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きっとこれは最後の恋じゃない  作者: たまころ


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2 髪を切って、それから

 九月に入って最初の日曜日に、髪を切った。

 行きつけの美容室は店長とスタッフ一人の小さなお店で、土日はなかなか予約が取れない。ネットですぐに予約できる店を探して、慣れない美容師さんと緊張しながら会話をした。


「桂木先輩、おはよーございます。あれ?」


 会社の入っているビルの前で、職場の後輩である橘ちゃんが声を掛けてくれる。


「おはよー」


「髪、切りました?」


 頷きながら、視界に入る髪の毛を恨めし気に見てしまう。


「こんなに短いの小学生以来かも」


「首出てますもんね。ニ十センチ? 三十センチ? けっこう切りましたね」


 橘ちゃんと話しながら職場へ向かう途中、顔見知りに「思いっきり切ったなぁ」「失恋したのか?」等々、声を掛けられる。

 背中の中ほどまであった髪を、首が見えるほどの短いショートボブにした。


 更衣室で制服に着替え職場へ向かうと、出勤してきた小向がわたし達に気が付いて、ふと振り向く。

 思わずバッと持っていた携帯電話を持ち上げて、露になった首元を隠す。


 初めて行った美容室。希望した髪の長さにはなったものの、予想とは違う仕上がり。今朝は念入りにブローしたけれど、やはり思うようにはならなかった。


「おはよーございます」


 下を向きながら小向の横を通り過ぎる。


「おはよう!」


 すれ違ってから数秒後、小向から挨拶の声が聞こえた。





 お祭りの日の翌日、高校生の頃から付き合っている優紀から電話があった。

 ハンズフリーに切り替えて、お風呂上りのお手入れをしながら会話をする。


「急にキャンセルしてごめん。仕事でトラブルがあって」


「大丈夫だよ。優紀こそ、休みの日に大変だったね」


 化粧水で整えた肌に、シートマスクをつける。切れ目を引き上げ、鏡を見ながら顔にフィットさせるのが、なかなか上手に出来ない。


「家を出る直前で電話来てさ、まいったよ」


「頼られてんじゃん」


「もう五年目だしね」


「おぉ」


 大学を卒業して、地元に帰った優紀と遠距離恋愛になってもう五年目かと、思わず声が漏れる。


「どういう反応?」


 吹き出す優紀の笑い声につられて一緒に笑う。


「高校の時さ、一緒にお祭り行ったの覚えてる?」


「付き合い初めの頃でしょ?人混みで紗生の浴衣がグチャグチャになって、お母さんに誤解されるって泣いちゃったやつ」


 清いお付き合いだったのに、と言いながら優紀は笑う。


「そう。その時の浴衣を久しぶりに着てお祭りに行った」


「一人で? 俺、行けなくなったから?」


「美容室で髪セットしてもらって、着付けもしてもらった」


「えー、見たかったなぁ」


 残念そうな優紀の声に、クスクスと笑いながら、じゃあ来年ね、とは言わない。それは優紀も同じで。

 過去の積み重ねがあるわたし達は何時間でも話していられる。けれど、電話を終えると、ちょうどシートマスクを外す頃合いで、月に数回の十分前後の会話が、わたし達には当たり前になっていた。


 優紀との電話を終え、すぐに予約が出来る美容室を探した。

 自分でもまだ答えを出せていないけれど、もう進まなければいけないことは、わかっている。





 髪を切ってから、社内で声を掛けられることが増えた気がする。


「運気上がったかも」


「桂木先輩、壺でも買ったんですか?」


 お互いにパソコンの画面から目を離さずに、隣に座った橘ちゃんと会話をする。


「壺もブレスレットも買ってないけど、なんか髪切ってから書類運び手伝ってもらったりお菓子もらったりすることが増えた気がするのよ」


「髪長い時は綺麗なお姉さん風味出てましたけど、今は、なんていうか幼くなったというか」


 言いよどむ橘ちゃんの言葉に、なるほど、と察する。


「ちびまり子ちゃんばりのおかっぱ効果か」


 短くなった髪は、想像していた大人ボブとは異なり、日曜の夕方の国民的小学生を連想させて色気もへったくれもない。

 小さい子供に気軽に声を掛けたりお菓子をくれたり、そんな感じと言われると納得だ。


 髪をバッサリと切って、普段は話をしない人にも「髪切ったんだ」と声を掛けてもらったが、お世辞でも「可愛い」の一言が出ない。なかなか残酷な状況だ。


「桂木、ちょっといいか」


 直属の上司である五十嵐課長に呼ばれ、返事をして席を立つ。

 課のミーティングや少人数の打ち合わせに使用する小会議室で、課長と向かい合わせに座る。


「わたしが主任ですか?」


「中途半端な時期の昇進になってしまうが、引き受けてくれると助かる」


 突然の打診に驚く。現在の主任は三歳年上の近藤さん。彼女は現在育休を取得しているが、来月には復職する予定だったはずだ。


「近藤さん、もうすぐ育休明ける予定でしたよね?」


「その予定だったんだが、旦那さんの海外赴任が決まってついていくことにしたそうなんだ」


「近藤さん、退職されるんですか?」


「もったいないけどな」


 近藤さんは明るくて前向きで、なんにでも一生懸命な人。仕事ももちろん全力投球で、頼れる先輩だった。

 けれど、一生懸命に恋をして、結婚した近藤さんのプライベートも何気ない会話から知っている。カレーもまともに作れないのよ、と旦那さんのことを話していた彼女の顔は、愛情に溢れていた。


「お受けします」


「助かるよ。桂木なら大丈夫だと思うけど、みんなでサポートしていくから、よろしく頼む」


 ほっとした顔の課長と別れ、女子トイレで気持ちを落ち着ける。

 近藤さんに退職のことを聞いたとメッセージを送ると、すぐに返信が来た。


『急に決まって、ごめんね。桂木を後任に押しといたから、よろしく!』


 近々、会社に顔を出すとのことで、その時に一緒にランチをする約束をする。

 職場に戻り、少し上の空になりながら、その日の業務を終えた。


 あまり会社での出世を考えていなかったわたしだが、少し浮かれていた。先輩や上司に認めてもらえていたことが嬉しい。

 昨年、主任になった小向はどんな気持ちだったのだろう。

 同じ部署になったことはないものの、ずっとともに本社勤務の同期。話を聞いてみたいけれど、個人的に連絡を取ることはないから、躊躇してしまう。

 まっすぐに一人暮らしのアパートに帰る気にならず、一人でも気楽に入れる定食も食べられる小料理屋さんに向かう。


 気っ風の良い女将さんがいるその店は、夕食を食べながら少しお酒を飲むにはちょうどよくて、わたしは月に二、三回程度その店に通っている。


「いらっしゃいませー! 紗生(さお)ちゃん、カウンター空いてるわよ」


 明るい女将さんの声に従い、カウンター席に腰を下ろす。

 途中、テーブル席に座るご近所に住んでいるという梶さん夫婦に会釈をして、すでにカウンター席で冷ややっこと沢庵サラダ、もつ煮で飲んでいるガテン系なノブさんにお疲れ様でーすと声を掛ける。

 常連と呼べるかはわからないわたしだけれど、ここに来ると、いつの間にか顔見知りになった他のお客さんと気負わずに話すことが出来る。

 気さくな人が多くて、けれど個人の事情には深入りしてこない、丁度良い距離感が心地良い。


「久しぶりやないか?」


 一つ席を空けて隣に座るノブさんと乾杯の仕草をして、レモンサワーを流し込む。


「八月はお盆に実家に帰ったりしてたから、そういえば久しぶりかも」


「ちょっと見ない間に座敷わらしみたいになっとるやん」


 クククと噛み殺すような笑い方をするノブさんの頭を、女将さんがペシッと叩く。


「女の子に失礼なこと言うんじゃないよ! 髪切ったんだ、似合うね。可愛いよ。とか言えないのかね」


 「だって」と言いながら、ノブさんはまだ笑っている。


「似合ってない自覚はあるので、大丈夫です。でもお詫びに和牛ステーキ鉄板焼き、奢ってください」


 店にある高級メニューを指さしてノブさんにおねだりをする。


「おう、ええよ。奢ったる! 女将さーん、和牛ステーキ謝罪の気持ちを添えて、一つよろしく!」


「はいよー」


 お通しの切り干し大根の煮物と親子丼を食べて、飲んで、ノブさんと当り障りのない話をしていると、待望の和牛ステーキが湯気を立てて目の前に置かれる。

 歓声を上げて、熱い鉄板の上でジュウジュウと音を立てるステーキを一切れ、口に運ぶ。


「美味し~い! ノブさん失礼なこと言ってくれてありがとー」


 肉の脂が口の中で香ばしくとろける。ほろ酔い気分のわたしはご機嫌で隣のノブさんにお礼を口にする。


「それくらいええよ。紗生ちゃん、なんか良いことあったんやろ?」


「え!? ノブさん、なんでわかるんですか?」


 驚くわたしに、ノブさんは少し呆れ顔だ。


「店に入って来た時からご機嫌な顔してるで。それに、誰とでも喋ってるけど、人に奢られるん好きやないやろ」


 この店は基本的には常連さんが多いけど、雰囲気が良いから一見さんも入りやすい。

 時々、酔っぱらったオジサンが店には珍しい二十代女性のわたしにお酒を奢ってくれようとするが、それは「お気持ちだけで」と断ることにしていた。

 傍で見ていたノブさんが代わりに奢ってもらって、気が付くと見知らぬオジサンと肩を組んで楽しくお酒を飲む事もあった。


「実は会社で昇進の打診があって、それがなんか、思ったより嬉しいみたいなんですよね」


「他人事みたいに言うなぁ。良かったやん。おめでとぉ」


 二人で飲みかけのグラスを持ち上げて、再度乾杯をする。


「遠距離の彼氏くんはすぐにお祝いに駆け付けられへんから、今日は一人で乾杯することにしたんやな」


 ノブさんの言葉に、驚いて動きが止まる。


「あれ、どないしたん? え、まさか別れた?」


 首をブンブンと横に振る。


「なんや、別れてないんか。驚かすなや」


 ノブさんは、ほっとした顔をしていたが、わたしの心臓は大きく跳ねていた。


 優紀とは別れていない。

 別れていないというのに、一人で乾杯するほど嬉しい出来事を前に、わたしは彼の存在を思い出さなかった。

 その事実に、胸がザワザワとうるさい。


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