9-5. 寒さの厳しい夜でした
新月に近い月夜の話です!
家のそばなので平気だと、ばあやたちのお供を断って庭先に出る。
夜はいっとう寒さが増していて、メイメイはその空気の冷たさに、思わず身震いをした。
「あ、椿!」
少し歩くと、門のそばに立派な椿の木を見つけた。
せっかくなので、花弁をソユンへの手紙に同封しようと駆け寄る。
しかし、花弁はどれも端っこが虫に食われていたり少し枯れていたりした。
「うーん、もう少し綺麗に見えるやつがいいな。確かあの辺りには何本かあったっけ……」
門の外へ出て屋敷から離れると周りは一段と暗くなるが、勝手知ったる我が領地だ。
メイメイは迷わずに、外へ外へと足を進めていく。
「さすがに暗くて遠くまでは見えないな。……あっ!」
灯りを片手にしばらく歩くと、予想通り連なる木々を見つけた。
いそいそとしゃがみこみ、綺麗な花弁を探し始める。
作業に夢中になっていて、近づいてくる人にはちっとも気が付かず。
(ソユン様には、特別に素敵なものを送って喜んでほしいな)
目を凝らして木々を探る、その眼差しは柔らかい。
夜は深まっていたが、メイメイは木が燃えないようにと灯りを遠くに置いていた。
だから辺りは月や星の白い光に照らされるばかりで、ぼんやりと薄暗い。
足音もなくこちらに向かってきた人も、木の根元へ潜むメイメイには、さすがに気が付かなかったようだ。
そんな時、ふと強い風が吹き抜け、メイメイはたまらずぎゅっと身体を丸めた。
月が一瞬雲に隠され、それからまた薄く周囲を照らす。
踏みしめた砂利の音を、風の音と聞き分けた耳の持ち主が、鋭く誰何した。
「――誰だ?」
「ひっ!」
不意に近くで声がして、メイメイは悲鳴を上げて立ち上がった。
枝に頭をぶつけ、そのまま大きくよろめく。
ぼふりと木に埋まったおかげで、倒れずに済んだ。
あまりの衝撃に、鼓動が激しく耳の中で響いている。
目を見開いた先には、凛々しい美丈夫が立っていた。
「お、王子、殿下……!」
「お前、……あの時の女官か?」
月明かりの下、二人はその場で向かい合った。
「今夜は外に出ないようにと伝言が行っているはずだが、話はまだ聞いていないようだな」
いぶかし気な表情を浮かべていたのは、瞬き一回分のわずかな時間だった。
目の前の武人は切り替えも早く、すぐに淡々と話し出す。
「え? あ、えっと……。話……、は何も聞いておりません。その、今日、実家に寄ったばかりで。今もただ、散歩を……」
メイメイは、必死に頭を働かせてどうにか言葉を返す。
先ほどの驚愕に加えて以前遭遇した時の記憶までもが蘇り、身体は緊張でかすかに震え始めていた。
「こんな時間に何を……」
こちらに視線を向けた王子は、おどおどと手元にある花を掲げて見せると、少し呆れたような顔をして言葉を止めた。
「いや、いい。お前はそこの屋敷の娘だったのか? 送らせるから、早く戻るといい」
「今夜はもう家の中にいてくださいね。先ほど隣の領地でちょっとした騒ぎがあったばかりですから」
「あっ、あの……!」
王子がそう言うと、ぬっと木の陰から出てきた武官が手を差し出してくる。
そのまま去っていきそうになるのを、メイメイは咄嗟に呼び止めた。
そういえば、どうしても前から聞きたかったことがあるのだ。
心の中でひっそりと淀んでいたその思いが、メイメイを突き動かした。
「……なんだ。くだらないことは言うなよ」
「ソ、ソユン様のことです! その……」
考えも纏まらないまま話し出そうとするのを、王子が制した。
「声を潜めろ。……お前たちは先に向かっていていい。それで、なんだ。言ってみろ」
そのまま武官たちがいなくなると、メイメイに温度のない視線が寄越される。
こんな偶然はおそらく、二度と巡ってこない。
息を深く吸い込み、メイメイは口を開いた。
メイメイはソユンのことが好きだ。
王子と対峙して、こんな言葉を投げかけられるくらいには。
「ソ、ソユン様のことをどう思っていらっしゃるんですか! 私があのお方と近づくのを厭われていたかと存じますが、なぜでしょう……」
一緒に過ごすにつれ、ソユンが王子のことを何よりも大切に想っているのはよく伝わってきた。
もし王子がメイメイに悪感情を抱いていると知ったら、もう会ってくれないかもしれない。
ソユンをより身近に感じるようになった今、メイメイはそれが、王子に歯向かうことよりもよほど怖かった。
「お前に言う必要はあるか? 今無礼を許しているのは、お前があの男の気に入りだからだ」
他に用がないなら去れ、と言って手をひらりと振った王子に、メイメイは食い下がる。
「で、でも、ソユン様は、私が近づくのをお止めにはなりませんでした!」
「……ああ、最近は付き合いの真似事もしているんだったな」
目の前の美丈夫は上品に鼻で笑うと、呆れた目でこちらを見遣った。
立ち去りかけていた身体の向きを戻し、メイメイと再度向き合う。
「ふん、この際だ。三つほど忠告しておこう。まず、お前はたまに悪目立ちする。ソユンに構うにしても、もう少し立ち振る舞いには気をつけろ」
お前が相手をしているのは王族に準ずるものだということを忘れるなと、王子は冷淡に言った。
「次に、俺の補佐官は生涯を俺に捧げると決めている。可能性を見出すだけ無駄だ。そして、」
そこで一度言葉を区切ると、僅かに肩をすくめて呟いた。
その瞳に浮かんだのは、嘲りか、哀れみか――
「あの男との将来を夢見た時点で、もう終わりだよ」
「それって、どういう……」
メイメイがたじろいだところで、遠くから声がした。
「――メイメイ、いたら返事をして!」
「お嬢さん、どこですか!? 早く一緒に帰りましょう!」
息を切らした父親と、しわがれた御者の声だった。
その方向を見て顎でしゃくると、王子は静かな目をして言った。
「今夜の事情は後で聞け。ここは領地の境界で、お前の両親も目が行き届かないかもしれん」
「へっ……? あ、はい……」
まだ聞きたいことは山のようにあるのだが、どうやらこのまま外にいると親を心配させるらしい。
聞こえてくる声は珍しいほど焦燥を帯びている。
動揺の冷めやらない中、メイメイがぎくしゃくと辞去の礼をする。
気づけば王子の横には四人の武官が控えていて、彼らと共に立ち去った。
王子の後ろ姿をしばし呆然と眺めた後、メイメイは我に返って父親たちのほうへ走っていった。
◇ ◇ ◇
王子ジフンは慌ただしく立ち去る足音を聞きながら、息を吐いた。
足元の石を拾うと、そのまま素早く遠くの茂みに投げつける。
かさ、と枝に埋もれる音だけが聞こえる。
「……ちっ、もう逃げたか? 俺たちももう帰るぞ」
「はっ!」
◇ ◇ ◇
王子らが踵を返して、暫く。
先ほどの茂みが、かさりと揺れた。
「危なかった。こんなに遠くにいて、物音ひとつ立ててないというのに、勘の鋭いお方だ」
「でもこれで分かったな。女嫌いの王子とあの女官には、何かしらの関係があるらしい」
「こんな辺鄙なところまで足を運んだ甲斐があった。もう少し様子を見たら、早めに戻ろう……」




