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第8話

 真帆がお昼寝に行くと、家の中は一気に静かになった。

 さっきまで響いていた無邪気な声が消え、リビングには大人だけの時間が流れる。


 最初に口を開いたのは、母だった。


「ねえ、茜音。何かあった?」


「ううん。何もないよ? どうして?」


「少し元気がないし……結婚してから、一人でこっちに帰ってくること、なかったでしょう」


 不安を隠しきれない声音に、返事に詰まる。


 そこへ、


「茜音ちゃん、顔色悪いわよ」


 果物を手にキッチンから戻ってきた春奈が、視線を向けてきた。


 ――まだ、ここで話すことじゃない。

 不確定な未来を、家族に預けるわけにはいかなかった。


「……不妊治療が、ちょっと上手くいかなくて」


 とっさに出た言葉だった。

 けれど、口にした瞬間、その言葉が重りのように胸の奥へ沈んでいく。


「焦ることはないわよ。二人とも問題なかったんでしょう?

 そのうち、きっと授かれるわ」


 気遣うように、春奈が声をかける。


「あちらのご両親に、何か言われているのか?」


 今度は父が、静かに問いかけてきた。


 茜音は目を伏せ、小さく首を横に振る。


「牧田のご両親も、いい人たちよ。何も言わない」


 そう。  誰も、責めはしない。


「……私ね、最近知ったの」


 茜音はゆっくりと言葉を選びながら、続けた。


「周りで、いろんな政略結婚の人たちを見ていると、

 子どもができたところで、夫婦が終わってしまう人たちが多いって」


 部屋に、静かな沈黙が落ちる。


「でも、うちは違うでしょう。

 お父様もお母様も、お兄ちゃんたちも仲がいい。  それに……私と陸翔も」


 言葉が、少しだけ途切れる。


「だから、それが当たり前だと思いすぎてたのかもしれない、って」


 歯切れの悪さを自覚しながら、茜音は続けた。


「陸翔は牧田家の、たった一人の子どもだし……

 将来のことを考えたら、跡取りがいないのは大変なことになる。

 でも、その肝心の私が妊娠できないとなると……ね」


「陸翔さんが、そう言ったの?」


 母がそっと肩に手を置いてくる。


「……陸翔は、何も言わない。  『子どもがいなくても、どうにでもなる。

 二人でいられたら、それで幸せじゃないか』って」


 そこで、言葉が止まった。


 誰も、すぐには何も言えなかった。


 政略結婚の意味。  家同士の結びつき。  そして、子孫繁栄。


 その重さを、麻沙美も、春奈も、よく知っている。


「治療がつらい日は、うちに来ればいいのよ。今日みたいに」


 母は穏やかに言った。


「家でゆっくりして、休めばいい。

 どうしてもつらいなら、無理にやらなくてもいいじゃない。

 それで牧田のお宅が『だめだ』って言うなら……

 また、その時に考えればいいのよ」


 父も、静かにうなずく。


「そうだな。  お見合いを進めたのは私だが……

 本当に、あんなにあっさりと結婚して家を出るとは思わなかった」


 一瞬、懐かしそうに目を細めてから、続けた。


「つらければ、家に帰ってくればいいだけだ。

 真帆なんて、両手を挙げて喜ぶぞ」


「啓介さんも、一緒に両手を挙げて喜びそうですね」


 春奈がくすりと笑う。


 茜音の胸にあった重たい石が、ほんの少しだけ軽くなった気がした。


 ――でも。  帰るためじゃない。  選び直すために、ここに来ただけだ。


 ほどなくして真帆が昼寝から目を覚まし、  茜音はしばらく一緒に遊んだ。


 そして、夕飯の前に帰ることにする。


「夕飯まで食べて帰ればいいのに」


 麻沙美が引き留めたが、


「今日は……家で食べることになってるから」


 茜音は、そう嘘をついた。


 玄関で靴を履き、外に出ようとしたそのとき、背後でドアが開く音がする。


「え?  茜音、来てたの?」


 振り返ると、帰宅した兄の啓介が立っていた。


「……っていうか、もう帰るの?」


「うん。お昼をごちそうになったから、もう帰るところ」


「え? 夕飯は?  夕飯、食べて帰ればいいじゃないか」


「夕飯は、家で食べる約束だから。  今日は帰るね。  また来る」


 そう言って、茜音は家族に手を振り、玄関を後にした。


 外に出て、車に乗り込む。

 エンジンをかけ、バックミラーに映る実家を一度だけ見つめた。


 ――守りたい。


 この場所も。  この人たちも。


 だからこそ、  もう二度と、失わないために。


 茜音は静かにアクセルを踏んだ

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