(十一) 村上直美
宴はいつも淋しい。
楽しい時間がそのうち終わってしまうから。すぐに一人きりの時間が巡ってくるから。
「えーっと、三回生の宮海です」
「宮サマと呼んでね」
「浜バカ!」
今日も絶好調の準ちゃんは、お約束のやりとりで場を盛り上げていく。
苦笑いの博美。
ツッコミのタイミングを測りながらジョッキを傾ける庭っち。
薄暗い居酒屋のありきたりの景色が、私は好きだ。
「改めて、三回生の宮海です。レミタンの副部長やってますのでよろしく!」
「得意技はエルボースマッシュ」
「ランカシャースタイルだよな」
「そういう内輪なやりとりはやめなさい!」
だけど博美が「内輪」と口にした瞬間、私の酔いは醒める。
………。
無意識のうちに確認してしまうテーブルの隅。絶妙のタイミングで得意技を挟み込んだつもりの庭っち…はどうでもいい。むしろ腹立たしい。
………。
桑川さんはただ黙って枝豆を食べていた。
私はほっとして、それからビールを軽く口にする。慌てた自分に気づいてる人がいたらまずい。
「じゃあ次、どうぞ」
「は、はい」
つつがなく進む準ちゃんの司会で、宴会場はほどほどに散漫な空気に包まれている。
ありきたりな音楽――庭っちが言うところの「下手だから集団でごまかす歌」――がそれなりの音量で流れる店内に、心配するような状況は存在しない。やれやれ…と、持ち上げたついでにもう一口。
レミタンのいつもの食事を宴会と呼ぶならば、ヒラブンはお通夜。お互いに気はつかう代わりに会話は弾まない。私が入った時にはすでにそうだった。
もっとも、あの時上回生なんてほとんどいなかった。
「二回生の三面です。………」
「どっちの?」
「は、はい。平安文学研究会です」
桑川さんは馴れ合いが嫌いな人だ。――というのも、かつてのヒラブンはみんな仲が良くて、だけど馴れ合ってばかりで批評出来なかったらしい。
そこで桑川さんが中心になって……、実際はほぼ一人でだったと思うけれど、とにかく研究会は「改善」された。あくまで桑川さんの言い分。
そして今、隣では三面さんが自分の名を名乗ったまま、あちこちきょろきょろしながら黙っている。どうやら恐れていた事態が起きてしまったらしい。
馴れ合いとそうでない状態の境目が分からないまま、ただ怯えるだけの会員たちが残った。それを「社交性に欠ける」と言って済ませられるほど、私は第三者ではない。
「性別、産地、得意技は?」
「お、…女で佐多山の…」
「あれ、近所じゃん」
「去年もそれ言ったぞー」
とりあえず眼前の危うい局面は、準ちゃんと庭っちのフォローでどうにか切り抜けた。三面さんの住所を準ちゃんが知らないはずはない。……高校の後輩なんだから。
とにかく、これから先のヒラブンはもう一度コミュニケーションを再構築しなければならない。たぶんそれは私が中心になるしかない。
なのに困ったことに、私自身が決して社交的な人間ではない。
初対面の人が相手の時は、なるべく博美を先に立ててしまう。植物だって陽の当たる方向にしか成長しない…。
「ここで豆知識。去年のミスキャンパスはマイペースで有名だ」
「あ、ご、ごめん」
ぼんやりしてたら、すっかり周囲の視線を集めていた。
隣の三面さんが終われば私になるのは当たり前。だいたい今日の幹事役なのに…。
「三回生の村上です。今は下宿してます」
「昔は違うんですか?」
「えーと、実家はジュンちゃんの近所です」
まぁ場の緊張がちょっとだけほぐれたからいい? 輪読発表の場はともかく、新歓コンパにギリギリの精神状態を求めたら、誰だって逃げるだろう。
でも…。
この際、去年のことには触れないでほしかった。
あれはもう忘れたい過去。その時の推薦人が揃っているから避けられない? むしろその推薦人たちが一番戸惑っていたはず。戸惑った時期を過ぎて、もうどうでも良くなったのかも知れないけれど。
「得意技はなんですか?」
「え、えーと…」
「二十歳です」
「勝手に決めないでよぉ」
天龍の半分の威力もなさそうな技名に拗ねて、何となくオチがついたのでそのまま終わった。
そして一仕事終えた表情で一口ビールを飲んで、また反省。
ミスタープロレスの技だからといって、この場の全員が知ってるわけではない。たぶん四人しか知らない。結局内輪で終わってしまった…。
「新入生の相馬です。出身は…」
とりあえず反省は後でしよう。どうせ博美と朝まで生歌だろうし。
次の自己紹介は相馬さん。庭っちが口説き落した大物新人。
………。
ごめん。
人として「特別」であることに去年あれだけ嫌気がさして、なのに今度は他人を祭りあげようとしている。
「よろしくお願いし…、します」
「得意技は?」
「え?」
………必要のない静寂。恐る恐る隣に視線を向けると、レミタン期待の新入生が固まっていた。視線が定まっていなかった。
その異様な光景に、まず自分が特別扱いしようとしたことを思い出す。しかし彼女から見えない位置で、しかも口に出してもいないから、世の中に影響を与えるはずはない。
準ちゃんの質問がまずかった?
もちろん、それはあり得ない理由。得意技に深い意味があったら怖い。だったら?
私はしばらく混乱していた。今日の幹事だから、だから…。
「当面は百万ドルの笑顔ぐらいでよろしく」
「ひゃ、百万ドル?」
「なんか古くさいなぁ」
「本日の終値で約一億二千万円よりカッコイイだろ」
だから飛び出した準ちゃんのフォローに、思わずガッツポーズをしそうになった。
確かにそれは博美の言うとおり古くさい。甲斐よしひろが歌い出しそうなぐらい古くさい…けれど、私のように他人任せで怯えるだけの人間には言えない言葉だった。
「まぁ…、ともかく笑顔でよろしくね、相馬さん」
「……は、はい」
そして博美が優しいお姉さん役。相馬さんの表情がかすかに和らぐのが見える。博美がいればみんな安心出来るから、だから私は………。
やめよう。
嫌な思い出。鍋をつつく。白菜はしんなりした方がおいしい。
それにしても相馬さんは不思議だ。とりあえず、何かと慌てる子のようだ。そういえば、庭っちに捕まった時もそうだったんだっけ。
「ほい」
「あ、うん」
黙々と食べていたら、目の前にひょいっと中瓶が突き出される。
結局、自己紹介は中盤が滞っただけで残りは何事もなく終わった。滞ったうちには自分も入っていると責任を感じて、すでにジョッキを空にしてしまった私は、博美に誘われるままにコップを差し出す。
そろそろ煮詰まりそうな鍋の湯気を挟んで笑う博美は、たまらなく凛々しい。ときめいてしまったら、また叱られる。
「あんたは肩張りすぎ」
「ごめん」
そして、意味もなく悶々としていた自分を一言で片づけられてしまう快感。
………。
博美が男だったらどんなにもてたんだろう。女の今でも夢中なのに。
「反省会の行き先はもう決まったから」
「…じゃあ明日は博美の部屋の大掃除?」
「しなくていい!」
ああいけない。イメージと違って散らかり放題の部屋を片づける自分は、まるで専業主婦。博美に憧れる後輩たちの代表。妄想が広がりすぎだ。
そろそろバックに薔薇の花が現れそうなので、とりあえず話題を変えることにする。だいたい今は新歓なのだから、新入生が主役。今の自分はまるで憧れの先輩に声をかけられた新人だ。
「…皆さんがきれいで、気後れはしています」
「そうか、そうだろうな」
「浜バカは昔きれいだったらしいよ、自称」
「えーと…」
…で、興味が向いた先は相馬さん。すでに準ちゃんが相手をしていて、博美もツッコミを入れているから、結局はほとんど逸れていない。
それにしても、相馬さんは若い…気がする。
二年しか違わないのに、別の人種かと思うほど張りのある肌。いやいや、博美も負けていないと思う…はもうやめる。ごめん。
「とにかく、何かあったら相談してね」
「は、はい」
ついでに、準ちゃんは冗談抜きにきれい…というか男前だと思う。なぜかレミタンでは扱い悪いけれど、去年のミスタコに応募させる話があったぐらい。
………。
ミスタコ――何の略かは言うまでもない――とは男女平等の精神から無理矢理作られたイベントで、その実体は分かりやすく言うなら面白人間コンテスト。庭っちが推薦をやめた理由は「グランプリをとるほど面白くないから」だった。
まぁ当人にそう言ったのだから隠さなくてもいいよね?
「庭っちに「責任とってください!」って叫ぶのはどうだ?」
「それ、絶対意味が違うと思う」
そんな佐多山の準ちゃん――彼はガッチャマンをこよなく愛している――の戯れ言に、とりあえず冷静につっこんでみた。けれど、そういう台詞を口にする準ちゃんに違和感を覚えるのも事実。
例の衝撃的な入部以来、みんなにおかしな意識が芽生えている。
庭っちが選んだ新入生。
選んだ?
そこは首をかしげても何も分からないこと。少なくとも、この「特別さ」にきちんとした説明は出来ない。
普通に考えればこじつけ。
謂われなき妄想。
だけど同じことをたぶん博美もそう思ってて、準ちゃんまでもどこかで意識している。
…準ちゃんの場合はよく分からない。庭っちが他の人間を選んだと嫉妬してる? 巷で噂のホモ疑惑? 準ちゃんにそれはないと思う…って、何を言っているんだろう。
「ふっふっふ、俺を本気にさせたようだなサダジュン!」
「あー始まった」
気がつけば、すっかり出来上がった庭っちが暴れていた。
自称「酔ってからが強い男」。酔ってしまった時点で弱いはずだというツッコミは博美の仕事。
「朗報ですっ!! 我らが不肖浜中準、カッコ通称バカ閉じカッコのストーカー被害にお悩みの皆さーん!」
「こらやめろ庭っち!」
「みんなで叫ぼう魔法の合い言葉!!」
「叫ぶなバカッ!」
「あ?、よ、よ、…曜子に言いつけるぞっ!」
この魔法の合い言葉をいったい何度聞いただろう。
謎の女性曜子さん。準ちゃんホモ疑惑を払拭する曜子さん。
実は顔写真を見たことがあるし、どんな人なのかもある程度知っているけれど、あくまで正体不明の曜子さん。
「曜子さんをバカにしちゃいけないよね」
「うるせぇナオナオ、曜子はなぁ、もう終わった相手なんだよ」
「ふーん」
準ちゃんが自分で語った内容をまとめると、曜子ちゃんは高校生の時の彼女だった人。だけど卒業前に突然ふられてしまったらしくて、以来準ちゃんは曜子ちゃんが大嫌いで、名前を聞くだけで腹を立てる…らしい。あくまで当人談。でも、どうも怪しい。怪しいどころか、誰も信じていない。
だいたい、別れた前後のエピソードが話すたびに違う。連絡をとっていないのは間違いないけれど、たぶんはっきりと別れてはいない。
もちろん準ちゃんは曜子ちゃんに未練があって、去年の博美情報によれば、とある女の子に告白されたのに断ったらしい。
びっくりして、思わず当人に聞いたら本当だった。ちなみに当人は、私が知っていることにびっくりしていた。
「よし、じゃあ調査に行くぞ」
「なになに、デートに誘ってんの?」
「え?」
そして目の前で庭っちが相馬さんをくどき始める。
連休の調査――という名の小旅行――は別に二人きりでもないし、彼女を誘うこともついさっき準ちゃんから聞かされて同意の上。だから予定されている行動でしかないはずだった。
「英才教育ってやつだな」
「は、はぁ」
「選ばれし者ミエーソだ」
「何そのセンスのかけらもない名前」
でも何だろう。どこか引っかかる感覚。
……分からないはずはない。大丈夫。ちゃんと自覚している。ただ、気づかないふりをしていたいだけ。
なぜなら私は…。
「私たちも一緒だから心配はいらないと思う」
「あ、…はい」
博美の真似のお姉さんごっこに興じながら、自分の気持ちを落ち着けていく。
そして、落ちつこうとする自分に動揺する。
「庭っちと準ちゃんは酔ってなければ安全無害」
「本当かなぁ」
私は博美が大好きだから。
世界で一、二を争うぐらい大好き…だから、そんなことを自分が考えるはずはなかった。
「片方はいつか豹変するんじゃない?」
「博美の願望?」
「アンタの、でしょ」
でも去年の夏、確かに私は思っていた。博美に勝ちたい、博美より上に立ちたい。
その理由はまだ言えない。もしかしたら、墓場まで持っていかなくてはならないのかもしれない。出来れば……、持っていきたくないけれど。




