) 村上直美
「あっ!」
「なになに!?」
「…猫です」
連休初日の午前十一時ごろ、狭い路地を二人ずつ並んで歩く。
カメラを手にしたまま立ちすくむ博美は、案内者の後ろが本来の位置。そして、呼び止められてはキラキラした瞳で被写体を確認するのが今日の仕事。最後列の私は、いつものようにそんな姿を目で追い、見とれている。
「相馬さん、あのねー」
「ほら見ろ、俺が言った通りだろう!?」
「なんか言ったか?」
相馬さんはたぶん猫が好きなだけ。
でも、呆れ声の博美も、一緒に探す自分も、同じく猫が好きだ。誰も理解できない自慢話を始める準ちゃんも。
「忘れたのか庭っち!」
「忘れたなぁ」
マンションの階段の向こうに猫が走り去り、目標を見失った博美と目が合って笑う。緊張感のない会話とともに歩く町並みにはとりたてて特徴もなく、大学近くの新興住宅地と変わりがない。まぁ時々はお寺があったり、マネキンが立っていたり、かつてはアパートの二階が占いで埋め尽くされてたり………。
やっぱりどこか変わっているかも知れない。
「相馬さんはミエール…」
「それ言ったの宮サマじゃなかったか?」
「どっちでもいいからどきなさいバカ」
変わってはいるけれど、それはもう私を攻撃するような対象じゃない。再び姿を見せた猫を追い回す博美の後を追いながら、ついさっきの自分を思い出して、すぐに忘れようとする。とりあえず、相馬さんの呼び方は早急に考えた方がいい。準ちゃんはどうにかして定着させるつもりだし。
やがて猫を完全に見失ったころ、準ちゃんと庭っちは小さな看板の立つ角を折れた。
黙って後に従った先にはお寺がある。参詣者は他にいない。たぶん観光名所ではない。
「おお、役行者がおるぞ」
「宮サマ、カメラカメラ!」
「急かさないでよ」
草ぼうぼうの境内の隅で何かを見つけては、記録担当の博美を急かす二人。傍目にはかわいそうな姿だけど、博美も好きでやっているから問題ない。現に今の彼女はものすごくはしゃいでいる。
ヒラブンは揺るぎない価値を極め、レミタンは石ころを金に変える。確か古湊先生の言葉。先生はもちろん、どちらが上というつもりはなかったはずだけど、実際にはレミタンの理論的支柱らしい。まぁヒラブンにとって意味のある内容じゃないことだけは確かだ。
「記念写真撮るか?」
「ここで撮らなくてもいいよねぇ、直美」
「え、…うん」
そこは境内の一角に立つ、たぶん本堂とは違う小さなお堂の前。庭っちの提案はいつも行き当たりばったりで、さすがの博美も同意できない様子だった。
だからといって私に同意を求められても困る。せめてお堂がいつの建築で、中に何が祀られているかぐらいは…。
「いや、思い立ったが吉日だ!」
「本気で言ってんの?」
「このまま忘れたらどうすんだ、なぁナオナオ」
「え、……ま、まぁ」
しかし庭っちの意志は固く、結局そこで全員ポーズをとることになった。もちろんカメラはセルフタイマー。博美のカメラを取り上げて、てきぱきと灯籠上にセットする庭っちは、不思議なほどに頼もしく見える。そばでじっと見つめる博美は複雑な表情のままだけど。
立ち位置も細かく指示される。中心は相馬さんで、女性三名の両端に男性がそれぞれ配置された。
私の隣にはいつも庭っちがいる。なるべく左右平均になるよう考えられた結果らしい。博美に最初聞かされた時はただの冗談かと思ったけど、いつも同じ配置だから本当なのだろう。
「いちたすにーは」
「さ、さ…」
「ほらぁ、撮り直しじゃない!」
でも……。
準ちゃんは庭っちより五センチぐらい高いから、その辺の配慮もあり得なくはないけれど、せいぜい二センチ差の私と博美なんて、入れ替わっても大差ないと思う。そうそう、四月の測定で一センチ差に縮まった。まぁあれはどう考えても測定上の誤差だ。博美は去年縮んで、元に戻ったのだから。
「まるで捕らえられた宇宙人って感じだな」
「はぁ?」
「両脇をガッチリつかまれて」
「つかんでないじゃん」
一度目の撮影を自ら妨害しておきながら、庭っちの暴言はとどまる気配がない。
要するに彼は今、機嫌がいい。良すぎると時々ダメっちになって、お目付役の博美に怒られる。レミタンの名コンビ……だったけれど、ダメっちって呼び名はもう長らく聞いていない。
名コンビなら今も続いている。部長と副部長。博美は彼を部長としか呼ばなくなった。あ、バカもあった。
「あの…、宇宙人は私でしょうか?」
「新人類って言うだろ」
「アンタいつの人間よ」
封印の理由は、何となくは分かる。たぶんそれが理由なら、私も呼ぶべきではない。勿体ぶるほどの価値もない、ありがちな話。
「ナオナオもそう思うだろ、タカって感じで…」
「タカ…?」
急に(会話のキャッチ)ボールが来たので、思わず復唱しながら途中で気づく。新人類は恐らくは地球人だ。どうでもいいけどね。
昔、宇宙人みたいだと革命戦士は言った。それこそいつの話だ。こういう話題は隠していたいのでやめてほしいから、抗議の意味を込めて庭っちをちょっとだけ睨む。すると庭っちは満足げに口元をゆるめた。ああまた負けてしまった……。
「ふぅむ、だからミエールだったんだな。考えたな浜中準」
「今頃気づいたか庭っち。俺の深謀遠慮に恐れおののけ!」
「それは嫌だ」
結局、三枚も撮った。そのたびにポーズを取らされるから、たっぷりと時間をかけて。だんだん旅の目的が分からなくなる……と、同意を求めようとした時には、小走りに去って行く博美が見える。
さすがは副部長。
当たり前のように任務に戻るレミタン三人組に感心しながら後を追う。最後に相馬さんが一人、取り残されたようにぼんやり立っていたが、やがて少し顔を赤らめながら追いついた。こういう時のレミタンは、妙にドライだ。気遣いがないと言ってもいい。
十数分ぶりの街道は、心なしか人が増えた気がする。坂道を下る左右には薬屋があったり、カラオケハウスがあったり。
あ。
カラオケハウスのあちこちから視線を感じた。絶対あれは歌う場所じゃなさそうだ。
「食べる?」
「えっ?」
突然博美に背中をたたかれた。
一瞬、私はその言葉の意味が分からず、身体をほぼ一回転させて向き直る。偽装カラオケハウスから路地を経て、景色の先には茶店が出現した。
「だんご三兄弟だぞ、ナオナオ」
「古っ」
「四兄弟ですけど…」
「ぬ、やるなミエミエ」
人生相談の文字がはためくそばで、老人の団体が五平餅を食べている。
それは不思議?
ありきたりの結論に至る前に、一度は立ち止まれ。気難しそうで大人しい同級生は、五月の講義室で居眠りから目覚めて、そんな格好いいセリフをつぶやいた。二年前にそれを聞かなかったら、今の私はいなかった。
合ってるよね?
「コーラもあるぞ」
「あれはラムネって言うの」
他人をからかうのが趣味の彼は、入学時には無口な田舎者を標榜していた。庭っちのそんな過去を、相馬さんはまだ知らないだろう。おかしな呼び名を叱らなきゃならないお姉さんなのに、私はラムネとだんごを買っていた。
ただし、だんごはちゃんと人数分だから、少しだけお姉さんになったつもりで、もう一度振り返って、博美と顔を見合わせて笑う。その笑顔の背景にも、占星術の看板がきらめいている。
「五平餅は要らないのか!?」
「自分で買えバカ中!」
罵倒された準ちゃんは、素直に自分で買っている。そんなに五平餅が好きなんだろうか。あの大きさは女性陣には厳しい。この後に昼食の予定もあるらしいし。
サービスのお茶を手にして、休憩所の一角に腰をおろす。
目の前は相変わらずひっきりなしに人々が行き交うけれど、座った途端に時の流れが変わるのが不思議だ。バタバタ音を立てる団体も、スローモーションの映画のよう。
「あの…、このお茶って」
「こぶ茶よー。美恵ちゃんは飲んだことなかった?」
「は、はい」
相馬さん――やっぱり美恵ちゃんかな?――は本当に珍しそうな表情でこぶ茶を飲む。まぁ自分だって数えるほどしか飲んだ記憶がないし、そんなものなのかなぁ…と他を確認しようと思ったら、庭っちがニヤニヤしながらこっちを見ていることに気づいた。
微妙に視線が合ってない。
良くないことを考えている、そんな自覚はあるらしい。
「どうだ、違和感ない景色だろ」
「どういう意味?」
「……ミ、宮サマに聞いてくれ」
「自分で言いなさいよ。その後殴ってあげるから」
そばではお年寄りが大声で、知らない人の悪口を言いながらだんごを食べている。そんな団体と隣り合っている二十歳前後の私たち。そこに違和感はあってほしい気もする。
けれど、お菓子を食べながら誰かの悪口を言うだけなら、たぶん年齢なんて関係がない。違和感はどこで生まれてくるのだろう。強いていえば、目の前でこぶ茶をすする博美のなまめかしい口元? それとも、一目で若いと分かる相馬さんの肌のはり? 少なくとも、嫌らしい目で観察する自分なら、何の違和感もないはずだ。反省しなきゃ。
「開けてやろうか?、ナオナオ」
「それぐらい自分で出来るでしょ」
「え、まぁ」
考え事をしていたら、準ちゃんに親切な言葉をかけられた。一瞬、ナンパされた気分になったのは内緒。でも、準ちゃんは普通にさわやか好青年だと思う。うーん、年寄りくさいか。
ともかく、ラムネの開け方は難しいことになっているらしい。
だけど私は炭酸飲料大好き女。どんな堅い瓶でも開けてみせるぜ。でもシャンパンだけは勘弁な。
「くぃーやーまーぶしぃ」
「何そのやる気のない歌」
「なんだ宮サマ、これはオヤジの歌だぞ」
立ったまま五平餅を食べ、準ちゃんは奇声をあげる。隣では妙にしんどそうな顔で座り込んだ庭っちが、音を立ててお茶をすする。ますます場になじんでいく一行。
ああでも…。
準ちゃんの今の歌声ですべて分かってしまった気がする。
お年寄りの脱構築。
我ながら何を言っているんだろう、私は。慌てて目の前の会話に潜り込もうとするけれど、それはそれで難しかった。
なぜなら準ちゃんの歌は、演歌なのかフォークなのかアイドルの歌なのかすら分からない。ついでに歌詞も意味不明。この状況で冷静にツッコめるからこそ、レミタン部員なのだろう。
「えーと浜中クン、…よく聞こえなかったんだけど?」
「む、せ、正確に言えばオヤジのよく歌う曲だ」
「へぇ」
こういう時でもあくまで冷静な博美。返答を続ける準ちゃんの顔は、気のせいか少し赤くなったように見える。
勢いはあるけれど案外打たれ弱い。庭っちとは正反対の性格なのは、今さら確認するまでもない。
「まぁ他に知ってる奴に会ったこたぁねぇってことよ」
「ポーズとるならあっち向いて」
「何言ってんだ宮サマ、これは歌舞伎だぞ。この場でもっともふさわしいパフォーマン……」
それでも勇気を振り絞ってもう一度攻勢に出た準ちゃんに、少し博美も後ずさりしかけて、だけどそんないつもの自慢話はいきなり中断した。
明らかに驚いた表情の視線の先にいたのは―――。
「相馬さん、その顔は何のアメリカンジョークだね」
「え、いえ、その…」
「まさかサダジュンの手下だったのか!?」
「勝手に略すな庭っち!」
相馬さんはだんごをかじりかけたままのポーズで、真っ赤な顔で立ち尽くしていた。
だんごさえなければ、まるでどこかの青春ドラマのクライマックスの一シーンのように準ちゃんと向き合って、だけど庭っちと博美はぽかんとしている。あ、私もそうだ。突然の展開に身体がついていかない。まさか愛の告白はない…よね。
「ち、父が昔歌ってました」
「質問」
「…なんでしょうか」
でも博美はさっさと正気に戻って、状況の整理にとりかかる。私もはっとするけれど、相変わらず間に合わない。
「父親は歌手だった?」
「そんな事実は……、ないと思います」
「はぁ」
そして準ちゃんや庭っちも、次第に事態を冷静に受け止め始めて、相馬さんの顔の火照りもやがてさめていく。私たちがたまたま知らないだけの昔の曲。別に驚くほどの話でもなかった。
「要するに、その歌は全国的に有名ってこと?」
「直美の要するには人をむかつかせるわ」
「有名じゃ何か悪いのか!」
「美恵ちゃんがアンタの同類になっちゃ困るじゃない」
だけど…。
話が進むにつれて相馬さんの表情が曇っていく。たぶんそれは私だけじゃなくて、みんな気づいてしまったこと。決して父親の職業を隠したわけではないことも、何となく察しはつくけれど、それ以上の事情は分かるはずもない。
やがてラムネが底をつき、べたついただんごの餡を庭っちがなめようとして、博美に皿ごと奪われて、最初の休憩が終わった。
「よし、じゃあ昼飯前の運動だ」
「念のために聞くけど、何時に食べる予定?」
とりあえず、相馬さんは意外によく食べる。集めた皿に、五平餅の串が混じっているのを見て、私は確信した。これだけは間違いのない事実だった。
「遅くとも一時間以内だ。店には頑張れば十分で着く!」
「…頑張らないでね、庭っち」




