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河図石語  作者: nats_show
四月編
11/35

(十一) 村上直美

 宴はいつも淋しい。

 楽しい時間がそのうち終わってしまうから。すぐに一人きりの時間が巡ってくるから。


「えーっと、三回生の宮海です」

「宮サマと呼んでね」

「浜バカ!」


 今日も絶好調の準ちゃんは、お約束のやりとりで場を盛り上げていく。

 苦笑いの博美。

 ツッコミのタイミングを測りながらジョッキを傾ける庭っち。

 薄暗い居酒屋のありきたりの景色が、私は好きだ。


「改めて、三回生の宮海です。レミタンの副部長やってますのでよろしく!」

「得意技はエルボースマッシュ」

「ランカシャースタイルだよな」

「そういう内輪なやりとりはやめなさい!」


 だけど博美が「内輪」と口にした瞬間、私の酔いは醒める。

 ………。

 無意識のうちに確認してしまうテーブルの隅。絶妙のタイミングで得意技を挟み込んだつもりの庭っち…はどうでもいい。むしろ腹立たしい。

 ………。

 桑川さんはただ黙って枝豆を食べていた。

 私はほっとして、それからビールを軽く口にする。慌てた自分に気づいてる人がいたらまずい。


「じゃあ次、どうぞ」

「は、はい」


 つつがなく進む準ちゃんの司会で、宴会場はほどほどに散漫な空気に包まれている。

 ありきたりな音楽――庭っちが言うところの「下手だから集団でごまかす歌」――がそれなりの音量で流れる店内に、心配するような状況は存在しない。やれやれ…と、持ち上げたついでにもう一口。

 レミタンのいつもの食事を宴会と呼ぶならば、ヒラブンはお通夜。お互いに気はつかう代わりに会話は弾まない。私が入った時にはすでにそうだった。

 もっとも、あの時上回生なんてほとんどいなかった。


「二回生の三面です。………」

「どっちの?」

「は、はい。平安文学研究会です」


 桑川さんは馴れ合いが嫌いな人だ。――というのも、かつてのヒラブンはみんな仲が良くて、だけど馴れ合ってばかりで批評出来なかったらしい。

 そこで桑川さんが中心になって……、実際はほぼ一人でだったと思うけれど、とにかく研究会は「改善」された。あくまで桑川さんの言い分。

 そして今、隣では三面さんが自分の名を名乗ったまま、あちこちきょろきょろしながら黙っている。どうやら恐れていた事態が起きてしまったらしい。

 馴れ合いとそうでない状態の境目が分からないまま、ただ怯えるだけの会員たちが残った。それを「社交性に欠ける」と言って済ませられるほど、私は第三者ではない。


「性別、産地、得意技は?」

「お、…女で佐多山の…」

「あれ、近所じゃん」

「去年もそれ言ったぞー」


 とりあえず眼前の危うい局面は、準ちゃんと庭っちのフォローでどうにか切り抜けた。三面さんの住所を準ちゃんが知らないはずはない。……高校の後輩なんだから。

 とにかく、これから先のヒラブンはもう一度コミュニケーションを再構築しなければならない。たぶんそれは私が中心になるしかない。

 なのに困ったことに、私自身が決して社交的な人間ではない。

 初対面の人が相手の時は、なるべく博美を先に立ててしまう。植物だって陽の当たる方向にしか成長しない…。


「ここで豆知識。去年のミスキャンパスはマイペースで有名だ」

「あ、ご、ごめん」


 ぼんやりしてたら、すっかり周囲の視線を集めていた。

 隣の三面さんが終われば私になるのは当たり前。だいたい今日の幹事役なのに…。


「三回生の村上です。今は下宿してます」

「昔は違うんですか?」

「えーと、実家はジュンちゃんの近所です」


 まぁ場の緊張がちょっとだけほぐれたからいい? 輪読発表の場はともかく、新歓コンパにギリギリの精神状態を求めたら、誰だって逃げるだろう。

 でも…。

 この際、去年のことには触れないでほしかった。

 あれはもう忘れたい過去。その時の推薦人が揃っているから避けられない? むしろその推薦人たちが一番戸惑っていたはず。戸惑った時期を過ぎて、もうどうでも良くなったのかも知れないけれど。


「得意技はなんですか?」

「え、えーと…」

「二十歳です」

「勝手に決めないでよぉ」


 天龍の半分の威力もなさそうな技名に拗ねて、何となくオチがついたのでそのまま終わった。

 そして一仕事終えた表情で一口ビールを飲んで、また反省。

 ミスタープロレスの技だからといって、この場の全員が知ってるわけではない。たぶん四人しか知らない。結局内輪で終わってしまった…。


「新入生の相馬です。出身は…」


 とりあえず反省は後でしよう。どうせ博美と朝まで生歌だろうし。

 次の自己紹介は相馬さん。庭っちが口説き落した大物新人。

 ………。

 ごめん。

 人として「特別」であることに去年あれだけ嫌気がさして、なのに今度は他人を祭りあげようとしている。


「よろしくお願いし…、します」

「得意技は?」

「え?」


 ………必要のない静寂。恐る恐る隣に視線を向けると、レミタン期待の新入生が固まっていた。視線が定まっていなかった。

 その異様な光景に、まず自分が特別扱いしようとしたことを思い出す。しかし彼女から見えない位置で、しかも口に出してもいないから、世の中に影響を与えるはずはない。

 準ちゃんの質問がまずかった?

 もちろん、それはあり得ない理由。得意技に深い意味があったら怖い。だったら?

 私はしばらく混乱していた。今日の幹事だから、だから…。


「当面は百万ドルの笑顔ぐらいでよろしく」

「ひゃ、百万ドル?」

「なんか古くさいなぁ」

「本日の終値で約一億二千万円よりカッコイイだろ」


 だから飛び出した準ちゃんのフォローに、思わずガッツポーズをしそうになった。

 確かにそれは博美の言うとおり古くさい。甲斐よしひろが歌い出しそうなぐらい古くさい…けれど、私のように他人任せで怯えるだけの人間には言えない言葉だった。


「まぁ…、ともかく笑顔でよろしくね、相馬さん」

「……は、はい」


 そして博美が優しいお姉さん役。相馬さんの表情がかすかに和らぐのが見える。博美がいればみんな安心出来るから、だから私は………。

 やめよう。

 嫌な思い出。鍋をつつく。白菜はしんなりした方がおいしい。

 それにしても相馬さんは不思議だ。とりあえず、何かと慌てる子のようだ。そういえば、庭っちに捕まった時もそうだったんだっけ。


「ほい」

「あ、うん」


 黙々と食べていたら、目の前にひょいっと中瓶が突き出される。

 結局、自己紹介は中盤が滞っただけで残りは何事もなく終わった。滞ったうちには自分も入っていると責任を感じて、すでにジョッキを空にしてしまった私は、博美に誘われるままにコップを差し出す。

 そろそろ煮詰まりそうな鍋の湯気を挟んで笑う博美は、たまらなく凛々しい。ときめいてしまったら、また叱られる。


「あんたは肩張りすぎ」

「ごめん」


 そして、意味もなく悶々としていた自分を一言で片づけられてしまう快感。

 ………。

 博美が男だったらどんなにもてたんだろう。女の今でも夢中なのに。


「反省会の行き先はもう決まったから」

「…じゃあ明日は博美の部屋の大掃除?」

「しなくていい!」


 ああいけない。イメージと違って散らかり放題の部屋を片づける自分は、まるで専業主婦。博美に憧れる後輩たちの代表。妄想が広がりすぎだ。

 そろそろバックに薔薇の花が現れそうなので、とりあえず話題を変えることにする。だいたい今は新歓なのだから、新入生が主役。今の自分はまるで憧れの先輩に声をかけられた新人だ。


「…皆さんがきれいで、気後れはしています」

「そうか、そうだろうな」

「浜バカは昔きれいだったらしいよ、自称」

「えーと…」


 …で、興味が向いた先は相馬さん。すでに準ちゃんが相手をしていて、博美もツッコミを入れているから、結局はほとんど逸れていない。

 それにしても、相馬さんは若い…気がする。

 二年しか違わないのに、別の人種かと思うほど張りのある肌。いやいや、博美も負けていないと思う…はもうやめる。ごめん。


「とにかく、何かあったら相談してね」

「は、はい」


 ついでに、準ちゃんは冗談抜きにきれい…というか男前だと思う。なぜかレミタンでは扱い悪いけれど、去年のミスタコに応募させる話があったぐらい。

 ………。

 ミスタコ――何の略かは言うまでもない――とは男女平等の精神から無理矢理作られたイベントで、その実体は分かりやすく言うなら面白人間コンテスト。庭っちが推薦をやめた理由は「グランプリをとるほど面白くないから」だった。

 まぁ当人にそう言ったのだから隠さなくてもいいよね?


「庭っちに「責任とってください!」って叫ぶのはどうだ?」

「それ、絶対意味が違うと思う」


 そんな佐多山の準ちゃん――彼はガッチャマンをこよなく愛している――の戯れ言に、とりあえず冷静につっこんでみた。けれど、そういう台詞を口にする準ちゃんに違和感を覚えるのも事実。

 例の衝撃的な入部以来、みんなにおかしな意識が芽生えている。

 庭っちが選んだ新入生。

 選んだ?

 そこは首をかしげても何も分からないこと。少なくとも、この「特別さ」にきちんとした説明は出来ない。

 普通に考えればこじつけ。

 謂われなき妄想。

 だけど同じことをたぶん博美もそう思ってて、準ちゃんまでもどこかで意識している。

 …準ちゃんの場合はよく分からない。庭っちが他の人間を選んだと嫉妬してる? 巷で噂のホモ疑惑? 準ちゃんにそれはないと思う…って、何を言っているんだろう。


「ふっふっふ、俺を本気にさせたようだなサダジュン!」

「あー始まった」


 気がつけば、すっかり出来上がった庭っちが暴れていた。

 自称「酔ってからが強い男」。酔ってしまった時点で弱いはずだというツッコミは博美の仕事。


「朗報ですっ!! 我らが不肖浜中準、カッコ通称バカ閉じカッコのストーカー被害にお悩みの皆さーん!」

「こらやめろ庭っち!」

「みんなで叫ぼう魔法の合い言葉!!」

「叫ぶなバカッ!」

「あ?、よ、よ、…曜子に言いつけるぞっ!」


 この魔法の合い言葉をいったい何度聞いただろう。

 謎の女性曜子さん。準ちゃんホモ疑惑を払拭する曜子さん。

 実は顔写真を見たことがあるし、どんな人なのかもある程度知っているけれど、あくまで正体不明の曜子さん。


「曜子さんをバカにしちゃいけないよね」

「うるせぇナオナオ、曜子はなぁ、もう終わった相手なんだよ」

「ふーん」


 準ちゃんが自分で語った内容をまとめると、曜子ちゃんは高校生の時の彼女だった人。だけど卒業前に突然ふられてしまったらしくて、以来準ちゃんは曜子ちゃんが大嫌いで、名前を聞くだけで腹を立てる…らしい。あくまで当人談。でも、どうも怪しい。怪しいどころか、誰も信じていない。

 だいたい、別れた前後のエピソードが話すたびに違う。連絡をとっていないのは間違いないけれど、たぶんはっきりと別れてはいない。

 もちろん準ちゃんは曜子ちゃんに未練があって、去年の博美情報によれば、とある女の子に告白されたのに断ったらしい。

 びっくりして、思わず当人に聞いたら本当だった。ちなみに当人は、私が知っていることにびっくりしていた。


「よし、じゃあ調査に行くぞ」

「なになに、デートに誘ってんの?」

「え?」


 そして目の前で庭っちが相馬さんをくどき始める。

 連休の調査――という名の小旅行――は別に二人きりでもないし、彼女を誘うこともついさっき準ちゃんから聞かされて同意の上。だから予定されている行動でしかないはずだった。


「英才教育ってやつだな」

「は、はぁ」

「選ばれし者ミエーソだ」

「何そのセンスのかけらもない名前」


 でも何だろう。どこか引っかかる感覚。

 ……分からないはずはない。大丈夫。ちゃんと自覚している。ただ、気づかないふりをしていたいだけ。

 なぜなら私は…。


「私たちも一緒だから心配はいらないと思う」

「あ、…はい」


 博美の真似のお姉さんごっこに興じながら、自分の気持ちを落ち着けていく。

 そして、落ちつこうとする自分に動揺する。


「庭っちと準ちゃんは酔ってなければ安全無害」

「本当かなぁ」


 私は博美が大好きだから。

 世界で一、二を争うぐらい大好き…だから、そんなことを自分が考えるはずはなかった。


「片方はいつか豹変するんじゃない?」

「博美の願望?」

「アンタの、でしょ」


 でも去年の夏、確かに私は思っていた。博美に勝ちたい、博美より上に立ちたい。

 その理由はまだ言えない。もしかしたら、墓場まで持っていかなくてはならないのかもしれない。出来れば……、持っていきたくないけれど。

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