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魂の待合所

作者: 語屋アヤ

 ただここにいることを、幸せと思ってはいけないのだろうか。

 何もなくとも、何かが欠けていいたとしても、静かで穏やかな生活に幸福を感じることは罪なのだろうか。

 ただ静かに大切な人と暮らしていたい。それが私の願いだった。

 しかし、そんな小さくささやかな夢も、ここでは叶えることが許されない。


 あなたが望むものは何ですか?

 私の望みは、平和に大切な人と暮らすこと。

 しかし、そんな小さくささやかな夢も、“ここ”では叶えることが許されない。

 それは私だけではなくて、誰の想いも、この世界で叶えることは難しいのだった。

 ここは『次』を待つ場所。

 強要された箱庭。

 動くことはできず、されど永遠に留まることも許されない。

 それでもここには人がいて、魂が在る。

 生きてはなくとも、活きてはいる。

 しかし運命という鎖は、ここに住まうを前にも後ろにも進ませず縛り付ける。

 彼らにとって、この地は終末の見えない停滞だけの世界。

 だけど、そんな光の見えない道でも、光を求めて手を伸ばそうとする少年がいた。

 心を重い鎖に縛られながら自分以外の解放を願って、待ち続けるためだけに在るこの世界で明日を目指す。

 どれだけ困難に遭おうとも、諦めることを認めずに自分の足で前へ前へと進んでいく。

 報われないという報いを受けるかもしれなくたって、彼は止まろうとしない。

 あの子は、いつだって後ろ向きに未来を追いかける。

 私はただ、何も言えずそれを見ているだけしかできない……。



 その土地は荒れていてやせ細った木や短い雑草が茂げっている、いわゆる荒野だった。

 土壌に乏しく人が住むのには適さない土地。しかしそんな場所であっても人はそこに住居を構え、生活を営める場所へと作り変えた。

 岩山の崖を切り崩し、その上に建てられた民家が並んでいる。乱雑なようでいて人々の交流がなされるよう配置し、家から家へ繋がる道も整えられている。

 白いレンガを積み上げられて建てられた、白い家だ。

 荒れた土地とは対照的な明るい白は、様々に立ち並ぶことによって人の活力を示していた。

 その住宅街とは反対側。

 岩山とは少し離れた位置だが、そこにも一軒だけ、ぽつんと建てられている民家があった。

 ただでさえ過酷な土地で、人の輪から一つ外れるというのは、それだけ自殺行為とさえ呼べる。

 構造は同じで色も白のありふれた一軒家だが、まるで一つだけ人々との交流を避けるような孤独さだった。

 そんな町外れで、風変わりな家にも、住居人はいる。

 そこに住まうのはまだ幼さの残る少年だった。

 不揃いではあるが全体的に長めの前髪。部分的には首元まで届く長さではあるが、それによって耳が隠れることはない。彼の耳は正面から見ると横に伸び、先端にいくほど尖っているためだ。

 彼の名前は火紡。この一軒家と似てどこか人を寄せ付けないような雰囲気を持っているが、整った顔立ちは分類するなら美少年というカテゴリに収まるだろう。

 実際、彼はそんなに人付き合いが上手いというタイプではない。

 そんな火紡は木製の椅子に座り、艶のある前髪の一部を、後ろに立っている少女に束ねられている最中だった。

「……息吹」

 火紡はおずおずと少女の名を呼ぶ。しかし少女からの返答はない。

 相手は栗色の髪を肩まで伸ばす少女だった。耳は火紡と同じく横に尖っている。

 目鼻立ちはどことなく火紡に似ており整っているのだが、少女の表情には感情らしき感情が見て取れない。ずっと無表情のままで、火紡の髪を弄り続けているのだ。

 彼女の名前は息吹。火紡の姉であり、この家に住むもう一人の住居人である。

「息吹さーん。そろそろ勘弁して欲しいんですけど……」

 げんなりした二度目のアプリーチで、息吹は火紡の要求の一部を聞き入れた。手を止めただのだ。

 しかし、それが良いように作用するとは限らない。

 息吹は手を止めて、無表情のままに彼女の瞳だけで火紡の要求を拒否する。

 答えはせずとも、応えてはいた。

 そんな彼女の目は、「もっと……!」と輝かしく訴えかけている。

 このきらめく瞳に火紡は弱い。火紡は借りてきた猫のように大人しくしているだけで、後はされるがままだった。

 髪を後ろにまとめ、花柄のヘアピンで留められて、ようやく息吹は満足気と言った様子で手を止める。もっとも、表情は最初からないも同然のままなのだが。

「負けた……」

 対する火紡は息吹に好き放題弄ばれて、ひしひしと敗北感を味わっていた。わかりやすい力関係で、お互いにとっては日常の一コマだ。

「火紡ー? まだおるかー?」

 そんなある意味完成している二人の世界に割って入る者がいた。

 ドアをノックすることもなく入ってきた少年が、火紡に向けて白いリストバンドが巻かれた手を振る。

 短髪に袖のない黒の上着で、快活そうな笑顔を見せる少年だった。年は火紡より二つか三つ上の程度だろう。耳の形は火紡と違い、犬のような形状をしている。

 ただでさえずっと髪を弄られて沈んでいた火紡は、来訪者に対して辛辣だった。

「うげ、見たくもない顔が帰ってきた……」

「失礼な!」

 わざわざ出向いてきたのに心外だ! という不満をぶつけるように、少年は自己主張を始める。

「せっかく仕事探してきたったのに、何やその態度!」

 火紡にとっては、それが来訪者の少年を歓迎しないわけであったのだが、彼にその自覚は薄そうだ。わざわざピースサインをしつつ、尻から伸びる尻尾を左右に振っている。

「どや? 偉いやろ!?」

「誰も頼んでねーよ」

 火紡からすれば、また厄介ごとを持ってこられたとうんざりするシーンだった。やる気無さげに対応する火紡に、来訪者の少年はニヤリとシニカルな笑みを浮かべて、あるキーワードを呟く。

「宿代」

 その一言に反応して、火紡の肩が震えた。その様子に自分の勝利を確信した来訪者の少年は、勝ち誇ったように言葉を付け加える。

「ここにいる間、誰が世話したってるんやったかなぁ?」

「うっ」

 来訪者の名前は和弥。この地においては、火紡と息吹の保護者にあたる人物だった。

 住居のことに関すると、火紡の立場は低い。どうしようもない劣勢を察した火紡は椅子から立ち上がり、和弥に向き直る。

「っで、何だよその仕事って」

「そうこなぁ!」

 親指を立てて火紡を捕獲した和弥は、早速仕事仲間を引き連れて、そのまま再び外界へと旅立つつもだりである。

 そういう商人気質のたくましさとは無縁の火紡は、和弥との温度差に始まる前から疲れを感じる。互いの凹凸にハマりにくいコンビだった。

「ほなら、ちょいと火紡を借りてくで」

「……ちょっと行ってくる」

 その様子を眺める息吹は、小さく手を振り二人を送り出した。

 ここから先は息吹も入り込めない世界だし、二人には危険が待っているかもしれない。その事実を知っていても、息吹にできるのは心の中で彼らの無事を祈るだけ。

 二人がいなくなった部屋を見回し、息吹はそこはかとない寂しさを感じて夕御飯の準備でもしようと思い立つ。

 そんな彼女の顔には、寂しさを紛らわそうとする弱さも、一人で弟と友人の無事を信じて待つ強かさも宿ってはいなかった。



 火紡の手にあるのは一枚の写真だ。そこには、十にも届いていないと思われる幼い少女が写されていた。

 少しふてくされたような表情で、どことなく勝気な印象を与えている。しかし、頭に生える二つの猫みたいな耳が、その生意気さも可愛らしさに変えてしまっていた。

「で? 何、この子?」

 その写真を摘み、火紡が問う。

 ちなみに、くくられた火紡の髪型は、家にいた時そのままである。どうやら息吹に気を使っているらしい。勝手に外して怒られるのが恐いという理由もあるのだが。

「“お迎えの順番”が回ってきたんやって。うらやましいこっちゃなー」

 お迎え。どうやらいつも通りの仕事で、特に面倒くさい方面のものがやってきたようだと火紡は理解する。一番気が進まず、同時に何より大切な仕事だ。

「そんで、双子の弟はもうとっくにあっちへ行ったんやけど、その子がまだ見つからんっと」

「迷子かよ……」

 どうやら今回は人探しも兼ねているらしい。火紡はさして驚いた様子もなく、その写真を見つめていた。

「違うもん!」

 甲高くて、力のままに叫んだような絶叫。その声は、火紡の背後から聞こえた。あまりに大きな声量に押さえるように、火紡は前につんのめる。

「っつ!」

 いきなりの音源を確かめために、火紡は振り返る。そこには不機嫌そうに火紡を睨みつける少女がいた。しかも見たまま写真の少女である。

 大声で叫んだからか、それともここまで走ってきたのか、少女は軽く息を切らせていた。

 写真よりもさらに鋭く、写真と同じ少女が敵対心をあらわにしている。

「とと……え? いた――!?」

 登場早々少女が不機嫌な理由はわからない。それでも、突然の展開に取り乱しながらだろうと、火紡はとりあえず話しかけて見ることした。まずはコンタクトを取らねば火紡の仕事は進まない。

「ちょっ君……」

「べ!」

 少女がわざわざ舌を出して火紡を挑発して逃走し、二人のファーストコンタクトは最悪な形で幕を閉じた。わざわざこれをやるためにこっちへ近づいて来たのか。

 頬を引き攣らせた火紡は、声をかけたままのポーズで固まっていたが、それはただ爆発する前の怒りをその身体に溜め込んでいただけだ。

「うわー、あの子足速いなー」

 追いかけるのが面倒くさそうで、しかもこのままだと見逃してしまうかもしれない。

 そんな驚きと焦りを含んだ和弥の言葉は、火紡にとっては自分にかけていたリミッターを崩壊させるには十分だった。

「上等だ!」

(あー、ありゃキレとるな)

 火紡君が駆けだす。幼い子供が相手とは思えない気迫と、手足に残像が残るんじゃないだろうかという勢いでの全力疾走だった。大人気ないとはこのことだろう。

「脚力で俺に勝てると思うなっ!」

「にゃあああああああああ!」

 結果として、本気で追いかけてくる火紡を見た少女は涙目になって、可愛らしい叫び声と共に逃げる速度も上がった。

 声をかけることも間に合わず走っていった火紡を、巻き上がった埃で軽く咳き込みながら、ポカンとした顔で和弥は見送ることになった。

(単純……! つーかバカと言うべきやな)

 自分の相棒ながら、あの一直線ぶりというか直情さはどうだろうと思う。あのわかりやすい性格は、ああやって度々暴走するわけではあるが、だからこそ、

(扱い易くもあるんやがなー)

 いいのか悪いのか判断に困りながら、とりあえず仕事は進んでいるということにしておこうと、和弥は呆れ気味に考えておいた。



 どれだけ走っただろうか。予想外に追いかける足を緩めない火紡から、土地勘を利用してようやく逃げ切った少女は、息を荒く壁に手をついていた。

「しつこい、あいつ……。でもこれで――」

「これで……何?」

「っげ!」

 巻いたと思っていた相手は、すでに少女のすぐ後ろまで追いついていた。全く予期していなかった速度に、少女も驚く。本当ならもう少し、息を整える時間はあるはずだったのに。

 キレながら自画自賛していた脚力は根拠があってのものだったらしい。

「こいつ……速い」

 二人して肩で息をしながら睨み合う。しかも、このすぐ先は袋小路になっているため、追いかけっこはここまでだ。

「もう逃げらんねーぞ、このクソ猫ガキ」

 未だ火紡は気付いていなかった。何故少女が、わざわざ自分から接触して火紡達に喧嘩を売るような真似をしただけで、すぐ逃げ出したのか。しかも、周辺の地理に詳しいはずなのに、こんな逃げ道の塞がれてしまうような場所までやって来たのか。

「逃げらんないのはそっちだろ!」

 火紡が見出したのは勝機ではなく、むしろ逆。

 少女にはやらねばならないことがある。そのために、危険を顧みずこのような無茶な行動に出ていた。

「あたしの……」

 少女のすぐ後ろにあるマンホールが何かに突き上げられるように振動し始める。それは少女の激情に呼応するように大きくなっていく。

「弟を返せ!」

 やがて少女の怒りが爆発する――弟を奪われた怒りが抑えられなくなるのと同時に、マンホールを吹き飛ばして巨大な水柱が上がった。

 これは少女が持つ、彼女特有の力だ。

 この世界に住む者達は、時間を経過するごとにその身体が変化していく。火紡や少女の耳も、顕現の一つだ。

 そして、中には身体だけでなく、人の操れる力の範囲を超えた異能に目覚める者がいる。少女はその一人だった。

「な、水!? つか下水っ!」

「行けえぇー!」

 少女が火紡を指差し、水柱は少女の意志に応じて選ばれた標的へと襲いかかる。それはまさに、少女の猛り狂った感情をそのままぶつける行為に等しいものだった。

「ギャアアアア! 汚ねぇー!」

 あんな水の塊が直撃したらただでは済まないと火紡は焦る。何より汚い。下水超汚い。普通に触れたくなかった。

 しかし、予想外の展開に一瞬呆気にとられていたせいで、防御も避けるも間に合わない。

 どうにかしないと。どうにもならない。

 火紡が実際に思考できたのはそれくらいだっただろう。

 それだけなのだが、火紡が直接水に襲われることはなかった。

「火紡……! これで貸し二つやで」

「和弥!」

 マンホールの蓋を拾い上げた和弥が、無防備なままの火紡を守るため前にたって水を受け止めていた。

 それでも水の勢いは強く、なんとか押さえつけてその場に踏みとどまっている状態だ。このままでは和弥の腕がそう長くは持たない。

「ッチ、誰が助けてくれって言った? どけよ」

 塊は受けれてもその激流はマンホールを押し続けており、飛び散った雫が二人を濡らす。特に和弥は既にずぶ濡れに近い状態だ。

「どけっつったってこの状態じゃ……んなっ!?」

 和弥が火紡への方へ振り向くと、火紡の右手が緋に濡れていた。左手には同じ色に染まったカッターナイフ。一見ただの自傷行為だが、和弥はその意味を知っている。

 次の瞬間、血の緋色は烈火の赤に変わった。

「全部……蒸発させる」

「でええ! ちょ待て火紡!」

「うるさい」

 右手の炎と同じように、火紡自身も怒りに燃えていたらしい。幼い子供相手にここまでやるとは思ってなかった和弥は、停止の声をかけるが、もう遅い。

「こーゆー勘違いガキには、一度きっついお仕置きが必要なんだよ! 何より」

 和弥を無理矢理に押しのけ、火紡は激しく燃え盛らせた右手を迫る激流に突き出す。

「これ以上汚水まみれになりたくねーんだっての!」

「結局それか――――っ!」

 思ったよりも私情で放たれた炎は、水の塊を大量の蒸気へと変質させてしまった。

 これに一番驚いたのは水を操っていた少女だ。あれだけの水を軽々と蒸気に変えられるなんて思いもしなかった。全く予想していない展開に思わず尻込みする。

「何なのよこれ、あたしの水が……熱い」

 熱湯から立ち上る湯気のように、確かな熱気を持った蒸気が肌にまとわりつく。

 そんな不快感から逃げようと手で蒸気を払うと、開けた視界の先にはこの霧を作り出した張本人が、ため息混じりに少女を睨みつけていた。

「鬼ごっこは終わりだ。一緒に来てもらおうか」

「うっ」

 もう走って逃げる体力は残ってない。頼みの綱だった水は炎に負けてしまう。状況は圧倒的に少女が不利だ。

 だけど、それでも、

「絶・対・イ・ヤ! 誰が人さらいなんかと!」

 少女にはやらなければならないことがある――この人さらいに連れ去られた弟を助け出す。そのために少女は恐怖を抑えこんで、ここまでやってきたのだ。

 ずっと一緒だった大事な弟。

 たった一人になってしまった自分の家族。

 姉である自分が守らないといけない存在だ。それが少女を動かすたった一つにして、最大の原動力だった。

「ひとさら……!?」

 せっかく水を全て吹き飛ばして、下がり気味だった火紡の怒りは、全く身に覚えのない罪状を突き付けられたことにより再びボルテージを上げだす。

「んだとこの……」

「はい、そこまでー。付き合いきれんわ」

 しかし、今度は彼の相棒が先手を打って、喚こうとするその口を塞いだ。

 もがもがと言葉にならない言語で火紡が不服を訴えるのも押さえつけて、話すべきを話す。こういう役割は火紡向きではないと判断し、和弥は自分で説明することにしたのだ。

「君もまあ落ち着け、な」

「…………」

 さっきの水を操った反動で疲労しているようで、少女は右腕を押さえて弱々しくなりつつあるが、敵愾心は緩めない。それでも和弥は少女を穏便になだめる。

「俺らは、君を弟の元へと送るために来たんや」

「送る……?」

 聞きなれない単語のみを、少女はオウム返しする。その疑問を抱いた反応に、目ざとく反応するのが和弥という少年なのだった。



 少女が連れてこられたのは、大きいが傷だらけの白い建物だった。外壁は一部崩れて、何の説明もなしに連れてこられたら廃墟と勘違いしたかもれない。

「君は運がいいでー。ホンマはこれ、半年先までガッツリ予約で埋まってるんや」

「うさんくさ。予約?」

「そ、次の転生先のな」

 転生。

 そのキーワードが、弟のことで視界が狭まっていた少女の心をざわつかせた。いきなり背中をすっと撫でられるような、むず痒くて、不意の不安を呼び起こす感覚。

 少女の反応を知ってか知らずか、二人は説明を続けながら建物の奥へと入っていく。ここは内側も、外観と同じく傷だらけで、地震でも起きたら軽く潰れてしまうそうだ。

「自分がもう死んでることは覚えてるか?」

「……うん」

 さっきまでの憤怒が消え去ってすっかり冷静さを取り戻した火紡の問いかけに、少女もまた素直に答えた。

 自分が何故死んでしまったのかは、もうおぼろげであまり思い出せない。思い出しくもなかった。

 けれど、自分はもう死んでいるのだという実感はある。

 ただ一つ憶えているのは、生きていた頃から少女と弟はずっと一緒にいて、それは死んでからも変わらなかった。

 火紡と和弥が少女を導いてきた先にあったのは門だ。この門だけは傷が一つもなく、新品そのものに見える。まるで“ここだけ世界から隔離さりされている”ように感じる。

「だけど、ここは天国でも地獄でもない――いわば“魂の待合所”」

 重々しい音をたて開かれた門の先は、まさに別世界だった。

 床も天井も見えない漆黒に包まれた部屋の中、蛇行するような白い一本道だけが伸びている。それもあまりに長いため、その果てに何があるもわからない。

(何も見えない……ここを行くの?)

「怖いか? ここを進めば君は生まれ変われる」

 少女の内に未知への不安が沸き起こる。ここを行けば自分は変わるのだろう。だけど、この道と同じく、それがどこにどう続いているかがわからない。

「君の弟はもう生まれた。後は君次第だ」

 火紡は少女の隣に並ぶ。さっきまでの勢いは見る影もなくなった少女に、伝えなければならないことを伝えるために。

「また、双子だとよ」

 火紡がそう告げた瞬間、少女の内にあった不安は全て消え去った。

 よくわからないままいたこの世界だけど、姉弟二人で支えあって生きてきたのだ。

 幼い少女にとって、弟はまさに半身と変わらない存在だった。

 その弟は、この先で待っている。

 どれだけ暗い道でも、少女はやはり一人ではないのだ。

「良かったな」

「わっ」

 和弥の手が少女の頭を荒々しく撫でた。

 その手の温かさか、生まれ変わっても大切な人と一緒にいられると安心したからか、少女の視界が薄く滲む。

「今度は妹になるんかー。頼れる兄貴やといいな」

 浮かべた涙を知られまいと、腕でこすって振り返らずに走り出す。

 少女は振り返らない。

 お礼を言いたいとも思うけど、それは何だか悔しいし。

 だから、少女は和弥の言葉に応えることで、自分の意志を示した。

「当たり前じゃん!」

 当たり前。

 そう、当たり前だから少女は迷わず進む。

 誰より信じられる大切な人。彼が待っているから――



 こうして二つの魂が新たな道を進み始めてから数日後、火紡はツーサイドアップになっていた。

 実行者はやはり息吹であり、火紡にできるのは消極的な抗議を上げることだけである。

「息吹さーん、ねえ……もう十分でしょ?」

 まだ……! という無表情の圧力をかけられ、火紡のささやかなる抵抗は終わった。

「もう……好きにしてください……」

 表情がないまま活き活きとしている息吹とは相反して、火紡はもはや諦観し大人しく息吹が満足するのを待っている。

「相変わらず立場弱いなー」

「まあな」

 次々と髪を弄られる様を、同情気味な視線で和弥は眺めていた。もうこの二人の力関係は見慣れたものではあるが、見ていて飽きるものでもない。

「まあ、ええんとちゃう? そうやってバカができるのは元気な証拠って言うやろ」

 次の髪型を思いついたのか、息吹はゴムひもを取り出してくる。そこにもやはり一つの表情しか伺えないが、彼女は自分の望むことを自由に楽しんでいるのは明らかだ。

「………………」

 そんな姿を見つめる火紡の顔には苦悩が張り付いている。心を表さないまま活きている姉と、感情を顕にして物憂げに悩む弟。

「焦る必要はないと思うで?」

 そして、そんな二人をただ見比べて、諭すようにも慰めるようにも聞こえる言葉を和弥は伝える。

 火紡も、和弥が自分を気にかけているからこそ言っているのはわかっている。きっと、それが正しいことも理解はできていた。

「それでも」

 しかし、頭でわかっていても、感情は納得してくれない。

「それでも俺は、早く医者を見つけて治してやりたいんだよ。そのためなら何だってやってやるさ」

 息吹はある事件をきっかけに、声と表情を失った。だけど、失くしたからといって、忘れられるものではない。諦められるものではもっとなかった。

「息吹の表情が凍ったままなんて、俺には耐えられない」

 火紡はしっかりと覚えている。息吹が快活に、だけど優しげに笑った時の華やかな笑顔を。

 もはや記憶の中だけにしかない優しい笑みを取り戻すために、火紡は和弥の仕事を請け負っている。

 火紡が少女を見て必要以上にイライラしたのは、弟のために戦う少女の姿が、自分とも被っていたからであった。火紡自身にその自覚はないけれど。

「……なあ、火紡」

 頼れる兄になれるかと聞かれて、迷わず当たり前だと答えてみせた少女を、火紡は思い出す。

 自分は、息吹にとって頼れる弟になれるのだろうか。

 そんなの、己に問いかけても回答なんて得られないのはとっくに学んでいる。だとしても火紡は、誰より大切な姉の心と体を守れるだけに足る存在にならねばならない。

 息吹のために。自分のために。どちらの感情が大きいかは、考えたくなかった。

「お前今のめっちゃシスコン発言やで。サブ――!」

 思考の海に沈んでいた火紡は、空気を完全に無視した横槍で一瞬にして我に返り、和弥の頭を殴っておいた。

「ええやーん。しんみりした空気を和ませるためやんけ」

「うるさい!」

 顔を真赤にした火紡は、真っ赤になった顔を見られたくなくて、ブーイングを飛ばす和弥に背を向ける。

 そんな照れ隠しの仕草も少女に似ているのだが、火紡に気付くような冷静さと客観性はなかった。

 けれど、それでいいのだろう。

 グダグダと悩んで立ち止まるなら、あれこれ考えず守りたいものを持って駆け抜ける。

 そんな生き方の方が合っているはずだ。

 ここは魂の待合所。

 たとえここがどこにもいけない、箱庭のような世界だとしても、ここでしか探せないものを必ず見つける。その日まで走り続けると、火紡は誓ったから。



この作品はこじさんがかつて掲載していたWebマンガを小説化したものです。


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