2-2. 美貌の役人は、やっぱりすごい人でした
2026年も少しずつ書き進めていきます。
どなたかに響く作品になりますように…!
「あ、赤毛ちゃんだ」
「ソユン様!ご機嫌うるわしゅうございます」
軽やかな声にはっと視線を上げると、美貌の青年がひらひらと手を振っている。
ソユンである。
やんわり目を細めて小首をかしげる姿も、物音立てず上品に歩む様も、まるでご機嫌な猫のよう。
メイメイは野生で育った逞しい猫しか見たことがないのだが、とても伸びやかで愛らしい姿にはたびたび癒されたものだ。
室内で大切に大切に育てられたら、きっと彼のようにいっとう際立つ優雅な振る舞いを見せるのだろう。
そんな彼と言葉を交わすのは、実にふた月ぶり。
蓮の間という美しい広間のそばに用事があったメイメイが仲間と共に歩いてきたところ、ちょうどそこからソユンが出てきたのだ。
そして、偶然出会ったかのように言ったが、ソユンがこの時間帯に立ち寄るかもしれないという情報を掴み、うまいこと仕事にかこつけてやって来たというのが実情だ。
(メイメイちゃん、やったね!)
(やりましたね、私たちの粘り勝ちです……!)
メイメイを振り返る引率の先輩女官と、目配せで喜びを分かち合う。
そんな彼女は、本日の遭遇を画策した功労者である。
ソユンほどの偉い人ともなると、普段の活動領域の外側――つまりメイメイでも立ち入りを許可されるような場所――に赴く際、妨げにならないようにと事前にお触れがあることが多い。
それを元に、予想を立てるというわけだ。
もちろん、該当者の名前を明かされるわけではないから別人の可能性もあるし、時間がずれ込む場合も、予定が変わって誰も通行しないことだって大いにある。
そのため、細々した情報をかき集め、なんとかソユンが通りかかりそうな日時を推測し、自分たちの業務をどうにか調整し、期待を胸にさりげなさを装って足を運ぶのだ。
しかし、宮中では原則身分の高い者とすれ違う時に頭を下げていなければならず、かつ多忙な彼は移動中でも他のお偉方に囲まれていることも多い。
遠目から一目見かけること自体はあっても、気づいてもらって目が合ったり、ましてや声をかけられたりするのは、ふた月に一度でもあればいい方だ。
それも、こうして会いたいがゆえの小細工をして、この頻度。
努力が実った時の感動はひとしおだ。
なお、厳格な女官長も、こうして下心混じりに仕事をする女官が多いことを知っている。
かといってほかの仕事を疎かにすることもなく、かえってやる気を持って熱心に取り掛かるので、彼女的にこの状況は問題ないと判断したそうだ。
存在するだけで多くの女官の仕事への熱意を大幅に上げている、もはや宮廷の生きる福利厚生といっていいだろう。
そんなかの麗しの君は、先輩女官に親しげに微笑みかけ、ほかの女官仲間にも頑張っているねと声を掛けると、そのままふわりと髪を靡かせて立ち去った。
後ろに付き従う大柄な護衛官の影でほとんど見えなくなってしまった後ろ姿を、メイメイら一同はやはり惜しみながら見守った。
「先輩、帯の色が変わったことに気づいてもらってましたね!」
「昇進したんだ、おめでとうですって………。幸せすぎる。私、絶対もっと出世してみせるというやる気に満ちてますからね、今……」
「メイメイも、今日も元気だねって言っていただけてたね!あのちょっといたずらな顔、可愛らしすぎた……。メイメイ元気でいてくれてありがとう……」
「へへ、ソユン様に会えるといつも嬉しくて声大きくなってる自覚はあるから、多分それですごい元気あり余ってると思われてるんだよね……。あんな風に笑い掛けてもらえるならもっと元気になるね……」
「あはは、もっと元気になるって何よ」
憧れの人に認知されるというのは、恥ずかしくも嬉しいものである。
そのうえ、その人が自分に優しく接してくれるのだ。
一目見たさが尽きないのも、当たり前。
メイメイたち女官は、この瞬間のために宮廷に来たのだとしみじみ頷き合う。
ひとときの余韻を楽しみながら、一同は今日もこうして仕事に精を出すのであった。
「おや、最近はよく会うね。……赤毛ちゃん?」
「ひゃっ、すみません! この貴重な時間を堪能しようと、つい不躾にじろじろと見つめてしまっておりました!! 今日私お仕事はお休みなんですが、ソユン様が通りかかるかもしれない、遠くから一目見られるかもしれないと思って、ここに暫くおりまして。 そうしたらまさか本当に立ち寄られるとは……! こんな機会めったにない事なので、とっても嬉しくて、瞬きすら惜しいくらい……、あっ、あ、なんちゃって、……浮かれて変なことを申しました!あの……」
今日も絶好調にまくしたてるメイメイは、今述べた通り、休日にソユンと会えて有頂天になっていた。
待ち伏せであることを、もう隠すことすらできていない。
わざわざ休日に勤務先のそばをうろちょろしていたのだと、誰に強いられることなく白状してしまった。
最近冴えているのか予想がよく当たり、このふた月で三回も目が合ったり言葉を交わしたりする機会に恵まれているのだ。
言い訳がましくなってしまうが、こんな事情により、いつも以上にはしゃいでちょっと怖がられそうなことまでぺらぺら口走っているわけである。
「あはは、構わないよ。僕も君の顔が見れて嬉しいな」
「ぎゃっ!!」
「制服の時も思っていたけれど、柔らかい色がとても似合うね」
「わっ………!わ、……私元々こういった色合いが好みだったのですが、そう仰っていただけるならこれからは白茶色の着物を買い揃えます……!あっ、ソユン様もいつもその藤色がよくお似合いだと思っております、上品で繊細な雰囲気が特にぴったりで………」
そして、そんな異様な平女官にも、麗しの高官はいつも通り完璧な受け答えをしてくれる。
今日は特に甘めの言葉を振る舞われ、その驚異の破壊力に思わず小さく叫んで垂直に飛び上がってしまう。
仕掛けを押すとびよんと飛び出る玩具のような振る舞いだが、それを愉快に思ってくれたのか、にこにこの笑顔まで向けてもらい、メイメイの幸福度は山のように高くなった。
そんな幸せの源は、お付きの人に声を掛けられて、今メイメイにその整った横顔をさらしている。
(……構わないって言っていただけたよね?もう少し見ててもいいってことだよね?……失礼にならない程度に、せっかくなので堪能させていただきます……!)
ちゃっかり者のメイメイである。
他の人と話している時に顔を凝視するのも良くないので、今日は首から下を観察させてもらうことにした。
ソユンの魅力は声や性格や顔だけではない。
それに相応しく、服装も洗練されているのだ。
一度しっかり見てみたかったのだと胸をときめかせ、上から順に視線を下ろしていく。
ソユンを引き立てるその絹でできた衣装は見るからに上質なもので、こんなに滑らかで光沢のある生地は、メイメイの記憶の限り、彼以外が身に着けているのを見たことがない。
父が結婚式に着たらしい、代々受け継がれている礼服がメイメイの生家にはあるのだが、そのとっておきの一着と同等と思わしきものを、普段から着用しているようだ。
淡い藤色はソユンの階級の基色で、まさに彼のために定められたと言われても納得できるほどよく似合う。
(そういえばソユン様も、昇進してこの色なんだろうから、以前は違う色を身に纏っていらっしゃった……んだよね!? 白茶から始まることはさすがにないでしょ? 何色だったんだろう……。わたしとそう年齢も変わらないはずだけど、いつから出仕してたのかな……。想像膨らむ……)
「首席補佐官、本当にありがとうございました。取り急ぎお伝えしなくてはと思い参った次第ですが、もうご手配までしていただいたなんて……。お手を煩わせてしまい、申し訳ありません」
「僕もさっき小耳に挟んだから、別件のついでにやっておいただけだよ。……ふふ、伝言もお願いしていたのだけれど、それより早く君たちが来たね」
「伝言まで!何から何までありがとうございます……。わたくしどもの気が急いて、すれ違ってしまっていたようですね。いやぁ、それにしても仕事がお早い……」
メイメイがソユンをさりげなく凝視しつつ、頭の中で妄想を繰り広げている内に、彼のそばには数人の中位の文官が寄って来ていた。
ちらりと視線を寄越されたので、お気になさらずと視線を返し、目を伏せて一歩下がる。
本来なら去った方がいいのかもしれないが、メイメイがいても構わなそうな会話だったため、せっかくなので側に控え続けることにした。
貴重な機会だ、少しでも有効活用したい。
(……それにしても、ソユン様って綺麗だし優しいのに、みんなに頼られて卒がないなんて、完璧すぎる!)
間近で官僚としての姿の一部を垣間見ることができ、メイメイはうっとりした。
普段はゆるりとした雰囲気をしているけれど、仕事にはとても真剣、そのいい意味での二面性も彼の魅力の一つ。
ふんわりにこやかな彼がふと真面目な表情になるのがたまらない!と女官の間でも評判で、仕事中の彼を運良く見かけるとその後の仕事効率がとても上昇するとか運が良くなるなんて迷信まであるのだから面白い。
「では、ご指摘いただいた内容はすぐに確認してまいります!」
「ありがとう、よろしく頼むよ」
「はっ!かしこまりました、首席補佐官」
メイメイよりも身分の高い青年らが、きらきらした目でソユンに一礼し、去っていく。
――首席補佐官、何度も呼ばれていたそのご立派な名称は、ソユンの宮廷における役職である。
王子の唯一の直属補佐官にして、代理人としての権限も持っている、滅多に設置されない特別な役職らしい。
衣服の色が示す通り、このきらきらしい美青年はこの若さにして、なんと王族を除いた序列の最上位にいるのだ。
そもそも、生まれ持った身分から、限りなく高い。
この国で最高位となる八大貴族、かつ昔から王妃を送り出し王子を婿として迎えるような代表格の家門のご子息だというのだ。
官位も身分も桁外れ、王国屈指の高貴な人物だと知り、宮廷に来たばかりの頃にみっちり学ばされた序列の構図と彼の身分を照らし合わせてようやく、世間知らずのメイメイも慌てて態度を改めようとした。
――したのだが、当のご本人がこのままで構わないとのんびりのたまうものだから、そのまま畏れ多くも直接言葉を交わす機会を与えられている。
初対面のときに受けた親切とその時の状況に浮かれて脳内で彼との恋愛物語を繰り広げ、その妄想をしばらく細々と温めていた夢見がちなメイメイだったが、身分を知るやいなやそんな妄想はしゅんと立ち消えた。
そんなの、この広い宮中で、煤まみれの下働きがうっかり王太子に見初められ、次期王妃様になることを夢想するようなものだろう。
ただ、知れば知るほど素敵な人なので、今は宮中でいちばん憧れの人としてソユンを慕っている。
ちなみにこの王国の軍務を担う最高位にいるのは、彼がお仕えしている王子殿下であり、宮廷内の警備担当はその下位組織である近衛の武官である。
つまり間接的とはいえ、王子の部下がよりにもよって王子の私的空間に一般の女官の侵入を許してしまったということで、例の一件は小さくない問題になっていたそう。
当事者であるメイメイはソユンの口利きで罰せられずに済んだのだと後に女官長から聞き、本当に感謝してもし足りないほどである。
「武器になりそうなものをなーんにも持っていなくて、悪意だって微塵も感じられないような女の子だったからね。 他の人に見つかっちゃう前にささっと帰ってもらおうと思ったのに、一人で考え事に耽っていて全然気づいてもらえなくてさぁ」
「あっ、あ、その節は本当に失礼いたしまして……」
本気で大問題だったあの出来事も、今では笑い話に。
ちょっと拗ねたように口を尖らせてからかわれると、気恥ずかしさとときめきで耳まで真っ赤になる。
そんなこんなで、メイメイとあの日出会った美貌の役人の縁はささやかに、しかし途切れることなく、今日も続いているのであった。




