(五) 浜中準
「降りなくていいのか!?」
「またの機会でいいだろ」
目の前を過ぎていく緑を無為にやり過ごしながら、俺は県民としての責務を果たそうと叫ぶ。しかし緑は目の前を無為に過ぎていく。無為に、まさに無為に!
「今が絶好の機会じゃねぇか!」
「相馬さんなんて県民になって一ヶ月だぞ」
「だからこそ挨拶するもんだろう!」
とりあえず大声で叫べば騙されるものだ。知らない方がいいナイスな豆知識を、たまには声に出さずに実行するほどに俺は上級者だが、あえて自慢はしない。大人げないからな。
だいたい、庭っちは電車の乗り心地ぐらいしかネタがない。そんな男をオモチャのように扱い続ける俺は、何とか博士の称号がふさわしいほどだ。あわれな子羊を突き放してリードを広げた俺は、まさしく勝利目前という表情で、目的地間近の景色を見つめていた。
しかし、吊り革を掴んだまま眺める下界は、その名のように下向きに広がっている。この景色は俺が求めたものじゃない。人知れずため息をつく。俺自身、なぜこのタイミングでため息なのか分からないまま、時々流されそうになる視線を押し戻している。
……そもそも、俺は特急に乗るつもりだった。
もう十年も昔、両親に連れられて出掛ける時に乗ったのは、独特な臭いに包まれた特急電車。親戚の家へ向かう電車とも違うその特急は、素直で心豊かな少年だった俺にとって、まさしく特別だった。
「準ちゃん」
「あ?」
「乗り換え?」
「……あ、ああ」
ナオナオの呼びかけに引き戻されて、俺はもう一度嘆く。
そうだった。庶民の乗り物では乗り換えが必要だったのだ。それも一般人には危険な、複雑怪奇な乗り換え駅に降りなければならなかった。オーナオナオ、お前という奴はー……と、ナオナオに罪はなかった。罪はそうだな……、やはり結託して俺の野望に立ちはだかる、部長と副部長にある。うむ、そうだっ!
「ミ、宮サマッ!」
「何ようるさいわねー」
「む、の、乗り換えだぞ」
「知ってるわよ」
しかし、これはまだ誰にも話していない秘密だが、俺は副部長に勝てない。
部長一人なら負けない自信があるのに、二人揃えば何も返せない。まな板の上の鯉。少し違う気もするが、俺はもしかしたら副部長みたいなタイプが苦手なのかも知れない。いや、苦手なのだ。ずっと昔から。
いびつな揺れの果てに停止した電車を降り、俺はそれでも先頭を走る。隣では庭っちが、汚れたホームは滑りやすいと、くだらない豆知識を披露する。階段の石がてかりだすまでにどれだけの人間が通り過ぎたのか、そんな哲学的な妄想にふける者などここにはいない。だから俺も、舞い上がる綿ぼこりに顔をしかめながら、それ以上機嫌を損ねることはない。
何もかも、昔とは違う。
隣のホームに降り立つ瞬間、目の前を通り過ぎていったのは、特急電車の昔。そんな昔を俺は、この四人に求めたわけがあるだろうか、いやない。反語が得意な俺はいつの俺だったのか、そんな分かり切ったことを現在の俺は間違えない。
「これでいいのか?」
「問題ない…ぜ」
見知らぬ人ばかりのホームに、強い陽射し。
ああそれは記憶にある。どんな記憶なのか思い出せないが。
「何カッコつけてんだ?」
「どうせ浜バカの妄想でしょ」
「うるせぇ!」
今の俺は、このバカどもを聖地に導く使命を帯びている。
その崇高さにくらくらする頭を押し込んで、残りは駅三つの旅の続きだ。行く先に過去なんてあってたまるか。




