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きっとこれは最後の恋じゃない  作者: たまころ


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3/4

3 またねと言えたら良かった

 会社近くのカフェで、近藤さんと本日のランチプレートを注文した。


「急に旦那の転勤が決まっちゃって、ごめんねぇ」


「驚いたし、近藤さんがいなくなっちゃうの寂しいし不安です。けど、旦那さんのこと大っ好きなの知ってるから、納得はしてます」


「今の会社好きだし、子供が小さいから日本から離れるのはちょっと大変かも、と考えたりして単身赴任も検討したんだけど。旦那が新しい環境で慣れない仕事を頑張る時に、おかえりって笑顔で迎えてあげたいし、好物のから揚げ作って励ましてあげたい、て思ったんだよね」


 照れくさそうに笑う近藤さんは、幸せそうだ。

 いつも楽しそうに仕事をして、トラブルを回避した時に喜び合った満面の笑みともそれは違う笑顔で。けれど、あの時も今も、近藤さんは輝いて見える。


「桂木は? 彼氏は地元にいるんだっけ?」


「次の連休に会うことになってます」


 午前中のうちに社内での挨拶を済ませ、残っていた荷物を片づけていた近藤さんと別れ、昼食を終えた私は会社に戻る。

 廊下で、社外のお客様を会議室に案内する小向と目が合って、小さく会釈をした。

 八月にお祭りで会って以来、彼と交わすのは挨拶程度。ただの同期で、他部署で働くわたし達の、正しい距離感だ。





 新幹線で約二時間、日本海側の故郷へ着く。

 駅の改札を抜けると、優紀が待ってくれていた。


「お盆にも帰って来たのに、わざわざ悪いな」


「いつも東京まで来てもらってるから、全然だよ」


 優紀が運転する車の助手席に乗り込み、シートベルトを締める。


「荷物は? 先に家に送った?」


 首を横に振ったわたしの荷物は、スマートフォンとハンカチ、ティッシュ、リップなどのわずかな小物が入ったショルダーバッグだけ。

 地元に帰って来るときはたいてい実家に泊まるので、一泊か二泊分の荷物を持って来るのが常だった。


「海が見たい。連れて行って」


 優紀が地元に帰って来てワンボックスカーを購入して、最初の頃はいつも海にデートに来ていた。

 東京で海に行ったのなんて、大学生の夏だけだったのに、ここでは、何度も何度も海に行って、ただ何となく時間を過ごした。

 手を繋いで、浜辺を歩いたわたし達の思い出。


 海水浴の時期を過ぎた海には、遠くに浮かぶ漁船が見える。

 砂浜を、踏みしめるように歩く。


「話したいことって、なに?」


 波の音に消されないように、大きめの声を出す。

 優紀から、話があるから東京に行くと連絡があったのは約一週間前。

 来てくれるという言葉を断って、今回はわたしが地元に帰ることを伝えた。


「うちの会社さ、小っちゃいけど東京に支店あって、そこで空きが出たんだ」


 優紀も、大きな声を出す。


「こっち戻って来て就職したばっかの時に、東京支店に異動できないか、俺聞いたことあって。その時はまずは仕事覚えてからだろ! て言われて」


 砂を踏む音。寄せては返す波の音。優紀の声。

 どれも同じくらい近くて遠くに聞こえる。


「わたしは、今の会社を辞める勇気も、こっちに帰ってくる勇気もない。優紀は?」


「俺も、やっと仕事覚えて、一人で任せてもらえることも増えて、ここで頑張りたい」


 大学を卒業して、就職を期に遠距離を続けてきたわたし達。

 東京支店の異動の話を聞いて、わたしのことを思い出してくれた優紀に嬉しくなる。けれど、その時、彼の中で答えは出たのだ。


 嫌いになったわけじゃない。眠れないほど恋しかったあの感情はもうないけれど、わたし達はまだ、きっと。


「今までありがとう」


「こっちこそ、ずっと大切だった」


 距離を一歩、二歩と進めて、わたし達は両手で握手をした。

 気持ちを込めて、ぎゅうぎゅうと握り合う。

 その日、優紀と会ってから初めて触れた彼の手は、いつもと同じように温かかった。


 夕方の新幹線まで時間があったので、わたし達は一緒に通った高校、時間を潰したファーストフード店や近所の公園を巡った。

 どこも思い出が次から次へと蘇って、最近では話をしなくても居心地がいいと感じていたわたし達だったけれど、会話が途切れることはなかった。馬鹿馬鹿しいほどの思い出に声を上げて涙を流すほど笑って、ほんの少し沈黙が訪れて、またすぐに別の思い出を語り出す。


 車から降りて、窓を開けた運転席に声を掛ける。


「送ってくれてありがとう」


「紗生、元気で」


「うん。優紀もね」


 手を振って、別れを告げる。

 駅のロータリーで車は長く駐車出来ない。足早に別れて、駅の構内へと向かう。

 わたしの名前を呼ぶ声が聞こえた気がするが、バスやタクシーや人の声で、それは掻き消された。


 新幹線の座席を確認して座ると、ジワジワと涙が込み上げてくる。隣に乗客がいなくて良かった。


 楽しいだけの恋ではなかった。何度もケンカをしたし、大嫌いと言ったこともある。

 けれど、お互いに「別れる」という言葉を言ったことは無かった。

 東京で違う大学に通い、地元と東京の遠距離恋愛になってからも、わたしは優紀の浮気を疑ったことはなかった。彼からも、そういったことを疑われたことはなかったと思う。

 お互いに、相手が一番だとわかっていたし伝えることが出来ていた。

 大切で大好きで、けれど、お互いの進む先に、一緒に過ごすという選択肢がいつの間にか無くなってしまった。


 きっと彼も今頃、泣いているだろう。抱きしめて慰めてあげられないことが悲しい。

 それでも、もう手を離す時期だったのだ。

 いつか、地元で偶然彼に会って、笑顔で挨拶が出来るようになる時がくる。だから、大丈夫。

 大丈夫、大丈夫。と繰り返して、東京に着くまで、溢れる涙を拭った。





 翌週の土曜日、いつも通っている美容室でやっと予約が取れて、短くなった髪を手直ししてもらう。

 長さはさほど変わらず、それなのに納得のいくスタイルになって鏡を見ては嬉しくなる。

 どうせなら、優紀に会う前にこうなりたかったと思って、小さくため息が零れる。どうしてもまだ、心の片隅に優紀が住んでいる。

 気が付くと心の中で彼に話しかけていた習慣が抜けるまで、時間がかかるだろう。


 時折、同期の小向と目が合う。

 社内で彼を見かけた時、夏祭りの日に偶然会って、一緒に花火を見上げながら感じた手の温もりの意味を、考えてしまうこともある。

 けれど、仕事が出来て、会社での評判が良くて、見た目も性格も良いあの男とどうにかなろうなんて、考えると身震いしてしまう。

 きっとこのまま鑑賞しているのが一番だ。

 しばらく聞こえていない彼の恋愛関係の噂も、そろそろ聞こえてくる頃だろう。


翌月には、正式に主任の辞令を受けた。

気合を入れるためにと買った憧れのブランドの名刺入れに、肩書のついた貰ったばかりの名刺を入れる。

 少し責任が増した仕事に、日々があっという間に過ぎていき、気が付けば年末の挨拶回りの時期になっていた。


 年末のこの時期はどの部署もあわただしく、社内は人が行き交っている。

 総務課の前の廊下に置かれた段ボールには壁掛けカレンダーや卓上カレンダー、それに手帳がごちゃ混ぜに入っている。年末に向けて付き合いのある会社から配られるそれらは、自分たちの使う分を除いて一か所に集められるのは毎年恒例。


「何探してんの?」


 しゃがみ込み段ボールを覗き込んでいるわたしに声を掛けてきたのは、同期の小向。背の高い彼は、金曜日の夕方だというのに疲れを感じさせない爽やかさだ。


「相川商事のカレンダー。三ヶ月分予定書き込めるから課長が気に入ってて、毎年職場に貼ってるんだけど、うちの部署は付き合いないから、回ってこなくて」


「あー、うちの課にまだあったかも。見てこよっか?」


「いいの? 助かる」


 そう言いながら、ただ待っているのも気が引けて、歩き出す小向についていく。


「髪、切ったのな」


 小向はわたしのことを振り向きもせずに小さく呟いた。背中の中ほどまであった長い髪を顎下長さのボブまで短くしたのは、もう三ヶ月も前だというのに。


「うん。首が寒い」


 長く付き合ってきた地元の彼氏と別れることを決めて、月並みだけれど髪をバッサリ切った。寝癖を結んで誤魔化すことが出来なくなって、朝のブローは必須だ。


「凄く似合ってる」


「ありがと」


「年末年始の休み、帰省するの?」


 毎年、お盆と年末は実家に帰っていたけれど、地元には別れた元カレがいる。まだ、彼の近況を平然と聞く勇気がないわたしは、今年は帰らないことに決めていた。


「どこにも行かない。引き籠る」


「俺も、予定ない」


 小向の働く部署に着き、彼は足を止めて、わたしを振り向く。賑わう職場の喧騒に掻き消されそうな、彼に似合わない小さな声。


「初詣、一緒に行かないか」


 突然の誘いに驚き、わたしは声が出なかった。小向はただ同じ会社の人で、ただの同期で、ただの、よく目が合う人。返事を返さないわたしから目を逸らし、小向はカレンダーを取りに行く。すぐに戻ってきた小向は気まずそうにそれを差し出す。


「お待たせ。相川商事のあったよ」


 カレンダーを受け取りながら、なけなしの勇気を振り絞る。


「お正月の前に、マフラー買いに付き合って。首、寒い」


 手元を見ていた小向が、わたしの顔を見て、大きく頷く。


「うん!」


 目が合っては逸らしていたわたし達。約束を交わした今は、ほんの少しの間、見つめ合った。


「じゃあ」


「うん、後で」


 短い会話を終了して、わたし達はそれぞれの業務へと戻る。

 今年中に片づけてしまう予定の仕事の進行確認を頭の中でリストアップしながら、きっと、わたしの顔は綻んでいたことだろう。


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