第23話
春奈の車に乗ったあとの記憶は、茜音にはほとんど残っていなかった。
ただ、身体が重く、 視界が暗くなって、
そのまま沈むように眠った感覚だけがある。
次に目を覚ましたとき、 窓の外はすでに明るかった。
ベッドの横に置かれた椅子に、母が座ったまま眠っている。
夜のあいだ、起きていたのだろう。
その姿を見た瞬間、胸の奥がきゅっと痛んだ。
「……お母さま」
そっと声をかけると、 母ははっとしたように目を開いた。
「……茜音……起きたのね……」
声が、少し掠れている。 母は言葉を探すように間を置き、
ゆっくりと茜音の頬に手を伸ばした。
「大体のことは、春奈さんから聞いているから…… 無理に話さなくていいわ」
その一言で、堪えていたものが溢れた。
「……っ」
涙が、止まらない。
母も、同じように涙を浮かべていた。
「……こんなに痩せてしまって……」
「……ごめんなさい……お母さま……」
今度こそ、心配をかけないと決めていたのに。
結局また、母の前でこんな姿を見せてしまった。
母は何も言わず、 ただ茜音を優しく抱きしめた。
少し落ち着いたあと、 母に支えられてリビングへ向かう。
そこにいたのは、春奈だけだった。
「お父様も啓介さんも、さっき出かけたわ。 二人とも、すごく心配してた」
そう言いながら、春奈はそっと茜音を抱きしめた。
「……おはよう」
その腕の中で、 茜音は小さくそう言った。
「おはよう。無理しなくていいからね」
そのとき、小さな足音が聞こえてきた。
「……茜音ちゃん?」
真帆が、少し不安そうな顔で立っている。
「具合悪いの? 痛いの? 真帆がおまじないしてあげるから、泣かないで」
そう言って、ぎゅっと茜音に抱きついてきた。
茜音は、そっと真帆の頭を撫でる。
「ありがとう、真帆。 真帆のおかげで、痛いのどっか行っちゃった」
その言葉に、真帆はさらに力を込めて抱きついた。
茜音は、ゆっくりと涙を拭い、深く息を吸う。
「……今日、ちょっと病院に行ってこようと思うの。
最近、胃の調子がよくなくて」
「そうね。それがいいわ」
母が、すぐに頷いた。
「病院、私が付き添うわ」
春奈の言葉に、茜音は首を横に振る。
「大丈夫。いつもの病院だから。
もし何かあったら連絡する。そのときは来て」
少しだけ渋ったものの、 真帆を幼稚園に送らなければならないこともあり、
結局、茜音は一人で行くことになった。
支度をしながら、ふと立ち止まる。
「……診察券」
そう呟いて、思い出す。
マンションだ。 あの部屋に、置いたままになっている。
掛け時計を見る。 陸翔は、もう仕事に出ている時間だった。
「……取りに行って、そのまま病院に行けばいいか」
茜音は静かにバッグを持ち、 玄関に向かった。




